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新設紀野園は名前を改め、色樹園とした。
理由は色々あるが。例えばユリにすぐに見つからないように、とか。紀野園で探せばそのまま見つけられてしまうが少し捻れば簡単には見つからないだろう、と言うことだ。
逆にユリが少し捻れば見つかってしまうのだが、彼女は見つけないだろうと言うミズキの時の記憶をあてにして妥協した。
他には新しい地で暮らし始めるのだ。だから名前も心機一転して変えよう、と言うことだ。
……最もらしく理由を付けたが、正直なところ色樹という名前が消えるのが少し惜しかっただけだ。
俺の色樹菫という名前だって操園長が決めてく れたのだ。結婚して紀野菫になるのは構わないのだが、完全に消えるのは忍びなかった。
そして、操おじいちゃんが欲しがっていたものも作ってみた。覚えているだろうか。
そう、初代園長としての像だ。新品の銅は綺麗だった。半年もすれば子供たちが頭をさわりまくってツルツルになってたけど……。
身長低かったからって理由で低い位置に置いたのも悪かったか。
紀野園で育てられた人たちもたくさん見に来て触っていったから余計ツルツルだ。
あの日ユリの目の前から消えて三年が経ったとき。つまり彼女が中学一年生頃の話。
同じくダイも中学一年生で、山の向こうの中学校に通っていたわけだが、そんなある日に俺は彼に訊ねた。
「ダイは将来何かしたいことはあるか?」
そう、進路だ。
紀野園出身で里親に引き取られなかった子供たちは、基本的に高校にはいく。学費は出せるようなら出してやるようにしていて、紀野園出身の人たちからの支援もあって大体の高校へは皆行ける。
だがそれだけでは恩を返せないと、特待生制度がある高校に行くことがある。そしてそういうやつは大抵特待生を獲得して来る。
しかしまあ、今は俺もいるからある程度呑気に高校へ行ってもらっても大丈夫だ。勿論やりたいことがあるならそれに向かえる学校を選ばせたいと思う。
「僕は……」
ダイは困ったように目を伏せた。
一見、まだなにも考えていないように見える。なにも考えていないからこそ申し訳なくて目を伏せているように見える。去年まで小学生だったダイだ、その可能性もあるだろう。
だが、俺はそう思わない。こうして目を伏せるのは自信がないからだと確信している。十二年と数年、ダイを親として、友として見てきたから俺にはわかる。
「自信を持て、どんなに途方もないことでもいいさ。あるなら教えてくれ」
「……その、僕はね」
宇宙飛行士くらい言えば見事なものだが、まあそれはないだろう。
ダイは一瞬俺を見て、また目をそらし口を開いた。
「音楽に触れて生きていきたい」
……ほう、そう来たか。
「五年生のときに合奏会をしたとき凄く楽しかった。園長さんにピアノ教えてもらって頑張ったから、褒められたときも嬉しかったです」
そう言えばそんなこともあったな。安くてもいいからキーボードを買ってくれとユイに言われたのはちょうどその頃だったはずだ。
よく弾いていると思えばそう言うことがあったのか。
「小学校にオーケストラの人が来てくれたときも感動して、僕もしたいと思いました。ピアノだけじゃなくて和太鼓の人たちが来たときもそういう道があるんだ、って思って。まだ詳しく決まってないけど音楽に触れて生きていきたいな、って思います」
「そうか」
そうか。そうかそうか。
ダイはそんなこと考えていたのか。
それなら音楽の盛んな学校を探してみようか。ユイのように全国大会レベルのクラブのある高校もいいだろうな。
「ううん、僕も特待生を目指す。スミレさんや園長さんに迷惑はかけられないから」
「迷惑って……。そんなこと俺も園長も思ってないぞ?」
「知ってます。でも僕なりに恩返しの方法を探したくて。音楽以外の道も見てみたいから」
「……そうか」
中学一年生。
しっかりしすぎだ。
「それならそれでいい。聞かせてくれてありがとうな」
「はい!」
……いや、シャガとユリと最も近くにいた子供だ。あの桁外れに大人な連中と共にいればこうもなるか。
喜ばしいことではあるのだが、もう少し年相応にバカやって欲しいかなぁ。
と言うのが三年前。
現在2012年の八月。ユリとダイが高校一年生で、俺がユリと出会ってもうすぐ付き合い始める頃だろう。
勝負の日まであと三年弱だ。打てる手は全て打った俺は、やっと『今』を自由に生きていた。
色樹園は紀野園の頃より子供を置きに来ることが少なかった。
が、それでも一年に一人くらいはやはり色樹園に来てしまう。受け取る時辛くてたまらないと言う表情をするユイの代わりに俺が全員引き取ったりしていた。
そんなある日ダイが言った。
「僕、ここで働こうかなぁ……」
「は?」
三年の間に彼も様々な経験をしたはずだ。
なぜ今だ? んー……進路から逃げてその選択にしたってことはないよな?
「ち、違うよ」
「でも音楽関係がしたいって言ってなかったか?」
現に今も変わらずピアノを弾いてるし。
金に余裕があるから、元音楽室だったであろう教室にグランドピアノを置いてやった。
「うん。でもスミレさんみたいな生き方もいいなーって思って」
「俺?」
「スミレさんは小説を書いて、色樹園も運営して。大変だと思うけど自分のやりたいことを精一杯やってるように見えて羨ましかったんだ」
「え……」
いつも身近にいた子供にそんな風に思われてると少し感動してしまう。いつの間にこんなに成長して…………って、元からか。
つーかなんで小説書いてるの知ってんだよ。
「あれ? 隠してたの? 僕普通に書きかけの原稿用紙見かけて、少し呼んだらスターティングだってわかっちゃったよ。だから隠してるなんて思ってなかった。ビックリしちゃったよ! スミレさんがあのスターティングを書いてるなんて思わなかったから!」
「お、おう」
スターティングってことは第三巻だろうか。
…………ん? それじゃあもう二年前には知っていたことになるじゃないか。書いてたのその時期だから。
「うん、知ってた」
「へ、へぇ……」
「だからね。僕もここで曲を作りながら働けないかな、って」
「ここで!?」
「うん、ここで」
そ、そんなの出来るのか!? 作曲家になるってことだろ? そういうのって大概自分で会社作ったりどっかに所属したりしてるんじゃないのか!?
「そういう形もあるけど、僕はここでやりたいんだ」
「え、えーと。ユイにはもう言ったのか?」
「うん。良い曲作るし、本気なら応援するって言ってたよ。スミレさんにも言ってこいって言われたんだけどね」
「そうか……」
ユイがもうその姿勢を見せているなら俺も止めはしないけど……。なんつーか、知らないだけにそれがいいのかわからないんだよなぁ。
「どう……かな?」
「んー……」
俺は腕を組んで考える。
今のダイの成績はどうだろう。中学はトップで卒業。高校は首席で入学。最近やった一学期の期末試験も全教科一位……。
なんだこれ。ユリでもここまで凄くはなかったぞ。高校の偏差値六十ちょっとだからそこそこ高いんだろ? そこでトップって本当にすごいんじゃないか?!
そんな成績なら大手の会社に就職して少し良い暮らしができる社会人にもなれるだろうに。
だが、まあ……。
「星の数ほどの可能性の中からそれを選んだなら、俺もなにも言わない。ただ、やるならしっかり大学に行って勉強してこい。出来ることは全部やるんだ、中途半端は許さないからな」
「!! うん! ありがとう!!」
やりたいように出来る力がダイにはある。それならやるべきだよな。うん。
なんて話をしてると。
「おぎゃあああああ!!!」
赤子の鳴き声が部屋に響いた。入り口付近に置いていたゆりかごの中からだ。
「あーユズが起きたみたいだ。ダイ、ユイを呼んできてくれ」
「わかった」
ダイは走って部屋を出ていった。
俺は赤子を抱き上げる。そしてらしくない声で話し掛ける。
「よしよし。どうしましたか~? オムツは……まだ大丈夫だな。やっぱりお腹すいたのかな~?」
話し掛けながらどうにかあやしてみるが泣き止む気配はない。やっぱり腹が減ったようだ。
「お母さんはもうすぐ来るからね~」
「スミレ! あ、ユズ!!」
「早かったなユイ」
走ってきたのか、少し息の荒いユイにユズを渡す。
「うん。私もそろそろ起きるだろうと思ってたから近くにいたんだ。ほらおいでユズちゃーん。どうしたのかな~?」
「ん。腹が減ったみたいだから飲ませてやってくれ」
「みたいだね」
そう言ってユイは服を捲った。
「っと」
俺はくるりと回って目を逸らす。
「別に家族なんだから見てもいいってば」
「いえ、仕事中なので。あとで頂きます」
「ぷっ。なにそれ、おかしいよー」
「いいんだよ。じゃあ俺別の部屋見に行くわ」
ユズに乳をやるユイを置いて俺は部屋を出る。
廊下をすれ違う数人の女子にユイの居場所を聞かれ、今授乳してることを教えてやると走って向かっていった。
女の子としてそう言うのって気になることもあるのかなー、なんて思って見送る。男子も何をしているのか興味津々だったが女子に止められていた。
なんか面白かった。
とりあえずこれが今の俺の生活だ。満たされている。幸せだ。
ユズは俺とユイとの娘。悩んだが、他の子供たちに平等に愛を注ぎ続けることを二人で約束し、血の繋がった子供を作った。
紀野柚。
ユリを救ったあと、何があるか俺にはわからない。せめて俺が生きていた証しとしてユズを残したいとは思う。
ダイもここに残ってくれるようだし、多分色樹園は上手く回っていくだろう。




