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大きな拍手が巻き起こり、ダイは舞台袖へと捌けていった。
あいつ一年だろ。めちゃくちゃ挨拶上手くないか。
「す、すごいな。十五歳であそこまで堂々と挨拶をされると少し自信を無くす……」
北川さんは目を丸くして驚嘆の声を漏らすが、拍手をする手は止まらない。
素晴らしい。その一言につきる。俺も拍手の手が止まらないのは親バカではないはずだ。
「よくぞここまでの成長を……」
主にユイのおかげだと俺は思う。俺はそんな風に教えたことはなかったからな! …………よく育ててくれた。愛してるよ、マイハニー。
「一曲目はあの子の高校だったな。しかと聞かせてもらおう」
「はい、自慢の息子の演奏です。是非お聞きください」
何て言うが俺も聞いたことがない。一度暗くなった舞台がまた明るくなる。
ダイはピアノの横に立つ。
さて、聞こうか。
「凄かった!いやあ本当に凄かったなスミレくん!」
「ええ……本当に…………!」
「何を泣いているんだ! 始まったばかりではないか!」
北川さんが嬉しそうに俺の肩を叩く。痛いし目頭が熱いし鼻が詰まるし、もう最高の気分だ。
「二曲目は……知らない高校だが楽しみだな」
「はい……」
と、言ってから。
何曲か聞き終えて第一部が終わった。ここからは昼休みが十五分程入り、二部へと繋がる。
俺達は一度ロビーに出てダイを探すことにした。
「んー。皆同じTシャツだからどこの高校かわからないな……」
「ダイくんは……四季高校だったか」
「はい、学ランなのですぐに見つけられるとは思っていなかったですけどね」
と、その時、俺の目は捉えた。
最近ではダイの物の方が見慣れてしまったが、一目見ればどこの物かはわかってしまう。俺も、恐らくユイが見ても確実に懐かしく思うソレ。
俺とユイが三年間身に纏ったことがあるソレ。俺が毎日愛しく眺めたポニーテールまでセットだ。
碧天高校の制服。つまり。
「ユリ……?」
「ん? どうしたスミレくん」
ポツリ、と呟いた。北川さんは首を傾げて俺を見る。俺は動揺する。
(やっぱりユリは来てたのか!)
と喜ぶ。
(今見つかったらヤバい!)
と焦る。
(でも一度顔を見たい!)
と望む。
しかし。
「それは……許されない」
俺は北川さんに首を振り、離れるように目配せする。
しかし二歩下がったところでまた見つける。下がったことで広範囲が見えるようになり、ユリが話している相手もわかるようになる。ブレザーを着た……。
(ユリの隣にブレザーの……そ、その男は誰だ……!!?)
見覚えのあるブレザー。碧天高校の物で間違いない。隣の男は誰だ。城井瑞樹ではない。しかし親しげに。そう、ミズキと話していた時のように嬉しそうに話しているのだ。
他の男子生徒と話すときとは全く違う、屈託のない笑顔で嬉しそうに。あれはミズキ以外に向けないんじゃないのか!?
「運命が変わったのか……!? いや、でもそんな根本的なところが変わってしまうなんてこと!」
可能性はないとは言い切れない。だが、そんな、そんな理不尽なことって。
「スミレくん? どうした汗までかいて」
「…………はっ」
思考が止まる。
北川さんは心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「す、すいません。少し気分が悪くなったので外に行ってきます。ダイとはまた終わったあとにでも会うことにしましょう」
「まあ、ここはクーラーが少し利きすぎてる気もするな。温度差で体調を崩しても仕方がないかもしれん。生徒はTシャツで寒いだろうに」
なんてフォローをされながら俺は外に出た。蒸し暑いもわっとした空気が俺の肌を温めた。
冷や汗は引き、ただの汗に変わる。
(深呼吸だ……落ち着け…………)
一度止まったとは言え思考が自然と最悪の事態の方へと移る。
最悪の事態。ミズキより先にユリが誰かと出会い、恋仲になってしまう事態。そんなことになってしまえば俺達の繰り返してきた過去は。鷹さんと蛍さんが託した夢は。それらは全部、全部どうなってしまうんだ。
「くっそ!」
右手で左手を殴り、このどうしようもない不安をぶつける。ダメだ、そんなわけないんだから。考えるな。
「あ、第二部がもう始まるみたい。戻ろっか」
「そうだねぇ~」
高校生二人の会話を聞き、頭を振る。戻ろう。今はダイが出演する音楽会を聴くべきなんだ。
俺は重い足取りでホール内に戻った。
「次でプログラム最後の演奏となります。最後の曲は今日のために生徒の一人が作り、それを一生懸命練習したものです。曲を全員で合わせたのは今日が初めてでしたが、完成度は十分でした」
いよいよ最後の曲らしい。初めのダイの挨拶以降、確かどこかの放送部の生徒がずっと司会進行を行っていた。高校生にしては大人びた、女子生徒の声。
二部に入った始めの方でまだ落ち着きを取り戻していなかった俺を落ち着かせることが出来た声。彼女自身落ち着きがあり、聞いていてリラックス出来たのだろう。
「あとは生徒全員で思いを込めるだけ。皆さんに彼らの思いが曲に乗って感じられることを願います。ではお聞きください」
一瞬彼女は間を開ける。紹介通り、彼女も思いを込めているのだろうと伝わった。溜めは一瞬だったが、その一瞬で観客は皆息を呑んだ。
そして凛とした声が響いた。
「作曲、四季高校吹奏楽部。紀野大。曲名、リスターティング」
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感動した。俺の頭にはそれしかない。拍手喝采が聞こえる。日本人なのに皆スタンディングオベーションまでしてるが、俺は立てない。
北川さんも興奮してなにかを叫び、指笛まで吹いて称賛を精一杯体現している。
俺の視界は淡く滲んでいた。
「…………」
ダイが成長したのも嬉しい。ダイが素晴らしい曲を作ったことも嬉しい。高校生が力一杯演奏したのも感動した。が、俺の目の自由を奪うのはそれだけではなかった。
「リスター…………ティング」
俺を泣かせるのは何よりも曲の中身。十分弱はあったと思われる。
低い音、高い音。素早い旋律、落ち着いたメロディ。全てが俺の耳を通し、心に響いた。
「そう……か。リスターティングって、そういうこと、なのな」
被災から復興すること。それがメッセージじゃないんだ。
いや、皆にはそうなんだろう。
けれど俺には……。
「スターティングで終われなかった、俺の人生そのものじゃないか……」
そうとしか考えられない。スミレの、シャガの、ひいてはミズキの。
城井瑞樹を主人公にした物語があるならば。
リスターティングと名付けられるべきなんだ。
「それを……こんな風に、表現、しやがって…………!」
ダイが作ったのはそんな意図があったとは思えない。だが、俺にはあいつが思う以上のメッセージ性があった。
日常が崩れる話。戸惑いつつチャンスを掴める話。様々な苦労と困難を乗り越える話。失敗してしまう話。またチャンスを掴める話。そして希望を胸に戦い続ける話。
何部にも編成された長い長い曲は、俺の人生とぴったり当てはまってしまった。
「ダイ…………」
辛かった。苦しかった。悲しかった。なにより楽しかった。
二度と掴めない日常をどうにか紡ぐために俺は挑み続けた。でも失敗した。助けられ、また挑んだ。知りたくもない事実を自分で起こしてしまった。今尚それは続いている。
久しぶりに過去を、現在を、振り返ってしまった俺は溢れる感情を抑えられない。
滲む光はやがて限界を超え、俺の頬へ悲しみが原因でないそれがこぼれ落ちた。こうなってしまえばあとは枯れるまで止まらない。
「ぐっ……ふぐっ……うう…………」
「スミレくん! 気持ちはわかるが今は君の息子の晴れ姿を見てやるんだ!! 泣いていてはもったいないぞ!!」
「き、北川さああぁ……」
北川さんに肩を担がれ、俺は舞台上を見た。
ピアノの横でダイが晴れやかに手を振っている。立派だ。実に立派だ。本当にそこまでよく成長してくれた。
涙は余計に溢れる。
「ダイくーん!! よかったぞーー!!!!」
北川さんの大きな声を聞きながら、俺は出来るだけ声を押し殺して涙が止まるのを待っていた。
「ダイ、本当によかった」
「あ! スミレさん! 来てくれたんだ! 北川さんもお久しぶりです!」
「ああ久しぶり。素晴らしかったぞダイくん! 話すのも作曲も、勿論演奏も素晴らしかった!」
「ありがとうございます!!」
生徒控え室前で、北川さんに褒められてダイは頭を下げた。青いTシャツから伸びる腕は若干鳥肌。
「北川さんにはとてもお世話になったとスミレさんから聞いて。是非お礼として聞いてほしかったんです」
「うむ、確かに受け取った! 君たちのような子供がそう言ってくれるなら俺もすごく嬉しいぞ!」
北川さんは笑顔で言った。
そう。俺が今日北川さんを誘ったのはこの理由だ。
「いい演奏だったぞ。あんなにピアノが上手くなってるとは知らなかった」
「うん! 園長さんにいっぱい教えてもらったのと、スミレさんがグランドピアノをくれたおかげだよ!」
「そうか。それはよかった」
ダイの頭を撫でてやると、奴は嬉しそうに笑った。それを見て癒されてしまう俺は息子離れが出来ていない気がする。
まだ彼の腕には鳥肌が。寒いんだなあ。
「半袖でこのホールは寒いだろ。休憩の時とかどうしてたんだ?」
「皆は学ランとか着てたよ? 僕は忘れちゃったから学ランはなかったんだけど」
「へぇ……大変だったな」
「まあね」
ダイは腕をさすりながら言う。
その後寒がるダイには悪いが、三人で少し雑談をしていた。色々なことを聞いた。
例えば今回なぜ初めの挨拶をさせてもらえたのか。
それはラストの曲を作ったことと、彼の通う高校から推薦されたからだそうだ。
吹奏楽部なんて結構上下間系が厳しいようなイメージだが、そのなかでもダイは割りと先輩に可愛がられているからな。上手くやっていけてるならそれでいい。応援までしてくれるなんて素晴らしいじゃないか。
そしてダイの曲がなぜ採用されたのか。それは曲が素晴らしかったからだ。
しかし入部して三ヶ月強のダイがなぜ今日の為に曲が用意できたのかは想像が付かなかった。練習に一ヶ月はかかるとして、二ヶ月程で曲が作れるのか?
「さ、流石に無理だよ! 天才なら出来るかもしれないけど、僕には無理無理!」
「じゃあなんで?」
「皆には秘密なんだけどね」
ダイが微笑んでから言ったことは、中学生の頃からユイと共に曲を作っていたと言うことだった。イメージとコンセプトがたまたま今回の演奏会と合致し、出来かけだったこともあり。二ヶ月以内で完成に至ったらしい。
ダイはいくつかの楽器で演奏し、それを録って編集して合わせる。そんなプレゼンを校内で先輩と先生相手に行い、今回演奏会のラストを飾らせてもらえたとのこと。
ピアノだけじゃないのな。少なくともプレゼンで聞かせるためくらいには数種類の楽器が演奏出来るなんて…………。
うちの子は天才じゃなかろうか。
「や、やめてよ。僕はそんな大それた人間じゃないんだから」
「いいやダイくん。仮にスミレくんの奥さんの手伝いが有ったとしても、その行動力と作曲センスは素晴らしいぞ」
「あ、ありがとうございます」
本気で照れてダイは頭を掻いた。
「と、皆片付けし始めたや。僕も手伝ってきます! 北川さん申し訳ありませんが今日はこの辺りで」
「ああ。しっかりとやってきたまえ」
「ありがとうございます! それじゃあスミレさんも。僕は学校の皆と帰るからまた園でね! それじゃ!」
「おー、しっかりやってこーい」
二人でダイに手を振り、ホールを後にした。
北川さんとは色々と話をしたかったが、新幹線は割りと早く地元まで俺たちを送り届けた。時間もよい頃合いになっていた。
「案外話すと早いものですね」
「スミレくんとは話が合うからな! まあ、園で皆が待っているのだろう。今日は帰ろう」
「そうですね」
そこで俺達も解散したのだった。
「しかし…………」
俺は車を運転しながら呟く。
大きく引っ掛かることがひとつある。
「ユリはちゃんと俺と出会えているのか……?」
もう少し詳しく言うならしっかり付き合えるのか。
運命がどのタイミングで変わってしまうのか俺にはわからない。だから、万が一にでもユリが俺以外と付き合ってしまうこともあるのかもしれない。
……………………。
「…………今度、見に行こう」
自分でもバカだと思うが、もうそれしかないと思った。
俺が告白するのは十二月下旬。それなら来年の一月に様子を見に行こう。近くの神社に一緒に初詣に行ったことは覚えている。
「よし………………」
一応ユイに相談しよう。
俺一人で上手く立ち回るよりユイの力を借りた方が余計なことにならないと思うから。




