19
家に入ると遠藤夫婦が待っていた。園長が帰ることを連絡していたのは知っている。晩飯を用意して待ってくれているとは思っていなかったが。
「おかえり、ミズキ」
「ただいま蛍さん」
財布だけ置いて俺は椅子に座った。
「じゃあ食べるぞ」
「はい。いただきます!」
鷹さんの言葉で俺は手を合わせ、食べ始めた。ユリの作るご飯に……うーん、スミレの方かな? 味が似ている。
スミレは蛍さんに料理学んだりしたのか。でなければここまで味が近くはならない。
「ごちそうさま! 美味かったです!」
「お粗末さまでした。ありがと!」
食べ終えてテーブルを片付けたら鷹さんが俺に紙を差し出した。
戸籍表だ。
「一応読んでおけ。一部変わっているからな」
「あ、はい」
受け取った時に紙は裏面だった。……なるほど、紀野園で育ったことになっているのか。
誕生日は1975年7月13日か。まあ逆算すればその年で間違いないな。
で、えっと……っ!?
「た、鷹さんこれ……!」
「ん? 読めないのか?」
「そうじゃなくて!」
氏名、城井瑞樹。……ではない。
「色樹菫ってどういうこと!?」
色樹菫。菫。スミレ。スミレの本名。
俺の戸籍の氏名。
え、え?
「うん、そういうことだ。今日からお前は城井瑞樹ではなく、色樹菫だ」
「……えぇぇぇえええええ!!?」
スミレー! 助けてスミレー!俺がスミレとか意味わかんねーよー!
スミレー! ドッキリでしたー! って言って入って来いよー!
「スミレとは……あのスミレですか?」
「知らん」
「あぁ……」
鷹さん冷たいぞ……。いや、知らないものは本当に知らないんですよね。んー? でも節々でスミレと俺はそっくりだったよな……。
つーことは、だ。スミレは俺だったと言うことか。シャガを経験してたってことだろ?
え、じゃあなんであんなに冷たかったんだあいつ。もしかして今俺が思ってることを踏まえてあんな態度を……?
考えれば考えるほどこれから俺に何が起きるのか恐ろしくなった。
「とにかく頑張ってね、スミレくん」
「……はい」
蛍さんの言葉に、頷いた。……はぁ。
さて、次の日から俺はスミレになった。園長に説明しようと思ったが鷹さんに必要ないと言われた。ちょっと考えてみればわかることだ。
俺の戸籍を用意してくれたのは彼なんだから。むしろミズキと呼ばれていた方が 不思議だろう。
だからとりあえずユイさんにだけ説明しにいくことにした。なんて言えばいいのだろうか。
「今日から俺、スミレなんですよ! よろしくお願いします!」
とか? 理由を訊ねられたら誤魔化せる気がしない。
「素直に話したら? ユイちゃんなら信じてくれるよ」
と蛍さん。それが一番良いかな。
昨日の様子からではダメな気がするけど、少なくとも遠藤夫婦には気を許している。二人が信じているのなら彼女も信じてくれる……だろう。
「あの、ユイさん」
「!?」
露骨に驚かれた。そこまで驚かなくてもいいんじゃないかな……。
「あの、今から変なこと言うんですけど……いいですか?」
「はい?」
ふぅ……。少し緊張するな。
作者が告白したときの前振りみたいなことを言ってしまった。……まあ、ある種の告白だから間違いはないけれど。
「俺、今日からスミレなんです。実際は前からそうだったんですけど、知ったのが昨日の夜で……。事情が色々とありまして」
「事情……?」
「はい」
それはなに? とでも言いたそうなユイさん。
蛍さんと話した通り、本当のことを話そうと思う。
「未来から来ました、俺」
「…………?」
「えーと、その。えー……」
どう話せばいい!! そういえば俺こんな説明したことないんじゃないか? スミレは適当に流したけど後で信じてくれたし……、って俺がスミレか。スミレは元々知ってたんだよな、うん。 ……ん? じゃあなんであいつ一回ああやって流したんだ? スミレは俺なんだろ? 俺はスミレで、シャガが俺なことも知ってたんだから……?
こんがらがってきた、やめよう。
「2015年3月4日からやって来たんです。蛍さんたちもそれを知っています。で、このあと俺が城井瑞樹のままだったら都合が悪いので名前を変えることになったんです」
このままミズキだとシャガが怪しんだりするからな。少なくとも俺はシャガの時スミレを自分だとは思わなかったのだから、変える必要はあったんだ。
一度話し始めたらスラスラ言うことができた。
「っていう訳なのですが……信じられないですよね」
「え、えと……はい」
申し訳なさそうにユイさんは言った。そりゃそうだ、信じられない。
でも、と俺は続けてみる。彼女の瞳の奥に宿る、微かな期待が見えたからだ。
「妄想でもなんでもいいんで未来の様子でも聞いてみません?」
「い、いいんですか? ……信じられないって言ったのに」
「いいですよー。どんなこと聞きたいですか?」
「えっと、えっと……」
よっしゃ! 結構上手く行った! やっぱりユイさん興味はあるんだ! これで話ができる! あわよくば昨日下がったイメージアップだ!
「今から……22年後から来たんですよね? あと、私のことを知ってるみたいでしたけど知り合いだったんですか?」
「22年だから、40歳のユイさんか。俺は見たことないですよ。ユイさんのこと知ってるのは一回目に過去に戻った時にお世話になったからなんです」
「い、一回目?」
スミレも40歳だったんだな、あの時。その年でも頑張るのか……と思ったけど、よく考えれば98歳までユリを助けることに時間を費やした瑞樹がいるんだからそんなものか。城井瑞樹に比べれば俺ことスミレはまだまだやってない。
「はい。そのときにシャガっていう名前になって紀野園に来たりしてたんです」
「あ、だから事務室わかったんですねっ」
「そうです! 大人になってからの視点で見るのは戸惑いましたけど、大まかには変わってないみたいだったので」
「大人……ってことは、シャガさんの時は子供だったんですか?」
2002年は俺は5才だもんな。だから年月に対応して子供になったんだと思う……って考えたのは2004年になってからだ。……? じゃあなんで今は元の体なんだ?
1993年に俺は存在してないからそのまま来たとか?
「そうです。っていうかシャガさん呼びむずむずしますね。ユイさんはずっと俺を呼び捨てだったんですから」
「み、未来の私はどんな人なんですか!?」
うぉ、ここに来て急に食い付きが強くなったぞ! やはり興味のある話題なのだろうか。
「え、えと。すごく堂々としてて、ハキハキと物事を話す人でした」
「……真逆ですね」
「な!?」
急にテンション下がりなさった! フォローしないと……。
「でも未来のユイさんの話ですから。きっとなれますよ」
「そう、でしょうか…」
「そうですよ!」
言うと、ユイさんは少し気を取り直したようだった。ふぅ……。
「じゃ、じゃあそうなれるように手伝ってもらえますか?」
「もちろんで……す、よ??」
……ん?なんか変なこと言った? 答えながら意味に気づいたが、そのまま承諾した。
えーと、いいんだよな? これで。
「で、ではよろしくお願いしますね! スミレさん!」
「は、はい!!」
話は逸れたけど、ユイさんは信じてくれると思う。少しでも話を聞いてくれて、最後には頼ってくれたんだ。きっと信じてくれるさ。
……ちなみに変な約束をしたあと、最後まで未来の話が再開されることはなかった。またの機会だな。
園長に説明しなくてもいいのかと、そう思った。必要ないと言われたが気になるものは気になる。
だから帰りの車のなかでしてみた。
「園長さん」
「園長でよい」
「園長」
「なんじゃ」
助手席に必ず座る俺は横のじいさんの姿を確認する。足届くのか、これ。
……っと、関係なかった。スミレスミレ。
「俺がスミレであることになにもないんですか?」
「敬語なんて使うな、女か」
「あ、はい。わかり……わかった」
女かってのはおかしいだろ。男でも普通に使うよ? 敬語。
……ともかく、スミレのようにタメ口でも許してくれる人なら気が楽だ。
「でよぉ、園長。俺が昨日までミズキで、今日からスミレなことに何にも思わねーのかよ? ……って、イテェ!」
「敬語使うなとは言ったが貴様、そんな口聞くとはいい度胸じゃなァ?」
殴られた。長めの硬い杖で殴られた。じんじんする。……調子に乗ったのが悪いから仕方ない。
「……別に半年以上前に会ったジジィに言われたことを少し信用したわけではないからの」
「ジジィ……って城井瑞樹?」
「フン」
俺が聞くと園長はそっぽを向いた。園長にも接触していたのか。……どうやってじいさんのことを知ったんだ?俺は。
「俺が未来から来た話は信じてくれるの?」
「まあな。あのジジィよりは信用できる」
おお。
この時代には話を信じてくれる人がたくさんいるじゃないか。嬉しいな。
「へぇ……」
「何をニヤニヤしておるのじゃ」
「いや、なんでもないよ」
とにかく、ここは居心地がいいなぁ。
あとどれくらいこの時間が続くのだろうか。




