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「はぁ……はぁ……」

「は……は……ケホッケホッ」


 結構な距離を走って辿り着いた。咳き込むユイさんにペットボトルを渡して、手頃な所に俺のコートを敷いて座らせる。

 鷹さんのじゃん。ごめんなさい。


「大丈夫ですか……?」

「……んく。はい、まあ……」


 息の荒い彼女だが、顔はさっきより落ち着いていた。

 しばらくそのまま待ち、時間が経った。


「もう、大丈夫です」

「そうですか。では、隣失礼しますね」


 広げたコートに俺も座る。

 肩ががっつり当たっているが二人とも気にしなかった。と、思う。


「スミレさん、ここは……?」

「名前も知らない川の河川敷です」


 時計を見れば3時過ぎ。そろそろ丁度良いかもな。


「何故こんなところに……?」

「俺はこの場所が好きでね。高校のときのランニングでここだけは通るようにしてたんです」


 家から直線距離五キロほどだったが、ここは通りたかった。

 二十年前から景色が変わっていなくて嬉しい。


「この時期だと夕日があの住宅地のとこに沈むんですよ。それが川に映って、辺り一面オレンジで染まるんです」


 ユリと何度か自転車に二人乗りで見に来た思い出の場所。

 俺が告白した、思い出の場所。


「ユイさん」

「……さん付けは」

「ユイ」

「!」


 言わなければならない。訂正しなければならない。

 でないと彼女は勘違いして傷ついたままになってしまう。


「俺は確かに何年か多く精神の年齢を取っている。けど、子供の四年と大人の四年では大きな差が生まれるんだ。

「それに、俺はその間十八歳以上の経験をする機会はほとんどなかった。だからシャガの時も、今のスミレも十八歳で止まってるんだ。

「俺は年上なんかじゃない。人より多く十八歳なだけなんだ。

「だから勘違いしないでくれ。ユイと俺は、対等だ」


 とりあえず言い終える。ユイはどんな返しをしてくるか……。


「スミレさんと、私は、対等……なの?」

「ああ」

「……スミレさんは、年上じゃないの?」

「ああ」

「今……今、ユイって呼んでくれた?」

「ああ、呼んだよ」


 彼女の目にまた涙が溜まる。声はもうとっくの昔に震え始めているし、顔なんて真っ赤だ。


「スミレ、さん」


 夕日が丁度最も川と共に町を茜色に染め始めた瞬間、ユイは俺に向き直った。


「来るか?」


 手を広げてみる。


「……はい!」


 草と土の匂いが俺の嗅覚を刺激する。後頭部に柔らかい土の感触。耳は草にくすぐられてむず痒かった。

 腕は柔らかい体を抱き締めていた。首もとは嗚咽混じりの息でくすぐったい。

 俺はユイを抱き締めて、彼女も俺に腕を回していた。さらさらの髪を撫でるとさらに泣き声が増えた。

 この瞬間だけは、彼女が最もいとおしくてたまらなかった。




「落ち着いた?」

「はい、ごめんなさい……」

「いえいえ」


 目を腫らしたユイさんの頭を撫でる。

 ユリを裏切る気持ちなんて微塵もない、がそれとこれとは話が別なのだろう。


「その、スミレさんは私のこと……どう思ってますか?」

「ん?」


 ユイさんのこと?

 つまり……。


「恋人さんのことは裏切れないですよね……」

「ああ、そういうこと」


 ユリか。

 ユリは俺にとって最も大事な存在だ。彼女を救うことは絶対的な目的で、その動力である彼女への愛は一切衰えていない。

 だからユイさんのことは受け入れられない。

 ……わけでもない。


「前に言ったように俺はユリを愛しています。でも、これも前に言ったように恋人として彼女の傍にいるのは不可能なんです」


 俺の知るスミレに、ユリを恋人として見る目は一切なかった。愛しそうに見つめることは何度かあったが、全部娘に対する目だったと思う。


「だからユリはもうとっくの昔に俺の恋人じゃないんですよ」


 恋人から五年ほど姉や妹のような扱いになって、そしてこれから娘になっていくんだ。愛の強さは変わらずとも、種類は変わるんだ。


「……俺はユイさんと、恋仲になりたいです」

「…………」


 奇しくもユリに告白したのと同じ日の同じ時間。俺の体感時間では八年程経ったと思うが、全く同じセリフを言ってしまった。

 あの日、俺の告白にユリは笑った。

 そして口を開いてこう言うんだ。


「ふふ、恋仲って、ミズキくんそんな言葉なかなか使わないよ?」

「……!!」


 ミズキくん……!?

 い、今のはユリが乗り移りでもしたのか!? ユイさんはスミレさんとしか呼ばなかっただろ!


「私やっぱりミズキくんが好きです。こんな私でよかったらお付き合いしてください」

「!!!」


 ユリだ。

 どこからどう見てもユリだ。

 ユリと全く同じことを言うじゃないか。……やっぱりユリとユイさんは血が繋がってるよ。


「もちろんです!!」


 ……ユリ。必ずお前を助けてやる。お前を最も愛する城井瑞樹と、ずっと幸せに暮らせるように俺が助けるから。

 でも、独りは寂しいんだ。色樹菫は紀野唯さんに支えてもらうことにする。城井瑞樹と色樹菫は別人だ。そいつと幸せになれ、俺じゃないそいつと。




「クリスマスパーティー、楽しかったですか?」

「ん? うん、楽しかった。……子供たちが怯えてなければもっと良かったけどな」

「ふふ、それはスミレくんが悪いんですよー」

「なかなか言うじゃないかこのやろー」


 子供の寝静まった夜、二階のベランダで二人で話す。今日は俺もお泊まりだ。

 車の免許があれば遅くでも帰れるんだけど……その内取るか。


「その、私達恋人同士なんですよね?」

「そうですよー」

「そっかぁ……」


 ニマニマと笑うユイさんは本当に可愛らしい。つい右手が伸びて頭を撫でてしまう。


「だから敬語なんて使わなくて良いぞ?」

「あ、はい。……でもまだ全然慣れなくて」

「そうか。まあゆっくり慣れていけばいいよ」


 先は長いんだ。焦ることはない。

 十年もすれば気の強い女性になるのだから。


「それ本当なんですか?」

「本当ですよー? スミレー! っていつも呼んでたし」

「ううん……」


 首を捻るユイさん。

 想像はまだつかないだろう。今からじゃ考えられもしないのも事実だ。


「ゆっくりでいいよ、ゆっくりで。時間はまだまだある」

「……うん」




 さて、そんなこんなでスターティングは無事入賞を果たした。賞金はなんか色々税とかで引かれてたけど、二百万円くらいあった。

 突然の大金に目を疑ったが、間違いはない。鷹さんと蛍さんに相談したところ、俺の銀行口座を作ることになったり。

 二人に半分くらいのお金を返そうとしたら鷹さんに怒られ、結局十万円ほどしか受け取ってもらえなかったりした。


「おかげでタイムマシンの材料は集まったけどな」


 お礼と共に頭を撫でられた。

 ついでに俺は免許を取り、鷹さんの車を借りて色んな所に行ってみた。車の存在で、ユイさんとのデートも少しは色がつくだろう。


 出版社から編集者がやってきて、スターティングを出版する話を持ってきた。遠藤夫婦は驚いていたが、元々そういう賞をもらったんだし驚きはしない。

 編集者はいつかに俺がシャガとして出会った男性だった。少し話したが、彼とは仲良く出来そうだ。

 一気に話を進めて、出版は1995年。つまり俺の知るスターティングの出版日になった。

 順調に事は運ぶだろう。

 いつかスミレが言った、金は腐るほどある、って日がそろそろみたいだ。少し楽しみ。


「スミレくん誕生日おめでと!」

「うわ! ありがとう!」

「わわわ、苦しいよー」


 俺の二十歳の誕生日が過ぎ、さらに二年が経つ。1996年、スターティングの人気が爆発した。

 ユイさんも二十歳になり、俺はすぐに二一歳になった。酒と言うものを試してみたけど、俺アルコールダメらしい。

 風邪みたいな症状になって死ぬかと思った。逆にユイさんはそこそこ飲めるらしく、酔っぱらったら面倒くさかった。


「スミレくん、そろそろユイって呼び捨てにしてほしいなぁ~」

「う、うぉ! 近い近い近い!!」


 そして、蛍さんが懐妊した。

 実は今まで二人にはユリの名前を出してこなかった。決まってる未来とは言え、自分たちで名前をつけたいだろうから。


「スミレくんは名前知ってるんだよねー?」

「はい、でもお二人で決めてください」

「うーん……」


 そんな会話をしたのが妊娠三ヶ月頃だったと思う。一度お腹を見せてもらったが、俺の想像する妊婦よりまだまだお腹が出てなかった。

 けど、少しふっくらしたお腹は胎内の生命を感じさせてくれた。


「……百合か」


 鷹さんがある日言った。

 俺が花屋でたまたま見つけて気に入った黄色の百合の花を見て、だ。


「遠藤ユリ……ってのはどうだ?」

「すごく良いと思いますっ」


 二人の会話を聞いて安心した。ユリが誕生することは確定したようだ。


「あ、そうだ」


 十月になって俺は蛍さんに料理を教えてもらい始めた。お腹もだいぶ大きくなってきて、家事は俺と鷹さんでほとんどこなすようになったけど、料理だけは蛍さんは譲らなかった。

 だからお手伝いという形で、ついでに教えてもらうことになったんだ。


「つーか俺はもう産まれてるんだよなぁ」


 1996年の十八月って、俺もう生後三ヶ月だぜ。この間の二二歳の誕生日からもうそれだけ経ったのか……。

 一度くらい赤子の俺を見てみたかったが、やめておいた。変に未来が変わったら嫌だしな。


 さてさて。

 そんなこんなで1997年がやって来た。

 ユイとは相変わらずラブラブで過ごしていたある日、鷹さんが真剣な面持ちで俺を呼んだ。

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