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「スミレ……いや、ミズキ。話がある」

「……?」


 ここ何年か、俺をミズキと呼ぶのはユイしかいなかった。

 鷹さんがそんな呼び方するって……なにかあるのは間違いない。


「どこにいくんですか?蛍さんまで連れ出して」

「まあついてこい」


 リビングでゆっくりしていた蛍さんを起こして、手を貸しながら二階に上る。

 二階にあるのなんて物置とまだ空いてる、後にユリの部屋となる部屋と、俺の部屋だけだ。

 と、考えていると鷹さんは物置部屋の扉を開けた。


「さあ、入れ」

「あ、はい」


 夏服を大量に入れたクローゼットが並ぶ部屋。

 クリスマスツリーとかあって、本当に物置だ。


「とりあえずこのクローゼットを開けて、と」


 鷹さんがクローゼットを開ける。

 そして中に手を伸ばし、なにかを取り出した。


「……その箱は?」

「ん、開けてみろ」


 渡された白い箱を開ける。

 クッションの上に大切に布で巻かれた……、!!


「こ、これ!」

「ああ、タイムマシン……城井氏の呼び方を借りるなら、遡行石だ」


 そこう……いし。

 見覚えのある灰色の石……と、思っていたが。

 石の一番尖った部分はスイッチみたいになっていることを知った。


「そこを押せばタイムスリップができる……が、それができるのは城井瑞樹だけと設定されている」

「ふむ……」


 つーことは俺がこのスイッチの先を押せば時間が戻るわけか。


「いいや、違う。そいつを使うのにはいくつか条件を満たす必要があるんだ」


 言って、彼は説明し始める。


 条件はユリと俺のことらしい。

 まず、遡行石はユリが生きている間は発動しない。

 そして発動させられるのは城井瑞樹のみ。

 城井瑞樹と同じ体と言うことでシャガも条件内に入っているが、スミレはそこに含まれないらしい。

 製作者である城井氏と遠藤夫婦も頑張ったらしいが、同じ人間は三回以上のタイムスリップは出来ない。

 なんでも、時間遡行時に流れる電気が三回目で耐性が出来ているとのこと。


「神が与えてくれた三度目のチャンス、ってことだね」


 ユリが死に、ミズキかシャガが踏むことでやっと動くこの代物は。

 ユリと俺二人だけの為に作られたこれは。

 城井氏に遠藤夫婦、スミレに、シャガだって加えていい。

 多くの人の思いを背負っている。


「実験なんて出来ない一度きりのアイテムだから、丁寧に保管しててね」

「……もちろんです」


 ありがとう、あの日俺が押し退けた俺。

 おかげでここまで来ることが出来た。

 スミレとして、最後まで全力を振り絞るから、見ててくれ。


「じゃあ設定するね。まず一回目の遡行ではいつのどこに飛ばせばいいの?」

「2002年3月3日。この家の、俺の部屋に飛ばしてください。シャガとして目覚めた、あの日に」

「わかった」


 蛍さんは遡行石を少しいじり始め、しばらくしてまた俺に質問する。


「二回目は場所の指定を出来ないけれど、いつに飛ばせばいい?」

「俺がこの家の前で倒れていたあの日でいいです。1993年3月3日」

「ん」


 またいじる。

 何をしているか理解できないけれど、時間設定かなにかなのだろう。


「よしできた」

「……じゃあ用事はここまでだ。遡行石はお前に預ける。しっかりと役目を果たしてくれ」

「は、はい!」




「で、それがその……そこう、いし?」

「うん。ユリを助けるための重要なアイテムだ」

「私の……従妹を」


 まあユリは従姉妹同士なことを知らなかったけどな。

 22歳差か……まあ蛍さん紀野夫妻と遠藤夫婦も結構歳離れてるみたいだし、そんなものかぁ。

 ちなみにユリが生まれていなくて、生後三ヶ月の俺でも遡行石を使うことは可能だったりするらしい。


「不思議な感じだね。私は従妹のユリのことなんてなんにも知らないのに、スミレはもう何年も前からユリのこと知ってたんだもん」

「まあな。でもユイのことも何年も前から知ってるんだぞ?」

「……ふふ」


 頭を撫でると嬉しそうにすり寄ってくるユイ。

 可愛らしい、本当に。


「でも、この先あの二人がいなくなるんですよね」

「ああ。今の状態から何が起きるかわからないけれど、俺の知る未来ではいなかった」


 ユリは二人の顔を知らないし。

 目も開く前にいなくなると言うことだろう。

 ……時期は近い。


「……なにがあっても、傍にいてくれるか?」

「もちろんです。ユリを助けるまでも、助けたあとも」


 夜空の見えるベランダで、俺はユイの肩に頭を乗せた。




 あっという間に時間が経ち、3月2日になった。

 大人になってから時間の流れが早く感じるようになった……わけでもないけど。

 なんだろう、季節をゲームのイベントのように考えてしまう節があるな……やめないと。

 さ、てと。

 蛍さんはもう陣痛の間隔が短くなり、出産の準備を始めた。

 夫婦の意向で病院で産まないことになっている。

 助産師を呼んで自宅で、だ。

 俺は部屋を追い出されてタオルとかお湯とかの用意に徹する。


「ミ、ミズキ! 俺はど、どど、どうすればいい!」

「落ち着いて! 蛍さんの手でも握っててください!!」


 この日のために買ってた産湯用のあれに湯を張ったし、タオルのストックと桶に湯を入れた。

 よし、これでいいはずだ。

 珍しく慌てふためく鷹さんを追いやり、俺は用意を終える。


「……ふぅ」


 リビングで椅子に腰かける。

 蛍さんのいる部屋からまだ声は聞こえるが、俺の方は一段落ついた。

 時計を見れば23時頃。

 はぁ……。




「……起きろ! スミレ!」

「うゎ!」


 鷹さんに起こされ、目を覚ます。

 ぼやけた視界の中、彼の顔は蒼白。

 まさか……!


「ユリ!!」


 蛍さんのいた部屋の扉を開けて飛び込むように部屋へ入る。

 寝ぼけていた頭は一気に覚醒し、視界がはっきりする。


「……うるさい」


 助産師の声。

 そして今まで気が付かなかったもうひとつの声。


「おぎゃあああ!!」


 赤子の鳴き声だ。

 この世に生を受け、自らの存在を周りに主張するが如く泣き叫ぶ声。

 その勇猛な彼女に思わず涙が流れてしまう。

 この子が、この子がこれからあの過酷な運命を背負うんだ……。


「ユリ……」


 疲れきった顔の、しかし希望に満ち溢れた蛍さんの横に座る。

 ユリは彼女の腕のなかで泣き叫んでいる。


「スミレくん、抱いてみる?」

「あ……は、はい!」


 既に鷹さんが産湯に浸けたらしい赤子を抱く。

 産湯につけたときから一緒って嘘じゃなかったんだな。

 頬を伝う涙をユリに当たらないように避けながら、その小さな生命を腕に寄せる。


「小さい……ですね」

「うん。そんな子がミズキくんの恋人になるのよ」

「あの、ユリに……」


 未だ泣き止まぬ赤子を蛍さんに返す。


「ありがとうございました」


 礼を言う。

 色々込めたありがとうだった。


 時刻は2時10分。

 つまり3月3日は彼女の誕生日だ。




 そしてその三日後。

 遂に俺が最も恐れていた日が来た。


「ミズキ、話があるから来てくれ。……ユイちゃんも」


 俺の部屋で二人でトランプしてたときだった。

 ……なんだ?


「鷹さんってミズキって呼んでるんだね」

「あー、いや。使い分けてるみたい」


 今の俺の話をするときはスミレ、未来に関する話になるとミズキと呼ぶ。

 下の階に降りると、リビングに鷹さんと蛍さんが座っていた。

 蛍さんの腕のなかにユリがいた。

 三日で少しは見慣れた光景が、この時ばかりは空気が張っていた……と思う。

 俺たちも二人の向かいに腰かける。


「三日……」


 鷹さんがゆっくりと口を開いた。

 重く低い、思い詰めたことを感じさせる声。


「俺たちが人生でユリと過ごした時間だ」

「……??」


 前置き……にしては話が見えなさすぎる。

 しかしなんだ。

 なんだこの嫌な感じは。


「いや、前置きなんていいだろう。単刀直入に言う」

「…………」

「……俺たちは姿を消す」


 来た……!

 そうか、この日なのか。

 ユリと三日しか過ごさないでいいのかよ……!


「わかったみたいだね、ミズキくん」

「……はい」


 三日だぞ、三日!

 それでいいのか二人は!

 鷹さんが先に言ってしまったように名残惜しいのは目に見えてわかった……。

 なぜ、なぜなんだ。


「この話を聞く前に一つ約束してくれ」

「?」

「お前は一切悪くない」


 鷹さんの真っ直ぐな視線。

 俺の目の奥すら通り越して思考を覗かれてるような錯覚に陥りそうだ。

 そのくらい、なにもかも見透かされそうな目。

 ふと、テーブルの下の手に感触を感じる。

 ユイが手を握ってくれた。


「わかりました」

「よし、ならば話そう」



「先に言ったように俺たちは姿を消す。どこにいくかなんて野暮なことは聞くなよ?

「……全ては遡行石の存在に起因する。あれの材料だ

「城井氏が完成まで長い年月が掛かった理由だ。原理を発見するには破片から解析し、20年はかからなかったらしい。それでは残りの60年はなんだ?

「材料集めだ。あんな高密度で高性能なアイテムには、とてつもなく高価な鉱石などが使われた。だから城井氏のように正当に手にいれようとすれば60年なんて時間不思議じゃない。

「……俺たちは正当な方法で手にいれなかった。研究会社に侵入して盗むなんてまだまだぬるい。富豪の家に忍び込んで、人を殺めたこともあるくらいだ。

「俺たちはそのくらいの犯罪者なのだ。今すぐ指名手配されてもおかしくない、むしろ今指名手配されてないのが不思議なくらいでな。そんな奴らの娘は幸せに暮らせない。普通に生きることすらかなわないだろう。

「だからこの子を紀野園に捨て、俺たちは姿を消す。もう二度と連絡など取れないところへ行く。……そういうことなのだ」


……。

犯罪を……。

二人は……!

きゅ、とユイの手を握る力が強くなる。


「俺は……俺は……」

「ユリを頼む」


 なにを言うべきか、なんと俺は二人に言えばいいかわからなかった。

 そんな俺に、鷹さんが力強く言い放った。


「でも、でも俺のせいで……!!」

「先に言っただろ。お前は一切悪くない」


 そんなこと言ったって、俺が未来から来なければ二人は幸せにこれからの時間も暮らせただろ!?

 俺のせいじゃないか!!


「……城井氏に言われたことでこのことがあった。選択は任せると言われたが、私たちは最終的にこうなることを選んだ。お前は悪くないんだよ」

「しかし……!」

「そうやって自分を責めると思ったから、始めから言わなかったんだよ? それにまだ言ってなかったことがあるの。城井瑞樹さんが来たとき、不幸なことがあったって言ったと思うんだけど……そのこと」

「蛍……さん?」


 彼女も力強い目をしている。

 なんだ。

 なんなんだこの二人は。


「私は子供ができにくい体質なの。そしてやっとできた子があの日、死んでしまった」


 !?

 ユリの兄か姉がいたってことか……!?


「命を絶とうと思うくらい絶望してたときに城井さんが来て、新たな希望を教えてくれた。私たちの命はあの時救われたの。なくなるはずだった命として、二人で今日までしてきたのよ。ミズキくんが来てくれなかったらこんなこともなかった。ありがとね」

「そう……ですか」


 ……ダメだ。

 二人を止められる気がしない。

 俺がどれだけ二人に消えてほしくないと思っても、運命がそれを許してくれない。

 どうすればいい。

 どうすればいいんだ……!


「スミレくん」

「……ユイ」


 テーブルの下で繋いだ手を見る。

 冷や汗を多量にかいてることをそのとき知った。


「どうすべきか、もうわかってるんでしょ?」

「…………」


 夫婦の目を見る。

 さっきと変わらない覚悟を決めた目だ。


「俺は二人に消えてほしくないと心の底から強く、強く思っています。でも仕方のないことなのは頭でわかってるんです……」


 顔が熱くなり、目が熱くなり、涙がこぼれた。

 声だけは震わせちゃいけない。

 ……崩れてはいけない。


「どうにも……ならないですよね」


 呟く。

 それしかできないから。

 蛍さんと鷹さんは優しく微笑むだけだ。

 ……俺はなにもできないのか……!!


「……一つだけお願いしよっかな」


 蛍さんが笑みを浮かべたまま言う。

 鷹さんと目を合わせて頷いた。

 ユリを必ず助ける、なんてことじゃないよな。

 お願いされるまでもなく義務として、しなければならないことだから今更……。


「ユリとミズキくんの交際を許可します」

「!? ど、どういうことですか!?」


 二人の優しい笑みがいたずらっぽさに染まっていく。


「ミズキくんってスミレくんのことじゃないよ? ユイちゃんがいるからスミレくんは大丈夫だよね」

「18年後にこの子の恋人となる少年のことだ。ユリを助けられたあかつきにはスミレ、お前が二人を見守ってやってほしい」

「俺が、ユリとミズキを……」


 そういうことか。

 親公認のお付き合いだったわけだ、俺たちは。

 俺の知るスミレはきっと伝えられなかったままだろう。

 3月3日……ユリを助けられたら伝えなければならないから。

 ……でも。


「瑞樹ってまだまだ子供ですよ……?ユリを傷つけないとは限らないし……」

「自分のことが信用できないか?」

「だって……」

「大丈夫だよ。ミズキくんになら任せられる。だってこの子を助けるために時間まで飛んできてくれたのよ?高校生のときと思いの強さが変わらないなら、君たち以外の男の子はいない」

「蛍さん……」


 知ってるけど、瑞樹がどれだけユリを愛しているかなんて。

 彼女との時間を取り戻すためにならなんでもするんだ。

 それはシャガであり、スミレであり、遡行石を作った城井氏である。

 ……大丈夫か。瑞樹で大丈夫か。


「この子をお願いします」


 二人は深々と頭を下げた。

 娘のため、そして俺のことを思ってくれた二人の姿に、涙の堤防は完全に決壊した。


「わかり、まし……た!俺が、おれがユリとミズキを守ります!!」


 話を終えた。

 ユリを任せる宣言でスッキリした二人は、夜に片付けをしていた。

 ユイは帰らず、ずっと俺の手を握ってくれた。

 ……たまらず涙を流したが、下に降りることはしない。

 別れは済ませたんだ。

 遡行石の箱を眺めて、俺は眠りにつく。


 次の朝。二人の荷物がほとんどなくなっていたのは、言うまでもないだろう。

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