20
この一週間、俺はスターティングを急いで書き始めた。一ヶ月では半分も届かなかった。 だけどこれから書く時間が減ると思う。朝の二時間ほどと、帰ってきて夜数時間しか書けないだろう。
全部で四時間……書けたらいい方かな。
「スミレくん、だいぶ部屋に籠るようになったね」
食事の時に蛍さんから言われた。その通りだろう。
前ほどリビングで二人と話すことが仕事によってなくなったし、早くスターティングを書き上げなければ1995年までに出版できない。
「す、すいません。しなければならないことがあるので……」
「未来のために?」
「はい」
思い出す。そう言えばスミレの机の上に原稿用紙があったことを。よく考えれば彼もスターティングを書いていたのかもしれない。
しかも第二巻が出版されるのは2007年。つまりシャガが轢かれる年の次の年だ。……書いてたんだな。
ふと見ると蛍さんが寂しそうな表情を浮かべていた。
「どうしました?」
「ううん。……スミレくん私達の子供のために一生懸命だなぁ、って」
「最愛の恋人でしたからね。俺が助けなければ誰が助けるんだ、と思うんです」
言った後、物凄いキザなセリフだったことを思い出して死ぬほど恥ずかしくなった。い、いや本心だ。気にすることはない。
……いやいやそれが問題なんじゃないか!?
「そっかぁ。母親としては嬉しい限り、なのかな?」
「ま、まだ生まれてないからわからないですよ」
蛍さんはまだ寂しそうな顔で、そして笑っていた。なにかを憂いているのだろうけれどなんなのかわからない。
「ホントにどうしたんですか?」
「……そんなに必死にならずに自分の時間もつくったらいいよ?」
彼女はそう言った。必死。必死か。余裕がないと言う意味だろうか。
未来を知ってるだけに急いでいるつもりだが、それのことを言っているのか。
「自分を蔑ろにしてるって意味。恋人の為に頑張る姿はカッコいいし、私ならすごく嬉しい」
けどね、と続ける。
「そればっかりで自分を後回しにするとしんどいよ? 私でも鷹さんでも、ユイちゃんでもいいから自分を出さないと」
「は、はい」
……正直、理解ができない。ユリを思うあまり周りが見えなく、もしくは自分が見えなくなっていると言うこと、かな。
でも心配してくれているのはわかった。
「ありがとうございます、蛍さん」
「いいのよ。さ、食べよ食べよ」
その日はそれだけで話が終わった。
ユイさんは一週間の間俺と一緒にいて、自分が変わるように努力し始めていた。こんな感じですか? と聞く彼女の声に怯えがなくなったのは五日ほど経ってからだったけど、確かに彼女は変わり始めている。
ほんの少しずつだが、時間はたっぷりあるんだ。焦ることはない。
「スミレさん、荷物お願いできますか?」
まだ少し緊張した声色だが自然に言えるようになった。
そうやって俺が甲斐甲斐しく世話していけば、きっと落とせる! ……なんてバカな妄想は一瞬でやめよう。
「大丈夫ですよ。どこですか?」
「あ、えと。私もいくらか持たないといけないのでそんなに持たなくても……」
「そうですか?ではこれとかお願いします」
「はっ、はい……」
彼女に申し訳なさを思わせない程度に手伝う。彼女の為でもあるが、自分の為でもある。スターティングを書いてる時以外は出来るだけ誰かといたい。
「じゃあ行きましょう」
「はい。ついてきてください」
ユイさんとの関係は良好だ。ユリのいないこの時代で唯一の癒しだから。
……こんなことしてていいのかなー。浮気とかそんな……うーん。
「スミレさんはいつか未来に戻るんですか?」
「……へ?」
荷物を運びながら彼女がそんなことを言った。未来に戻る?
「いえ、その……映画なら皆過去に来ても未来に帰っちゃうから……」
スミレさんもそうなのかな、って。
寂しそうに呟く彼女に心臓が少し跳ねる。ヤバイヤバイ。
「考えたことなかったですね……。俺はずっとこの時間で生きていくつもりでした」
「この……時間」
彼女はまだなにか言いたそうだったから待つ。
「未来に戻りたいと思わないんですか?」
「うーん。江戸時代とかならあるいは思ったかも知れませんが、せいぜい二十年ほどですし。それに2015年でやらなくちゃならないこともありますから」
「やらなくちゃならないこと?」
あれ、言ってなかったか。ああそう言えば話が逸れて終わったんだった。
「俺の恋人が2015年に事故死してしまうんです。で、えっと。タイムマシンをたまたま使って一回目のタイムスリップをするんですよ」
「じ、事故死?」
「はい。恋人が。2002年まで戻ったので、じゃあこのまま彼女に起きる事件を防ぎながら事故死もなくそうと思ったんです」
そしてその時にシャガ。スミレやユイさんと出会うのだ。
「でも今ここにいるってことは……」
「……失敗しました。彼女の幼なじみで初恋の人が死んでしまう、って事件があって。その男の子がその時死ぬと思っていなくて…。飛び込んだその子を助けたら代わりに俺が轢かれちゃいました」
「く、車にですか!?」
「はい。それでその後九年くらい? ですかね。昏睡状態で眠っていて、起きたのが彼女の事故の次の日。俺がタイムスリップした日でした」
だから、俺は未来に戻りたいと思わない。全くやりとげていないから。まだまだなんだ。
「衰弱した体で必死に走って、俺はあの日の俺を押し退けて過去に戻ってきたんです。そして、今俺がここにいるんですよ」
「な、なんか……やっぱり映画みたいですね」
ええ、ホントに映画みたいですね。最後はハッピーエンドだといいな。
「それで、スミレさんの彼女さんは今どこに?」
「これから生まれてきます。蛍さんと鷹さんの二人の元に」
「!!」
驚いたように彼女は目を見開いた。
「生まれる頃には俺は二十歳を越えていますから恋人なんて到底不可能ですよ」
笑って言うと、ユイさんは悲しそうな顔をした。同情なんていいですよ。言葉に出して恋人が無理なことを確認してみれば案外心が楽になりましたから。
ユリを助ける志は変わる気配はないけれど、別に恋人して傍にいなくてもいいかなって思った。
「それでも……スミレさんは頑張るんですね」
「はい。彼女を、ユリを愛していますから」
「へぇ……」
ユイさんはどこか嬉しそうな表情に変わった。
「あ、ここに下ろしてください。この部屋の模様替えをしますので」
「おぉーいいですねそういうの、楽しそうです」
「スミレさんもしますか?」
「いいんですか!? よろしくお願いします!」
多分他の仕事もあるのだろうけど、俺は模様替えの手伝いをさせてもらった。そんなに時間はかからないだろうから少しくらい遊んでもいいよな?
さて、子供たちの相手。これがなかなか結構大変だ。
そういえばダイちゃんが若干スミレを苦手にしてた気がする。つまりここから十年は子供と仲良く出来ることが少ないってことか……?
「だ、大丈夫ですよ? 私なんか全然ですし……」
そうは言うものの、俺が怖がられる一方で彼女は子供に好かれ始めている。未来は変わりそうにない。
一度だけ、数人の子供に混じって泥団子を作ったことがある。その時は大絶賛だったが、調子にのった俺はあれこれと子供たちに教えてしまった。以来、頑固な泥団子職人と言う余計恐れられる位置付けになってしまったり……。
「……はぁ」
「どうした、スミレ」
食事中鷹さんが言った。
「いえ、なにもないんですけどね……」
子供と仲良くなれないなぁ、って。
と言うと彼は少し困ったように眉を曲げた。どうしたのだろう。
「俺も子供は苦手なんだ。園長に一緒に働かないかと誘われたがそれを断ったことがある」
ああ、苦手そう。
つーか鷹さんって園長のことお義父さんとか呼んだりしないのな。呼んでたら呼んでたで意外性があって面白かったのに。
「子供、そんなに苦手だったんですね」
「ああ、だから生まれてくる子に優しく出来るかわからない」
そう言うと彼は苦笑いする。俺も同じように苦笑いして返した。
「それにあの時はまだ紀野夫妻が生きていたから、俺が働かなくてもどうにかなっていた」
「ユイさんの両親……ですね」
五月頃に亡くなってしまったと言う二人。俺がもし彼らのことを知っていれば防げたかもしれないと、一度は思った二人だ。
「……えと、鷹さん」
「なんだ?」
少し湿っぽくなってしまったので話を変える。
「タイムマシンってどこで作ってるんですか?」
「ん?」
あまりに関係ない話だったせいで鷹さんが目を見開いた。
「ああ、いや。そういうわけじゃないが……。まだ材料集めの段階だ 」
「へぇぇ。それが夜に出掛けてる理由だったんですね」
「! ……まあな」
一度は見開いた目を誤魔化した鷹さんだったが、今度は見開いたままだった。気付いてないなんて思ってたのかな?
「……完成には少し時間が掛かるだろうな。1997年までには間に合わせるつもりだが」
「はい。お願いします、本当に」
それが完成してくれないとなにもできないからな。シャガも、スミレもここにはいない。
……逆にここにいる俺の存在がタイムマシンの完成を証明をしているのかもしれないが。とにかく、あれは必須アイテムなんだ。
そして、俺は早くスターティングを書き上げなければ。




