33
一年が経過した。今日は2003年の七月十二日。俺とシャガと、ついでにミズキの誕生日の前日。
……あれが起きる日になった。
今まで合気道に通っていたのは今日のためと言っても過言ではない。……気を抜けない。未然に防ぎたいが、変に未来を変えたくないのも事実だ。だから一度ユリには辛い思いを強いる……クソッ!
「スミレさん今日、機嫌悪い……?」
「ん?」
助手席に乗せたダイが心配そうに俺を見ていた。
「なぜ?」
「なんか……怖い顔をしてる」
お前達にとって俺の顔はいつでも怖いだろうよ。
「いつもとなんか違うので……」
「そっか」
結構ダイは俺の表情を細かく読み取るのな。怯えて見続けてるのか、ただ単に観察能力が高いか。なんだろう。
「大丈夫だ、心配ない。二人と仲良くな」
左手で頭を撫でる。少し嬉しそうに笑った気がした。
「じゃあ大人しくしてろよー」
ダイを下ろし、俺は仕事の話し合いへ向かう。
事件が起きる日に何をしていると言われるだろうが、少し進めておかなければならない話がある。編集の彼はいない。彼を挟まずお偉いさんとスターティング二巻について、だ。
「なぜここをこうする?」
「ヒロインにはやはり不可解な点ですから。一巻と見比べれば謎が解ける展開……と言うか答えあわせが出来て楽しいと思いますし」
「ほう……。ではここは」
「あ、そこはですね…………」
とまあこのように。初めは世間話からだったが徐々に実の詰まった話になった。昼食を喫茶店で済ましてまた話す。そうして時間は過ぎていった。
そして、電話がなった。
「……きたか」
「ああ、どうぞ」
「すみません」
電話と察した相手に促され、席をたった。少し離れたところで電話に応じる。
「もしもし」
「スミレくん!? い、今大変なことになってて!!」
相手は隣のおばさんだった。慌てた様子で早口に話すことから、何が起きたかを理解できる。
「スミレくんの家が火事なの!! いや、まだ火は庭先だけなんだけどもしかしたら家まで届いちゃうかも!! 今ご近所さん呼んでバケツリレーしてもらってるけど全然ダメ!」
「消防車は」
「もう呼んだわよ!!」
……落ち着け。わかってたことだろ。おばさんに当てられてビビるんじゃない、俺。
「今すぐ帰ります。子供たち三人を見つけたら保護してやってください。お願いします」
そこで電話を切る。仕事の相手のところへ戻ると、また電話が掛かる。
手短に緊急であることを伝え、一足先へ帰らせてもらうことにして電話に出る。
「もしもし」
「先生、僕です。先生のおっしゃる通り先生の家から不審な車が出ていきました。運送業者のワゴンです」
「今はどこに?」
もし運命が変わったときのために、編集の彼に見張ってもらっていた。
「国道を逸れて一本道。業者の名前からして港の冷凍倉庫で間違いないでしょう」
「ありがとうございます。そっちへは俺が向かいますので警察のほうよろしくお願いします」
「わかりました」
トランクの中身をチェックして、閉じる。今年の春先に、衣替えと同時に入れた三人分のコートを確認した。車を出してまずは家の方へ。シャガを拾わなければならない。
駄菓子屋の前へ来たときにまた電話が来る。
「もしもし」
「スミレくん!? 今シャガくんが水被って家に入っていっちゃって! ユリちゃんがいないらしいのよ!!」
「もうすぐ着きます。ユリは俺とシャガで探しますので、もう一人の子供と家の方お願いします」
言い終えると同時に電話を切った。ダイを見つけたからだ。心臓に負担を与えないように早歩きで家へ歩いている。
「ダイ、乗れ」
「スミレさん!」
後ろの扉を開けて入ってくるダイ。必死な顔で、もう半べそかきながら俺に話す。
「い、今シャガが先に走っていっちゃってて! ユリが戻ってこないから様子を見に行こうとしたら家の方から煙が出てて! 僕走れないからシャガだけ……」
「ああ、わかってる。シャガとユリは俺が探すからダイはお隣さんに見てもらえ」
家の近くまで来て、バケツリレーが見えた。そこでダイを下ろし、告げる。
「あそこのおばさんに言ってあるからそこで待ってな。二人を見つけたら帰ってくるから」
「……はい」
歩き始めたのを見送って俺は車を出す。家の方に曲がる角を一つ無視してその向こう側へ。シャガはそこにやってくる。
煙の立つ家の傍に来たとき、塀から誰か飛び降りるのを見てクラクションを鳴らす。
「スミレ!?」
「シャガ、乗れ」
シャガが乗ったのを確認、車を出す。
「ダイには伝えておいた。お隣さんが面倒を見てくれるだろう」
「そ、そうか」
こいつが聞きたいであろうことは先に言っておく。だがまだあるらしく、なぜそんなに用意周到なのか、なぜこの時間に帰ってこられたのか。
気持ちはわかるが、諸々無視して俺は話す。なにより優先すべきこと。
「ユリの行方が気にならないか」
「知ってるのか!?」
「当たり前だ。どこに車走らせてると思ってる。……まあその説明にはお前の質問にいくつか答える必要があるかもな」
お隣さんから電話をくれた。俺はたまたま近くにいたから仕事相手に断って急いで来た。いやぁケータイってのは便利だと思うぞ。さっきシャガが水被って家に入ったのもすぐわかったし。
聞いてたシャガが身を震わせ始める。……そうか、今緊張してるんだな。この先どうなるかわからない、ユリに何が起きたかわからない……と。
「……寒いか。冬服一式後ろにあったはずだ、着替えろ。降ろし忘れたやつだ」
言うと、しばらく呆けたシャガだったが、理解が追い付いたと同時に後ろへ下がった。自分の精神状態にも気付けないか。……それだけ必死ってことだよな。
着替え終わったシャガが言う。
「で、どこに向かってる?」
「知り合いがユリを見かけたらしい、だからそっちの方だ」
「車で行かなきゃいけないくらい遠いのか?」
ちらと後ろに目だけやる。不安になってる割にそこまで頭は回っていないか。
……これからもっと不安にさせちまうな。
「怪しい男に車に乗せられる所を見たらしい。業者の車だから恐らく行き先はあそこだろうってな」
「……っ!?」
気付き始めたか。
「港の冷凍倉庫。そこに間違いないってな」
「!!!」
シャガの表情から確信する。完全に気づいただろう。
「コートはあるか? 俺の分とお前の分、それにユリの分だ」
「あ、ああ。ある」
また後ろを向いて袋を探るシャガ。
「警察には連絡を?」
「しておいた。場所も伝えておいたが、明らかに俺の方が着くのが早い」
「そうか」
そして引っ張り出したコートを差し出しながら訊く。俺は鷹さんから譲り受けた黒いコートを受け取り、膝の上においた。
少し進み、目的地が見えてくる。
「見えてきたぞ。あれがユリの拐われた場所だ」
指差すとシャガの顔が真横に来た。徐々に覚悟を固めていくその顔に苦笑を浮かべそうになる。
瞳に強い意思を宿している。……俺は最近こんな表情出来ているだろうか。
ともかく、倉庫の目の前までやってきた。
倉庫は全部で五つ。ユリがいるのは確か真ん中の倉庫だ。
「チッ、車は入れないか」
忌々しげに呟く。車の入れない一本の道。
倉庫へ直結の道だった。ここから回っていくのは時間の無駄だ。
「スミレちょっと、あれなんだ?」
「あぁ?」
突然言うシャガに俺はブレーキを踏む。指差す方を見ようと振り向くと、そこに奴はいない。
車の扉を開けて飛び降りようとしていた。
「シャガ!!!」
「うわぁ!!?」
ゆっくりとは言え動いている車から飛び降りてシャガはバランスを崩す。こけかけたが、耐えた。
ここから車は入れないけど人の足では一番早い道。一人でいくつもりだったか!!
「スミレは車を停めてきてくれ! 俺は先に行くから!」
「ダメだ! 戻ってこい!!」
中身が高校生なのを俺は知っている。だが体は子供なんだ。無理がある。
さらに俺はこの後どれだけ怖い思いをするかも知ってる! お前にはそんな経験してほしくない!!
「シャガァ!!」
戻ってこいって!!!
一瞬振り向いたシャガの顔。悲痛な表情をいっぱいにしていた。
「クソッ!」
あいつは走っていってしまった。追いかけるにもこんなところに車は停められない。
ぐるりと回ったところにある駐車スペースに急いだ。
「なんでこんなくだらねえ運命も変えられないんだよ!!」
走って倉庫へ向かう。車を停めるのは簡単だったが、如何せん距離が遠い。全力を出しても五分は掛かる。
そして遠目に倉庫の扉が見えたとき、その扉を大きな体格の男が入っていくのが見えた。
(あれは……!)
間違いない。俺を蹴った男だ。
そいつは完全に入ってしまって俺には姿は確認できなくなってしまう。つまりシャガ達の元へ着いたと言うこと。
もっと速く走れ俺!
「ガアアアアアアアアア!!!!!」
扉の前に辿り着いた俺の耳に届いた声。俺はそこで足を止める。
頭の中で、何かがプツンと切れた。
「この子か……」
ユリの前で屈む男を確認する。冷たい倉庫の中に自分でも驚くほど冷たい声を響かせ、そいつの気を逸らした。
「その辺でやめておけ」
でなければ殺すぞ。
恐怖に満ちたユリの顔。苦しそうに倒れるシャガを見て心の中で呟く。
……こんな状況になるのを知ってて、そのままにしたくせに。攻撃的な言葉は出さない。そんなことを口にする権利は俺にない。
だから続く言葉は守る言葉。
「俺の子供達に手をかけるな」
気付いた男が顔をしかめてこちらを見る。俺はシャガに目をやり、合図を送る。
あいつの目、左手、そして握られた鉄パイプ。察したシャガはよろよろと立ち、右手で棚を掴み息を吐いた。
シャガの覚悟を強く燃やした瞳。……はは、かっけぇよ。そりゃユリが惚れるわけだ。
「はぁ……」
ため息を吐きながら男が俺へ拳を飛ばす。だが俺の足ももう避ける動きをしている。余裕だ。
昔は大男だと思ったが大人になると大したことないな。確かに身体はでかいけど圧倒されるほどじゃない。
「え?」
避けた俺に男は素っ頓狂な声をあげる。……ったく、溜め息を吐きたいのは俺の方だっての。最大の脅威だと思ってたお前が、こんなに遅くて弱いなんて拍子抜けすぎる。
俺は横を通り過ぎる腕を思い切り蹴りあげる。このままボコボコにしてもいいが、今回のヒーローはシャガだ。俺はあくまでサポート。
だからシャガの真ん前に素早く回った。
「シャガ、一発だけでいい。一発だけ一番無力化できそうなところをそれで殴れ」
シャガは少し目をやって了承した。
「!」
男が殴りかかった。俺は素早く足を引き、身体を逸らせて避ける。
シャガが鉄パイプを大きく振りかぶったのを確認して、蹴りあげた。
「だぁぁぁああああ!!!」
よろめく男にシャガが叫びながらパイプを振った。
「ふゴッ!?」
男の急所。奴はそこを押さえて倒れる。
「ゆ、ゆるさ……」
少し悶えたが、すぐに身体を起こし始めてシャガに手を伸ばす。
痛みをおして立とうとする根性はすげえかもな。まあそんなところ殴られたら痛みの前、痛すぎて怒りすら沸くか。
「ふん!」
「あッ!?」
そんな男に同情すらせず追撃をかますシャガに苦笑すら浮かべてしまうが、俺の気分も爽快になる。グッジョブ。パトカーの音も聞こえ始めたし、一件落着か。
そうこう言いながらユリが縛られた縄を解く。
「シャガ!」
「ひぅ……っ」
縄をほどいた瞬間ユリはシャガに飛び付いた。
あーあ、シャガのやつ涙目になってら。ユリの前で情けない声上げられないもんな。わかるわかる。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
「ま、まあなんとか」
こんなやり取りもしたっけか。もう十五年程前の事だから細かく覚えてないな。
と、そこで警官の一人がやって来る。シャガはそれを見て安心したのか気を失ってしまった。
「シャガ!?」
「大丈夫だユリ、疲れただけだから」
ユリをたしなめ俺はシャガを背中に担いだ。
警官は色々と質問してきたが、後日と言うことにしてもらった。明日辺り病院で頼む。
さっきシャガに股間を殴られまくった男は勿論、奥で悶えていた男もパトカーに連れられた。いたな、あのロリコン。はっきり覚えてる。
(……!!)
そこで、俺は唐突に思い出した。
別に思い出さなくてもよかったことだろうが、思い出した。
「おい!」
肩を捕まれ連行されていく奥の男を呼び止める。
もう詳しく何年前かわからないが、まだ俺が城井瑞樹として生きていた頃の記憶。確か十七歳だったから……今から十年後か。
「あんた、十年後にまた同じことするぞ。何年刑務所にいたかは知らねえが十年後にたまたまこいつを見かけるんだ」
「……?」
男も、警官も訝しげに俺を見る。
構わない。俺もシャガみたいに少しは運命を変えたいんだ。
「そして裏路地へこいつをつれていく。何故だかナイフを持ち歩いていたお前は、復讐だとか言って今日と同じように襲い掛かる。だがな、弱った心と衰えた体のお前は、また十七のこいつにボコボコにされるぞ」
シャガを見せて言う。彼らからすれば未来予知。もしくは頭がおかしいとすら思われている。
知ったこっちゃねえ。
「忠告するぞ。絶対に刑務所から出たあとは犯罪を犯すな。逆恨みで襲っても負ける。同じことをまた繰り返すだけだからな」
……言いたいことがイマイチ纏まらなかったが、もういい。多少未来に影響してくれることを願う。俺がもうなにも言わないことを確認すると、警官はまた男を連れてパトカーへ入っていった。
さて、シャガを早く連れてってやらないとな。




