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 さて、この十ヶ月で行っていたのは何も園のことだけじゃない。

 スターティング。あの作品のことで編集の彼と何度か話し合った。基本的に紀野園から離れられない俺の代わりに色んなことをしてもらった気がする……。


「ま、僕は先生の作品が好きですから。なんともないですよ」


 彼は笑顔でそう言ってくれた。この件が落ち着いたら旅行にでも行ってもらおうかな。


「いえいえ! 僕はまだまだこの作品を広めていきますよ! 映画化した後もね!」


 そう、映画化だ。あまりに早すぎる! と思ったがそうでもないらしい。

 脚本を作るのにも大分時間がかかるみたいで、俳優とか探してーってしてると俺の知ってる年に映画が公開される計算になった。大変なんだなあ。


「ホントにごめんなさい」

「いいですって! 先生は素晴らしい作品の上に、収入を孤児院のために使うような方です! だから僕は頑張れるんですから!!」

「や、やめてください……恥ずかしいです」


 彼は俺と同い年くらいの若さなのに本当に優秀だ。スターティングが広まったのはこの人のおかげなんだろうと思う。


「では僕はこの辺りで。また進展すれば持ってきますね」


 進展すればって。あなたが持ってきてくれるのは俺がイエスとしか言えないほど完璧な話ばかりじゃないか。……マジで感謝してる。


 つーわけで、十ヶ月の間にも俺の銀行口座はどんどん膨れ上がったのだ。

 しかし一ヶ月後……。


「おじいちゃん!!」

「園長さん!!!」


 園長が倒れた。俺には想像もつかないことだった。防ぎ方なんて知らない……。


「はっは……。そろそろかの」


 園長は病室で薄く笑った。


「じーさん……」

「スミレ、わしはそろそろ本当に近い。ユイとふたりで話したいのじゃが……」

「わかった」


 医者が言うにはこれからどうなるかわからない、と。最期は皆で看取るのが幸せだろうとも言われた。じーさんと話をしていなかったら、俺はここで助ける方法を医者に聞いていただろう。

 が、そんな愚かなことはしない。園長は俺に話したように、わかっていたんだ。


「ねえ、スミレさん。お姉ちゃんと園長さんはなんの話をしてるの?」


 いつかにミルクを作ってくれた少女が言った。俺にはわからない。

 ユイにとって最後の家族であることをじーさんも知っているはずだ。だからそこに気を使ったことも話しているだろうが……。


「……最後の挨拶だろうよ」

「そっか」


 病室の前には園の子供が皆並んでいる。ユイとの話が終わり次第、彼らも中にいれるつもりだ。


「皆、ここは病院だ。……泣いてる子もいると思うが静かにしような」


 ユイに教えてもらったようにしゃがみ、園長に言われた通りできる限り優しい声で皆に声をかけた。


「「「はい……」」」」


 今日ばかりは俺への怯えもなかった。そんなことより園長の方が心配なんだ。怯えてる暇はないよな。


「よし、えらいぞ」


 俺は20人強の人数の頭を撫でて回る。少し安心した顔になった子供がいてよかった。


「ミズキくん。皆を中にいれてくれる?」


 話を終えたユイが出てきて言った。俺は黙って頷き、皆を中に入れていく。全員入ったとき、園長のベッドの周りは1ミリも空いていなかった。


「みんなありがとうな。こんなに大勢に囲まれて本当に幸せじゃ……」


 園長は目を細め口の端を曲げた。涙が流れている。

 俺の胸の奥が締め付けられた気分になってくる。


「フユカ、お前は本当にひねくれた子じゃった。でも誰よりも人の為に動いて頑張り屋だったのをわしは知っていたぞ」

「園長さん……!」


 園長は近くにいた少女の頭を撫で、言い始めた。さながら別れの言葉。あるいは最後の褒め言葉とも言えよう。

 彼は涙を流し、声を震わせながら。でもしっかり子供たちの頭を撫でて話していく。


「ナオキ、お前の大好きなカレー。わしも大好きじゃった。いろんな人になんでも聞いてどんどん吸収する力は誰にも負けておらんかったぞ。これからもそれを伸ばしていくが良い……」

「園長さん!! 死なないでぇっ!!」


 幼い少年の訴えに周りは泣き声を漏らし始めた。俺の言いつけをしっかりと守る彼らの健気さに、また胸が締め付けられた。

 我慢なんて……させるんじゃなかった。


「はは……本当に。素晴らしい光景じゃ……」


 じーさんはそう溢した。赤子のダイの頭も撫でていた。本当に愛おしそうに、まぶしそうに。


「最後かな。ユリ、おいで」


 ユリの体を持ち上げて俺はベッドに乗せた。おしゃぶりを咥えた彼女は現状を理解していないようだ。つぶらで素直な瞳が、しかし真っ直ぐと園長を見つめている。


「これから……本当に辛くなるだろう。様々な困難が待ち受けていると聞いた。……しかし忘れるでないぞ。強く、強く希望を思うことが奇跡を起こすのじゃ」


 ぽろっと。ユリがおしゃぶりを離す。

 それを持ち、園長に向けた。


「素直な子になるのじゃぞ。可愛い……我が孫よ」


 園長はそっと目を閉じた。

 ユリはおしゃぶりを園長に咥えさせようとしているかのように手を精一杯伸ばす。

 が、届かない。


「わあああああああああああああああああ!!」


 周りの誰よりも大きな声でユリは泣き叫び始めた。それに釣られて子供たちも大声で泣く。ユリは泣いて、叫んでしながら、でも園長の口に手を伸ばし続けた。

 届かない。

 届かないんだよ。

 ユリ、園長の涙は、それでは止まらないんだ…!


「わああああああああ!!!」


 泣いていない子供などいない。


「わしは幸せ者じゃ……」


 そんな空間でただ一人。おじいちゃんだけは幸福の笑みで眠っていた。








 葬式はしっかり行われた。関係者しか集まらないが、園を出て行った子供たちも来たようで、結構な人数になっていた。

 一番年上で25くらいの人がいた。園長さん……、と呟く彼にとってじーさんはどのくらい大きな存在だったのだろうか。里親に引き取られたとは言え、孤児の面倒を無償で見てくれた彼への感謝は数え切れないほどだろう。

 ……本当に素晴らしい人だったようだ。


「私さ。強くなろうと思う」


 すべて終わった日の夜、ユイは言った。


「おじいちゃんと話してさ、本当にそう思ったんだ。園は任せたって言われて……」

「ああ」

「私、未来の私みたいになる。スミレくん手伝って」


 もちろん。


「よかったぁ」


 嬉しそうに笑ってユイは俺に抱きついた。


「俺も変わることにする。……俺の知るスミレのような強さを感じさせられるようになりたい」

「スミレく……スミレは今のままでも十分強そうだよ?」


 呼び捨てだ。嬉しくなって俺は彼女を抱きしめる腕に力を入れる。


「未来では今ほど怯えられてなかった……と思う。ユリが成長すれば俺はユリと一緒にあの家に住むからわからないけど」

「シャガの時はあっちで暮らしてたんだもんね」

「……一人で大丈夫か?」

「皆がいるから大丈夫だよ」


 いつもより強く、彼女は言った。前々から思ってたけど、確実に自信はついてるよな。


「あ、そうだ。おじいちゃんがスミレにこれをって」

「……?」


 一度体を離す。彼女はエプロンのポケットから何かを取り出した。


「封筒?」

「うん。読んで」


 封筒を受け取って開け……るのをやめた。


「?」

「またひとりで読んでおくよ。何となくそのほうがいい気がする」

「そっか」


 そして、また沈黙。二人とも話さないが、一緒にいるだけで心地よかった。

 ぽっかり空いた穴を、少しずつ埋めてくれる気がした。


「……おじいちゃんもスミレも忘れてるみたいだけどさ」

「ん?」


 星空を眺めながらユイは口を開いた。


「ユリも私の家族なんだよ?」

「……あ」


 そういえば血が繋がってるんだった。


「そうじゃなくても皆いるもん。二人が思うほど私は一人ぼっちじゃないよーだ」


 口に出すと結構ホッとするね。彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。

 かわいい。


「さって、もう入ろっか」

「そうだな。風邪を引いたら大変だ」


 ……1日はゆっくりと更けていた。


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