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三月二日。昨日は故郷を巡って一日を過ごした。今日すべき事は……挨拶か。
朝の九時。
「すいませーん」
と、呼ぶと。
「はーい」
と、返ってくる。
あの人は外にいたらしく、俺の声にすぐ返事をしてくれた。つっかけを履いているのだろう、駆け寄ってくる音が聞こえる。
「はいはいお待たせしました、と。こんな朝から私に用がある人なんてどな……た……」
「お久し振りです」
「え……そんな……まさか…………」
頭を下げて挨拶すると、完全に固まった。
口だけが動く。
「スミレくん……?」
「はい。スミレです」
ユリの家の隣に住むおばさんは目を白黒させた。
「……と、とりあえず中入って? びっくりして……」
「はい、お邪魔します」
大体……八年ぶりかな。おばさんの家。なんにも変わってねーや。
「それで、スミレくん急にどうしたの? ユリちゃんは学校だけど……」
「ええ、知っています。今までありがとうございました、本当に」
「う、うん……それはいいんだけど……」
おばさんは手を擦りながら困ったように笑う。返事をしてないな。
「明後日のユリの卒業式が終わったらあの子を俺のいる所へ連れていこうかと思ってて」
「え! そ、そんな急に!」
おばさんは慌てた様子でテーブルを叩いた。さて、どうしたのか。
「だ、だってユリちゃんは保母さんになるって張り切ってて……それに大事な人が出来たって言ってて…………」
ああ、そうだ。ユリは卒業後その道進もうとしていた。昔は子供好きだからだと思っていたが、今ならわかる。
あいつは俺やユイのようになりたいんだ。
それに大事な人、か。
「やっぱりユリは俺のことを……」
「??」
喉の奥がキュッと締まるような感覚。クックッと笑いが込み上げてくる。……それ以外の熱い何かも。
「またユリに会って話します。なので俺が来たことはユリには秘密でお願いします」
「え? なんで……?」
「あいつを連れていくかどうか、どちらにせよ数年ぶりに会うんです。俺自身も楽しみなので、ね?」
「……うん、わかったわ」
おばさんは複雑そうに。でも、頷いてくれた。
続いて俺は百均に行った。テキトーに便箋と封筒とペンを買って病院へ行く。
「さって」
書き出しはどうするか。……操おじいちゃんもこんな気分だったのだろうか。
ある種遺書を書くような気分。なんだか不思議なものだ。
「蒼多射我へ……と」
はは。だからと言って目の前にいるやつに向かって手紙を書くのも妙な気分だ。
「シャガ、気分はどうだ。一年ぶりくらいか? 頻繁に来れなくて悪かったな」
眠るその頬を撫でてやる。痩せこけて痛々しいな……。
規則的な寝息は今にも起きてきそうな気もするのに。
「お前がもっと早く起きてくれれば一緒にユリを助けに行けたんだけど……な」
……これも手紙に書いとくか? 書いとくか。
シャガが起きたときのためにずっと置いていた俺の電話番号は一切変わらず、誰にも触れられないままベッドの横に置いてある。……待ってたんだけどな。運命を変えるお前の力を。
電話番号のメモの横に封筒を置き、俺は病室を出る。用はほとんど済んだ。あと一つだけだな。
それをするのは今夜か明日の朝でいいだろう。
……いよいよだ。
「ユリ……」
最後の用も済んだ。




