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 次の日までスミレは帰ってこなかった。園長の ところに泊まりっぱなしだったらしい。

 俺の時は泊まらなかったのに……なんて思わない。俺よりあの時の幼いユリを優先しなければならなかったし、今の園長は俺以上に容態が悪いのだろう。

 それこそ一日付きっきりでいてやらなければならないくらいに。


「園長さん大丈夫かなぁ?」

「……」


 スミレは昼頃に電話してくれる。どんな容態であろうと、一度伝えてお見舞いに来るかどうか決めるらしい。

 そりゃそうだ。二人がこんなに心配してるんだから。ユリは不安そうに呟き、ダイちゃんは珍しくしかめ面で俯いてた。

 ……俺はどうしてやればいいんだ。


「大丈夫、きっと悪いようにはならないさ」


 一応、言ってみる。

 しかし俺は知らない。高校のとき、ユリから園長の話を聞いたことがない。

 なにかあったのか、どこにいたかすら知らなかった。……もしかするといなくなっていたのかもしれない。

 近々園長がいなくなることが起きるのならば、高校のユリが俺に話をしなくてもおかしいことはない。


(……考えても仕方ない)


 どうせわからないことだ。そんなことはこれから俺が知っていけば良い。

 今俺が優先することは……。


 プルルルルル


「シャガ!」


 ユリに呼ばれて受話器を取る。

 もしもし、と言うと相手はスミレだった。


「シャガか。紀野の容態が安定した、命に別状はないが極端に疲労している」

「前のスミレみたいな感じか?」

「ああ。紀野園の子供全員でお見舞いにでもいけば精神的に安定するだろうが、とりあえず三人がまずこい。二人とも会いたがってるだろう」


 それは間違いない。

 ユリにもダイちゃんのためにも、今は園長に会わせるべきだ。


「じゃあ俺の机から金を取ってすぐ来てくれ」

「わかった」


 電話が切れた。二人にはお見舞いに行くように伝え、俺はスミレの部屋へ行く。

 入り口の一番近くの本棚の横に机があった。原稿用紙とペンが散らかった机上に財布はない。

 右側の引き出しを引いてみると、原稿用紙を結ぶ紐が大量にあった。そのなかに財布がある。


(しかし……なんだこの原稿用紙の量。本でも書いてんのか?)


 レポートの可能性もあるし、興味もわいたけど今は優先すべきことではない。

 二千円だけ抜き取って俺は部屋を出た。……二千円でいいよな?


「じゃあ行くか!」

「うん!」


 ユリは嬉しそうに返事を返してくれた。

 ダイちゃんは……まだしかめ面のままだ。


「バスで行こう。そこまでなら走れるな?」


 二人はそれぞれの表情で頷く。

 あっと言う間にバス停につき、ちょうどのタイミングでバスが来た。三人で乗り込み、病院前まで待つ。


「…………」


 ダイちゃんは未だにしかめ面。……と言うか、むしろ焦っているようだった。


「園長さんは大丈夫らしい。ただ、精神的に安心させてやるんだ。俺たちで」


 病は気から、だもんな。

 俺が言うと、ダイちゃんは少しだけ表情を和らげた。しかし今度は義務感に駆られた顔を浮かべる。

 しばらく沈黙が続き、バスは病院前に到着した。金を払って降りるとダイちゃんが早歩きで進みだす。気持ちが急いているのが目に見えてわかった。


「ダイちゃん、あんまり急いで行くんじゃないぞ」

「わかってるよ」


 声はいつも通りの彼だが、煩わしい感情を俺に伝えてきた気がする。

 いや、気のせいだ。病院のなかにバス停はない。病院前、何て言うけど全然病院前じゃないのがこのバス停。

 歩いて十分弱はかかる。


「園長さん大丈夫なの……?」

「ッ!」


 ユリのその言葉がダイちゃんに届いた。

 俺はユリの心配を和らげる言葉を探したが、ダイちゃんはそうじゃなかった。

 鍛えた足で道を蹴り、長い脚で走り出した。


「ダイちゃん!!!」


 焦燥感に駆られた彼の表情が全て俺に教えてくれる。ユリの言葉をきっかけに、彼の緊張は最高潮まで行ってしまったんだ。俺とユリは急いでダイちゃんを追いかける。


「ダイちゃん! 待てよ!!」


 声を掛けるが止まらない。……だめだ、全然聞こえていない。無理はない。

 ダイちゃんは今でこそ自分の意思を持っているが、昔は誰かの言う通りにしてきた。園長は施設の母だ。つまり彼の母だ。

 そんな人が、容態は落ち着いたとはいえ入院してしまったとなると周りが見えなくなるのも仕方ない。だから俺は本気で彼を止めようとは思わなかった。

 が……。


「あ! 待って!! ホントに止まって!!!!」


 ユリが悲鳴のように必死な声をあげた。俺も気づいた。……この先は国道だ。

 奇しくもユリが撥ねられた道と同じ数字の国道。


(幼なじみが死亡する……!!)


 俺の頭にそれが浮かんだとき、今まで本気じゃなかった俺の足はフル回転を始めた。あの時と同じ、限界を超えたスピードをだす。その間にダイちゃんは道路の真ん中に飛び出してしまう。


「ダイちゃん!」


 ユリの叫び声、乗用車のクラクションの二つに気付いたダイちゃんは驚き、足を止めた。彼のたつところへ乗用車が近づく。スピードは落としているが明らかに間に合わない。

 ……だが、あの時と違い、走れば走るほど遠くに感じることはない。間に合う。間に合わせる。

 この運命だけは、絶対に変える!!


「うわぁぁああああ!!!!」


 俺も道路へ飛び出し、そしてダイちゃんを思い切り突き飛ばした。向かい側まで上手く飛んだことを確認し、俺は口元を緩める。

 乗用車が大きな音を立てて近付くが無理だ。避けられない。

 振り返るとユリが走っていた。まだまだ道路には遠い位置で、泣きながら。


(ごめんユリ、でもダイちゃんは助けたから許してくれ)


 ゆっくりと流れる時間のなかで俺は心からそう思った。伝わらないかもしれないな。

 頭のなかで思ったと同時に俺の口は動いていた。


「大丈夫、俺がまた助けに来るから!!」


 高校でユリを死なせないことが俺の目標だ。

 きっと助ける。

 いつか叶うと信じ、俺は目を閉じた。




 ……俺は夢を見た。あの世へ行く前の幸せな夢。

 高校からユリと一緒に帰って、家に入るとスミレがいるんだ。しばらくしたら大人になったダイちゃんがやって来て、四人で楽しく話す。

 ユリが轢かれる瞬間にはスミレが反対側から走ってきて、彼女を助ける。俺はユリの後ろから手を伸ばし、スミレの体を引っ張って彼を助けるんだ。

 そしてまた、良かったなって笑い合うんだ。

 夢であることは初めから知っていた。でも、幸せだった。この夢から覚めなければいいのにと思った。


 ……しかし、現実はそうじゃない。俺にはやるべきことがある。

 今は目を開けられないけれど、いつか絶対に目を覚まさなければならない。

 そうだ。

 俺がユリを助けるんだ。


 俺が助けなきゃ誰が助けるんだ。

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