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さて、時間は大きく飛ぶ。
ユイと社員旅行改め、修学旅行のやり直しデートから三年の月日が流れた。
やはりと言うかなんと言うか、俺は紀野園とスターティングとで忙し過ぎた。シャガたちが小学生になったのもあり、余計手が回らなくなった。参観とか特にな。
そうすると忙しそうな俺を見て近所の人たちが手を貸し始めてくれた。口癖のように、遠藤さんに頼まれたから と言って。やはりあの二人には助けられてばかりだ。直接礼や恩を返せないのが本当に悔しい。
あ、そうだ。スターティングは映画化したぞ。結果は大ヒット。わかっていたけど原作を写したこと以外頑張って映画に携わったから結構嬉しかった。
著作権云々のお陰で更に俺の貯金額はおかしくなったり。もう一生何にも困らないくらいだ。
紀野園への経費に回すけどな。
とにかく三年が経った。あの日ユイと休暇を取らせてもらったように、また俺たち二人に休暇が与えられる。どうやらシャガが裏で色々してくれたらしい。
休暇の使い道はもちろんあれだ。
そう、遊園地だよ。
「さ、ついたぞ」
俺は駐車場で車を停める。全員降りるのを待って鍵をかけた。
「ありがとスミレ。楽しみだね!」
「そうだな」
九才になった愛娘が俺の右手を掴んだ。さっきまで後ろでギャーギャー騒いでたってのに大人っぽい顔も見せるようになったもんだ。
俺に対するわがままが少なくなったのは成長が感じられて嬉しいことだが、寂しさの方がでかい。聞き分けのないユリにもたまに無性に会いたくなるなぁ。
「なにがあるかなー」
遊園地内に入ってシャガが言った。シャガと同じように周りを見回して見るが、昔見たのとなにも変わらない。当然と言えば当然だが、なにも変わらない景色に繰り返していることを思い出させられた。
普通に動いているあの観覧車もあと数時間で落ちるんだな……。
「わー! シャガ! シャガぁぁああ!」
「ど、どうした」
「楽しそおおおお!!!」
「お、おう……」
さっそくユリのテンションが爆発してる。シャガの手をブンブン振ってはしゃいで……。
嬉しそうにするユリを見ると俺も来てよかったと思う。
「じゃあまずはコーヒーカップだね!」
ダイが提案し、近くにあったコーヒーカップへ。俺とユイは外から眺めておくことにした。
「あ、あれ大丈夫……?」
子供たちの乗ったカップだけ回転が半端じゃない。ぐるんぐるん回っているが、意外なことにシャガも楽しそうに回している。
「次はジェットコースター!」
「おー!」
俺の記憶通りジェットコースターへ乗り、俺の提案で昼食をとる。しかしシャガは案外平気そうにしていた。俺のときはもうぐったりしていた気がするのに。
「シャガ、大丈夫か?」
「……少し気分が悪いからトイレに行ってくる」
なんだ我慢してただけか。無理しなくてもユリに言えばちゃんとペースを落としてくれるんだぜ?
結構長いトイレから帰ってきた後にシャガはユリに頼んでいたから大丈夫だとは思うが。
楽しい時間はすぐに過ぎる。もう夕方の五時になってなんとなく帰るムードに。
そんな中ユリが言った。
「観覧車」
…………来た。その言葉に俺たちは観覧車へ行き、並ぶ。その途中で落ちてくる観覧車から逃げる。
……今度も逃げられるだろうな。細かいところで今まで未来が変わって来たからなんとなく不安に…………いや悪いことは考えるな。また上手く行くさ。大丈夫、しっかりやれる。
「…………え」
しかし、未来は変わっていた。
俺の予期せぬ方向に。丸っきり出来事が塗り潰されるくらい。
「点検中……?」
「え! 乗れないの!? やだー!!」
点検中と書かれた無機質な看板。間違って何か起きても大丈夫なように観覧車から十分な距離に張られた立ち入り禁止のテープ。
これは……こんな大幅に未来が変わること…………あるのか?
「あー、残念だけど乗れないみたいだなー。仕方ないしもう帰ろう。な?」
わざとらしく話すシャガに目が行く。もしかしてシャガが……。
「お、おいあのゴンドラ様子がおかしいぞ!」
誰かの声に視線が観覧車に変わる。ゆらゆらとそれは揺れていて、そして。
「落ちた!」
「あぶねー!!」
過去と変わることなく、ゴンドラは落ちた。
「も、もし私が乗ってたら!」
「危なかったかもなぁ、良かった乗らなくて。でも忘れちゃダメだぞ? 転落事故が起きたこと」
「転落……事故」
シャガがユリに教えていた。やっぱりこの状況を作ったのはこいつ……。
「シャガ、お前か……?」
「スミレにはバレるのな。うん、俺だよ」
「……ちょっと来い」
俺はシャガの手を引いて、落ちた観覧車を眺めるユリ達から離れる。
「何をしたんだ」
あくまで俺の動揺は騒ぎを起こしたことに対することだけ。そうアピールしないと俺が未来が変わったことに気付いてる、なんて思われてしまう。
「違うんだスミレ。今日観覧車が事故を起こすのは確定していたんだ。スミレは知らないと思うけど、未来のユリから俺は聞いていたから」
いいや、知っていたさ。でも俺がお前のときは転落事故のことなんか全く頭になかった。そこに気付いただけでも未来は変わっているんだぞ。
「けど誘拐事件みたいにユリにはもう怖い思いをしてほしくなかった。だから俺は結果を変えずに事実を変えることにしたんだ」
「どういうことだ……?」
全くもって意味がわからない。
いや、なんとなくわかる。何せ俺なのだから。
「ユリは転落事故をしっかり体験する。けれどユリが危険に晒されるんじゃなくても、今みたいに目の前で落ちるだけでも体験したことになるだろ?」
「……へぇ」
なるほどそう言う方法にしたのか。
俺の時のように必死に逃げなくても今回だけで印象に残るもんな。……考えたなシャガ。やはりお前は未来を変えるべく存在するみたいだ。
「なぜこうしたかはわかった。だがどうやってこんな状態にした? 立ち入り禁止のテープまでお前が用意したわけでもないだろうに」
「それくらいなら十歳の子供でも出来るよ。係員に、僕が乗った観覧車が錆びてて危なかったと思う。一瞬でいいから点検してみて、って言っただけ。一瞬でも点検すれば欠陥部位が見付かるだろうからこうなるだろ?」
「ふーん……」
…………すげぇ。未来の情報を完全に上手く使ってやがる。子供の言うことなんてほとんど相手にされないはずなのに。
俺にもこのくらい出来たんじゃないか。シャガよりもっと周りを動かせるだろ、大人なんだから。すべきだったんじゃないか?
(……いいや、無理だ。ここまで大袈裟に動かせる程、俺は生きてきていない)
鷹さんを失い、蛍さんを失い。操おじいちゃんも亡くした俺は、もう過剰に未来に干渉する度胸はない。
なにも知らないシャガだからこそ出来ることだ。
「上手くいってよかった……」
心底安心したように呟くシャガの頭を撫でる。俺にはこれくらいしかできない。
精々シャガが喜ぶように、よくやった、と笑うしか出来なかった。
「スミレー! もう帰ろー!」
観覧車の惨状を見て意気消沈していたユリはもう元気を取り戻し、俺の左手に飛び付いた。
あの日落ちてくるゴンドラから逃げるときに、ユリを離したスミレの左手《この手》。
「ッ!!!」
突如電流が走ったように俺の左手は痺れた。痺れて一瞬ユリの手を離してしまう。
「ど、どうしたのスミレ」
「……いや。なんでもない。帰ろうか」
「うん」
……思い出した。けど、冗談だろ。もう何年経ったと思ってるんだよ俺の体。
今更左半身に残ったかもしれない障害だってのか。このせいで一時はユリの命を危険に晒したのかよスミレは。
「…………」
四人と共に車に乗ったとき左手を確認したが、痺れはもうなかった。
「ユイが倒れなかったか」
寝室の布団に寝転がって俺は呟く。
チカチカと点滅する蛍光灯。そろそろ替えるべきか。
「悪いことが起きないのは全くもって構わないだが、な」
しかし不安は残る。
何故なら俺の体験した未来は今日までだからだ。明日の出来事はもう知らない。
「ここからどうするべきだ。俺はずっと考えていたはずだろ。……どうする」
明日以降は知らない。やっと俺はこの時代で等身大の人間として生きていける。ユイと全く対等に生きていける。
……全然嬉しくねえ。未来のことが全くわからないなんてこんなに不安だったのか。ユイ達はいつもこんな不安を抱えて生きているのか。
「久しぶりに言ってみるか…………」
体を起こし、電気を消した。明日は一応編集の彼と話し合いをすることになっている。予定はしっかりあるんだ。
明日はちゃんとやって来る。明日何が起きるかわからなかった高校の時、よく言っていたセリフで今日を締めよう。
「明日のことは明日の俺に任せる。今日の俺はおやすみなさい」
次の日、ダイを園に迎えに行ってユリの家まで送り届ける。それから仕事へと向かった。
ユイにそれとなく体調が悪くないかどうか確認したが何ともないと言う。大丈夫かよ……。
「……病院に連れていくか。でも素直に付いてくるか……? うーん」
「先生どうしました?」
喫茶店で、顔を覗き込まれる。
なんでもないです。話を進めよう。
「そうですか? では、第二巻に関してはもうほとんど言うことはないかと思います。出版も来年辺りに目処が立ちそうですしね」
「ありがとうございます」
「いえいえ。それで第三巻ですが、それも結構同時進行で書いているみたいですね?」
全三巻のスターティング。そろそろ俺の記憶も危うくなってきて三巻に関してはほとんど話の流れしか覚えていない。
完全に忘れる前に少しずつ進めているわけだ。
「完全に完結するわけですからじっくり煮詰めたいところですね。一度先生が書き終えたのを何度も見直して行く方法で行きますか?」
「ええ、そうですね……」
スターティングもそろそろ終わりが見えて来たか。まあ、さらに漫画化とかドラマ化とかしてた気がするし仕事は無くならないのかな。
にしても想像以上に金持ったなぁ、俺。大人になったユリの面倒まで普通に見れる。ユイと暮らしていくのも全然余裕。
……ユイ。体大丈夫なのか。
「…………」
「やっぱり変ですよ先生? 何かありました?」
「あ、え、ええ。家内の体調がちょっと……」
「奥さんですか? あーそれは心配ですね。僕の奥さんは元気そのものなんで何にも心配いらないんですけどねー」
編集の彼は笑う。
「うん」
「……そんなに心配なら今日はもう帰りますか?」
「あ…………そうだな。お言葉に甘えさせてもらっていいですか」
「どうぞどうぞ」
彼に勧められるままに席を立とうとした時、ケータイが鳴った。思わず動きを止め、彼と目を合わせてしまう。
彼が頷いたのでケータイを開いた。
…………紀野園からだ。
「もしもし」
予想以上に乾いた声で俺自身が驚いてしまう。
しかし電話の言葉でその驚きなど全て吹き飛んだ。
『スミレさん!? 園長さんが倒れた! 早く帰って来て!』




