36
「悪いな、また来てもらって」
「昨日より元気そうだな」
病室に入ったシャガは俺に言った。お前こそ昨日よりスッキリした顔じゃねえか。
「ああ、ユリのおかげでな」
「……なるほどな」
そう言ってシャガはニヤリと笑う。
俺も同じように口元を歪めて笑った。
「ま、二人とも似た者同士ってことだな!」
「「なんで俺がこんなのと!」」
「ぷっ! ……くくっ」
ユイは嬉しそうに笑った。まったく、園長モードにすぐ入りやがって。
「まあこれだけ元気ならユリとダイを連れてきても平気そうだな!」
「そうだな」
園長が言うのに、シャガと二人で頷いた。ま、ユイさえ一度顔を出してくれたら俺は元気になるんだよ。
じー、と見てくるシャガに俺は話を投げる。
「で、ユリはなんて慰めてくれたんだ?」
「……!」
ニヤニヤと頬が緩むのを俺は感じた。驚いた過去の自分ほどいじって楽しいものはない。こうニヤニヤしてしまうのも無理はないだろ?
「……とてもじゃないけど小学一年生とは思えない方法だったよ。夜にな……」
と、いじったつもりだったがシャガは嬉しそうに話し始めた。照れるよりむしろ話したかったか。なんか負けた気分。
そんな風に他愛のない話をして、過去の事を一通り思い出したりして一日を終えた。次の日には無事、ユリとダイも見舞いに来てくれたのだった。
九月。まだ夏の名残が強い気候の中、俺は切符を二枚持って噴水広場で立っていた。
ああ、マイナスイオンだなぁ。すーごいリラックスする。太陽は気持ちがいい暑さだし、泊まるからキャリーバッグは重いし、すごくいい感じ。
と、目を細めて空を見ていたら突然視界が暗くなった。
「だーれだ!」
「わ! 暗い! なんだこれ!!」
「だーれだ!」
「く、くそ……なんなんだ。世界はどうなってしまったってんだ。日食か? 日食はこうなるのか?」
「……だーれだ」
「強いて言うならユイ」
答えたところで目から手が離された。振り返ると頬を膨らませたユイの顔。
十九の頃から何にも変わってないなぁ。可愛らしい。
「なんでスミレくんそんな訳のわからないことするの」
ぷくー、ってどんどん頬が膨れる。反対に俺の方はどんどん緩んでいくから、世界は均衡を保ってるんだなぁと思う。
「むー」
「ごめんごめん、久し振りだったからテンション上がってるみたいだ」
「……訳わかんないことはしないでよ?」
「はい」
さて、ユイの頬が戻ったところで彼女の服装を見てみよう。
水色の、肩を露出した大人っぽい上の服。下は足首辺りまで隠れる白いスカートだけど、通気性は良さそうだ。腰より少し高い位置でこれまた白い革ベルトで絞めているのがとても綺麗な姿だ。
そしてなんといってもポニーテール。ポニーテールなのにつばのでかい麦わら帽子。歩く度にひょこひょこ揺れそうですごい可愛らしい。
あー、可愛い。めちゃくちゃ似合ってる。
「や、やめてよ……恥ずかしい」
「照れるなってー。ほら、ちゃんと手を繋ぐか腕に手を回すかしてくれよ。ナンパされかねん可愛らしさだからな」
「べ、べた褒め……」
と、照れながらもユイは俺の手を掴んだ。
「よーし、じゃあまずは電車だ」
電車に乗って新幹線へ。碧天駅には、流石に新幹線は来ないからな。
そして新幹線で約一時間。目的地はそこだ。
「うわー! 速いねー!」
「新幹線だからなぁ。こんなもんだろ」
新幹線の中からの景色に目を輝かせるユイ。可愛い……けど、新幹線なら中学校とか高校の修学旅行で乗っただろ?
「ううん。高校はともかく、中学校の時はインフルエンザになっちゃったから新幹線に乗ってないんだー」
「あぁ……そりゃ残念だ」
「高校は飛行機で沖縄だったしね」
「へぇ……」
時代のせいかなんなのか。俺は高校の修学旅行は海外だ。まだ行けなかったのか?
「しかも中学校の修学旅行は今日行く場所だからね! 十年ちょっと経ったけど修学旅行やり直してるみたい!」
「あー、だからコースが中学生みたいだったのか」
「楽しみ!」
スッゴい楽しそう。そうだな、俺も楽しもう。
「スミレ……この場合はミズキくんなのかな? ミズキはどこにいったの?」
「中学は東京。んで観光したら千葉行って有名なテーマパークだな」
「あ、二十年くらいの差があるのにほとんど一緒なんだね。隣の学校がそんな感じだった!」
「高校はグアム」
「えぇ!?」
心底驚いた目をしてる。いや、いただろそんなやつ。
「いなかったよ! 少なくとも私の地区は!」
「ユイどこの高校?」
「碧天高校」
「俺と同じ学校じゃん」
「ええぇぇぇぇええええ!!!」
うるさい。平日だからか知らないけど人は少ないけど、静かにしなさい。
「同じ高校なの! ホントに!?」
「ホントに」
「え、じゃあ校歌歌ってみて。せーの」
「あさつゆのー」
………………。
「我が母校、ここにあり」
「…… 一緒だ!!」
「うん、一緒だよ」
校歌なんてそうそう変わらないだろー。
「えー、知らなかった」
「そんな話も俺はしてこなかった、ってことだなー。今日はいろんな話しような」
「うん!」
頭を撫でてやると嬉しそうに笑った。まるで少女のように無邪気だ。もうすぐ三十なんだぜ。
心を読まれたのか、肩を殴られた。
「部活で海外に行ったやつもいたなぁ。音楽系のクラブは結構そんなチャンスに恵まれるみた」
「合唱部!?」
「まだ俺が話してたろ。……吹奏楽だよ」
「なーんだ……」
ちぇー、とでも言いたげなユイ。そのまま窓にふいっと顔を向けてしまう。
なにがそんなに残念なんだよ。
「私元合唱部なの」
「え、あのユイが?」
「失礼だね。そこそこの成績も残してるんだよー」
だってあのユイだぞ。照れ屋で人見知りの激しかったころのユイ。
それが大勢の前で歌うクラブになんて。
「私はピアノ。碧天の名手なんて言われてたんだから!」
「恥ずかしくて仕方なかったんだろ?」
「……まあ、そうなんだけど」
恥ずかしいからピアノを弾いて、上手いから注目されて余計に恥ずかしい。
なんか可哀想だ。輝かしい功績には変わりないからいいと思うけど!
「音楽室にも写真飾ってもらったりしてるんだよ! 紀野唯、って名前まであるもん!」
「……あ、あれユイか」
「知ってるの!?」
ユリと同じ名字の生徒が写真に飾られてたら気になるし、見に行った。ただ髪の毛はおろしていて、前髪で目とか隠してたから全然顔がわからなかった。
「恥ずかしかったから……わざわざ伸ばしてたの。写真撮られるのわかってて」
「やっぱり。可愛いなー」
「撮り直す!! スミレ、遡行石貸して!」
「い、いやユイは使えないって……使えたとしても帰ってこれないし、あの日のユイはしっかり存在するから意味ないよ」
「むー…… 」
よしよしと、さらに頭を撫でる。大丈夫だ、ちゃんとあの写真は音楽の先生が、輝かしいあの日の合唱部として丁寧に保存してるから。とりあえずあと十年は飾られっぱなしだよ。
音楽の先生も元合唱部だったけな。……まあいいや。
「同じ高校なのに、二十年も違うと全然別物って感じ……。やっぱり変わっちゃうんだね」
「そりゃそうだよ。卒業後にそれを見るのも楽しみのひとつだろ?」
「まあ、そうだね」
そういえば、俺は卒業式に出てないな。まあいいや。
「ま、友達少なかったから別にいっかー」
「よしよし」
やはりユイは友達が少ないか。照れ屋で人見知りだとそうなるよな、うん。
……ミズキの頃はたくさんいたからな! 俺は!
「今は?」
「仕事関係だけ……です」
「よしよーし」
さて、ついた。十一時半。少しお腹すいてきたな。
「よーし、じゃあ初めの目的地!」
「ホテルに荷物置いてからなー」
「うん!」
さて、まずは中華街だ。
秋の遠足と言ったところか。平日なのに地元中学生っぽいのと、他府県から来たであろう高校生が溢れている。
どこからでもしてくる食べ物の匂いに、ますます腹は減った。
「肉まん! 肉まん食べたい!」
「まあ中華と言えば、だもんな。えーと……なんだあれ」
黒肉まん。名前の通り真っ黒の肉まん。試しに買ってみた。
二人で半分に分けて食べてみる。
「ふむふむ……ん。案外普通だね」
「普通だな」
なんかもっとすごい味がするかと思っていただけに、なんだか……。まあいいや普通のも買おう。
「ちまき!?」
「見た目は米の……買ってみるか」
右手に肉まん、左手にちまきのユイ。
「小籠包だ! 買って買って」
「え。じゃ、じゃあ六つ入りのを……」
右手に半分食った肉まん、左手に小籠包のパックの俺。
「あわわわ! ごまだんごー!」
「ストップ!! まず食え!!」
「……はーい」
右手に持っていた肉まんをペロリと平らげるユイ……と思いきや口のなかにいっぱいじゃないか。それでもゴマ団子を見つめ続けているのだから、なかなかの食い意地で……。
「ほははんほ!」
「口のなかの物が無くなってからです」
「むーーー」
口の大きさが違うから俺は口をいっぱいにすることなく肉まんを食べる。ユイはまだパンパン。
しばらく待った。
「食べた!」
「小籠包も冷めない内に食べようなー」
「あ、そうだね!」
一口サイズの小籠包。俺はやはりパクパクと三つ食べてユイを待つ。
……あーあー。二つ詰め込んだりするから食べにくくなるのに。リスみたいだぞ。
「うるひゃい」
「食べてるときに口を開けない」
「むー!! ……んぐ!?」
「あ、喉つまらせた」
こんなときのために買っていた烏龍茶を差し出す。ペットボトルの蓋を開けて渡すと慌てて飲んだ。
「ぷはー! ありがと、死ぬかと思った」
「ユリじゃないんだからペース考えろよー」
「テンション上がっちゃって!」
小籠包も食べ終えて、ちまきも食べる。
「もちもちしてるね」
なんて感想を言いながらもユイはそれもすぐ食べた。念願のゴマ団子。
「ごまだんご三つくださーい!」
「三つ? なんでそんな中途半端な」
「スミレくんも二つ食べる? なら四つだね」
え、ユイ二つも食べる気なの? 大丈夫か??
「食べないの? じゃあ三つのままでいいやー」
そう言ってユイはゴマ団子が袋に入れられていくのを見ている。マジで二つも食べる気なの?
「マジだよ! 大マジ! スミレくんなにか食べないの?」
「えー……じゃあとりあえずあれ買ってくるわ」
俺は目についた店の商品を指差す。少しならんで買ってみた。
「なにそれ!?!?」
ユイの元へ戻ると目を広げて驚いてる。うん、俺もすこしびっくりした。
ハリネズミまん。外はパリッ、中はカスタードだってさ。見た目がめちゃくちゃ可愛いな。
とにかく一口目。
「ふむ」
美味い。クリームパンみたい。
「すぐ食えるな」
「スミレくんはこれ!! わぁああ!!」
パクッ! と俺の手の中のハリネズミまんが消え、変わりに俺の口のなかにゴマ団子が投入された。
「ふがっ。ごふっ!」
「おいひ~!」
俺のハリネズミを口いっぱいに頬張るユイ。くっ、ゴマ団子が口のなかで暴れまわりやがるから全然話せない。
「ん。む。ユイぃ?」
先に食べ終えた俺は彼女の肩をつかむ。手はグーにして顔の横に構えてやる。
「ごくん! 待ってよ! 待って! ごめんなさい!!」
「許さん」
「きゃ~!!」
さっきは本気でビビってるかと思ったら、嬉しそうに目をつむりやがった。
何を期待してるかしらないけど、俺ははしゃぐユイの額にデコピンをかます。
「うやー。いたーい」
「誰が悪いんだ?」
「いじわるー!」
なにが意地悪かわからないな。グーでなにもしなかっただけ紳士だと思いなさい。
「違うよスミレくん。こうするのが正解。目をつむって」
「俺悪いことしてないだろー?」
「いいからいいから!」
はぁ……仕方ないな。罰ゲームの練習ほど意味がわからないものはない。今日はユイのわがままを多少は聞いてあげようじゃないか。
俺はすこし姿勢を下げて目をつむった。
「せーの!」
「!?」
口に当たる柔らかな感触。今まで何度か味わったことのある感触。ここ最近は感じてなかったけど、これは……!
目を、開く。
「んー」
「……おい」
目の前にはユイの顔がいっぱいに広がっていた。
…………なんて事もなく。いたずらな笑みを浮かべたユイが俺の唇にゴマ団子を当てている。
「こ、の……!」
「期待した? 期待したんだー? 意外と欲張りさんだねー! ふふーん、ざんねん! キスはしてあげないよー、だ!」
「絶対許さねえ!!!」
「きゃー! 襲われるぅ~!!」
肩に手を伸ばしたが、避けられる。するりと俺の手の届く範囲を抜けて、彼女は走り出した。
すこしバランスを崩した俺が体勢を整える間に彼女は物凄い速さで逃げる。じーさん譲りの速さかよ!
「待てこらァァァアアア!!」
「こっちだよー! だ!」
車通りの少なくて、人通りもまばらな道を彼女は走る。迷惑を考慮してるのは素晴らしいと思うが、逃げるな!
「ふふーん。……うわ!」
と、ユイが躓いた。バランスを崩して転けそうになっている。そしてその拍子に持っていた(食べかけの)ゴマ団子が手から離れた。
「あ……っ!」
ユイがこちらを振り向いた。
その目は俺になにかを訴えていた。しっかりとそれは俺に伝わる。
……しなきゃだめ?
「うん」
ゆっくりと流れる時間の中で、ユイは頷いた。
……………………はぁ。
コン、とユイは躓いた。
そこで躓いたのがユイの最大の不運だった。
彼女にはアニメやマンガのような特殊能力はなくて。
ただの現代人で。
宙を舞うゴマ団子を。
ユイは掴むことが出来ないわけで……。
「ごまだんごぉぉぉおおお!!!」
「そんなんしてる暇あったら掴めよ!!」
結果、彼女は転けた。
ゴマ団子も地面につぶれた。




