44
ダイの話を聞いてから数日経ち、子供たちは夏休みに入った。
たまに知らない子供が混ざり込んでいるのは慣れることはない。園長には言ったと言うが俺にも言ってほしい。びっくりする。
そして夏休みに入ったことで手伝ってくれる子供たちが日中たくさんいるわけで、俺は少し暇を持て余すようになっていた。
というわけで。
「お久しぶりです、北川さん」
俺は駅で待ち合わせていた北川さんに頭を下げた。今日は少し新幹線で行きたいところがあるからな。
「ああ。最後にあったのは去年の暮れだったから、八ヶ月ぶりだな。色樹園は上手くやっているか?」
「はい! おかげさまで! 北川さんもお元気そうでなによりです」
お元気そうで、はお世辞でもなんでもない。背筋はビシッと、表情は相変わらず厳しそうで優しげだ。
なにより左腕に付いている新しい時計に目が行った。
「はっは。良いだろうこれ。五十万するんだが絶妙にセンスが悪くてつい買ってしまってな」
そう言って見せてくれる時計の全体的な色は、赤、黒、緑、そしてほんの少しの金色だ。
おぉ……変に禍々しい。
「どれかひとつでも抜けばマシになるんだがな。これじゃただ手に入れた宝石を撒いただけの自慢にしかならない。センスが悪いから自慢にもならないがな!」
言って、北川さんは嬉しそうに笑った。
彼が新しい時計を買うのは、言わば願掛けのようなものだ。新しい仕事が始まったときに時計を買う。成功すれば付けるし、失敗に終われば捨てるか他にほしがる人にタダで譲っている。
一度自分を追い詰める感覚がたまらなくスリリング、というのが彼の楽しみ方らしい。
「スミレくんはこの時計どう思うかね」
「金額の暴力です」
「ブフッ!」
北川さんが飲んでいたお茶を地面に吹き出した。
笑っていただいたようで良かったです。
「いやー素晴らしい。俺もこの時計に暴力的な何かを感じていたからな! やはりスミレくんとは気が合うようだ!」
「ありがとうございます。あ、来ましたね」
と、世間話も程々に。
俺たちは新幹線に乗り込んだ。
「では少し失礼します」
「うむ。待ってるよ」
第一目的地の前についた俺は、一度北川さんと解散した。
ここに用があるのは俺だけだ。だから一人で入っていく。
「すいません。電話した紀野と言う者です」
「紀野さんですね。えーと……あ、わかりました。案内しますね」
「ありがとうございます」
受け付けに居た女性に連れられ建物の内部を案内される。
階段をいくつか上り、三階に。そこから少し歩いて奥から三つ目の部屋で止まった。
「どうぞ」
女性は扉を開けて俺を中へ入れた。
「先生呼んできますね」
そう言って扉は閉じられた。
俺は部屋に取り残される…………ってわけでもない。
「久しぶりだな。元気にしてたか? ……なんてな」
独り言のように見えて実は独り言じゃない。ように見えて本当は独り言だ。
こいつは俺の声なんて聞いてない。
「悪いな……って今さら謝ることはもう、有りすぎて手に終えないがとりあえず。一人にして悪かった。ようやく終わりが見えてきたから俺もお前の様子を見に来たんだ」
知っていたが、返事がないのは些か寂しいものだ。
原因は俺にある。責めることなんて出来ない。
「体は大きくなっているな。世話をここの人に任せっぱなしなのも後で御礼しとかないと。ほら、フルーツの盛り合わせ。欲しいか? 俺なら欲しいな。欲しかったら目を覚ますことだ」
俺は意地悪く笑い、バスケットを見せびらかす。だが反応はない。
当たり前か。
「……残された時間はもう二年を切った。気付けば2013年の八月だ。三月四日じゃ遅いんだ……。一日早く起きるくらいの運命変えてみろよ、シャガ」
俺は眠り続けるシャガに呟き、力なく椅子に座った。
数分経ち、扉がノックされる。
「失礼します」
「ご無沙汰してます。すべて任せきりで申し訳ありません」
「ああいえ! ごゆっくりしてください」
立ち上がって手土産を差し出したところで担当医に制止された。
積もる話は後だ。先生の話を聞くことにする。
「シャガくんの状態は比較的安定しています。骨折した部分や損傷した部位は完治しています。ですが……」
「はい」
「……脳だけはどうなるのかわかりません。いつ起きても良い状態だと言えばそうなのですが、逆に言えばいつ起きるのか全くわからないのです」
「そうですか…………」
医者は悲しそうに言い、俺も静かに返す。
しかしそれは知っている。俺が体験したことだからな。
目を覚ますことはできるんだ。ただ、起きるタイミングが問題なんだ……。
「引き続きこの子のことをお願いします。今度来れるのがいつかわかりませんがまた見に来ようと思いますので」
「ええ。お任せください」
ともかくシャガの状態はわかった。第一の用事は終了だ。ダイにくらいならその内シャガのこと教えても良いかな……。
「北川さん、おまたせしました。遅くなってすみません」
「構わない。まだ時間はあるしな。それより見てみろこれ!」
待ち合わせたのは百貨店の一階。北川さんは先に行って店内を見て回っていたらしい。
彼はそこで買ったであろう商品を俺に見せる。
「えーと……なんですか? これ」
「見ての通り、鉛筆だ」
嬉しそうに言うけど何が良いのか全然わからない。
「実はこれ知り合いが開発した鉛筆で、その辺の文房具屋には売ってなくてな。製図用だかなんだかで少し重い」
「へぇ……」
「芯の太さは6Bから6H! これだけあれば大体書けるし描ける! ってわけで見付けたから嬉しくてつい買った」
鉛筆オタクっているのかなぁ。
「6Bから6Hって言っても十二本じゃないんですね」
「ああ。HBとFがあるからな」
「なるほど! HBがありましたね!」
Fは知らない。北川さん曰くHBより少し硬いらしいが、知らない。使ったことないもん。
ちなみに俺が使うのはシャーペン。芯の太さは0.9の2Bが気に入っている。どうでもいいけど。
「まあ大体ボールペンで済むしな」
「ええ。執筆もボールペンですし、シャーペンも鉛筆も中々使う機会なくなりました」
学生の頃は筆箱がなければやってられなかったけど、今は胸ポケットにボールペン差してりゃ事足りるもんな。
一応シャーペンと消しゴムは持ってるけど。
「と、そろそろ二時だ。向かおうか」
「そうですね」
北川さんが腕時計を見て言った。今日の用事の二個目だ。
百貨店の裏に大ホールがある。まずはそこへ行こう。
ホールの中は人がたくさんいた。既に客席は満杯になりつつある。
隣り合って空いている席をなんとか見つけ、俺たちは腰を下ろした。
「さすが……全国クラスが集まるコンサートとなると人が多いな」
「そうですね。五分前に開場したばかりなのにもう満席に近いなんて……」
あと五分も遅ければ一番後ろから立ち見だっただろう。
さて、何があるか説明しよう。
今は2011年の八月。三月に東日本大震災があった。そして俺たちがいるのは、高校の吹奏楽部が集まって行われるチャリティーコンサートの会場だ。
なぜ俺がそんなところにいるのか。北川さんはまだ音楽を嗜む趣味があるから分かるが、俺はわざわざ新幹線に乗ってまで聞きに行こうと思わない。
では北川さんに俺が誘われたのかと言えば、それも違う。むしろ誘ったのは俺だ。
「そろそろですね」
ブー、とブザーが鳴りホール内全体が暗くなり始めた。
「ああ、楽しみだ」
俺が来た理由は三つ。
この会場がシャガの入院する病院にバスですぐのところにあったこと。
そして地域関連でもうひとつ。碧天高校が出場すること…………つまりその知り合い伝でユリが来るかもしれないと思ったことだ。
顔を合わせる訳にはいかないが、もし彼女が見に来るのならば元気にしてるかどうか気になるだろ? それに順調にミズキと交際して…………は、まだか。俺が告白したのは十二月だもんな。
とりあえずユリを見かけられるかもしれないと言う期待だ。
そして最後の理由は。
『皆様、本日は【被災地へ送るチャリティー吹奏楽演奏会】へお集まりいただきありがとうございます』
「お、スミレくん。来たぞ来たぞ」
壇上の男子生徒が、青いTシャツ姿で挨拶を始めた。Tシャツは今回の演奏者が全員着るものだと思われる。
『今日のよき日に、このような大きな場で演奏できることを生徒一同とても喜ばしく思っております。そして皆様に満足していただけるように精一杯演奏したいと思います』
ハキハキと少年は挨拶する。その堂々とした態度に客席の皆は釘付けになった。
……もうパフォーマンスは始まってるんだな。
そして彼はしばらく挨拶を続けたあと、こう締め括る。
『それでは今日はよろしくお願いします。生徒代表。紀野大』
と。




