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 ユリとの約束は来月、つまり八月の十六日だ。土曜日だから結構混みそうだけど。

 ……と、思っていた矢先にスミレが倒れた。

 過労による身体機能の低下。睡眠不足もたたり、スミレの上司と共に病室に入ったときには点滴を受けていた。


「なにしてんだよ……」


 痩せ細ったスミレに俺は呟く。夏休みに入ってすぐ倒れやがった。毎日、朝俺達に金をおいていって、夜まで帰ってこなかった。何をしていたか訊ねても仕事としか答えない。日増しに弱っていくのはわかっていたが、なにもできなかった。


「必要なことだ」

「必要って、なにが……」


 スミレは点滴を打たれていない右腕を額に置いた。深いため息を吐く彼は本当に辛そうだ。

 こんなになるまで何働いてんだよ……。上司の人は度々スミレに電話して休むように言っていたのに。


「ユリは紀野の所か……?」


 ああ、ユリは園長のところだ。スミレが倒れたと聞いた時に顔を青くして震えていた。俺と園長で介抱して落ち着いたが、恐らく見るに堪えないだろうと思って、ユリは連れてこなかった。園長と二人で決めたことだが、俺達の判断は間違っていなかったことを痛感する。


「そうか……。まあ、こんな姿見せられないしな」

「ああ」


 スミレは口元を引き上げて言う。


「しかし、おかげで仕事が大分捗った。近いうちにまた金が入るかもな」

「まさか、お前……!」


 金の話をしたスミレに俺は目を見開く。一年前、金の面で特に気にするな、と彼は言っていた。でも小学生になった俺達二人を食わせていくのに、やはり足りなかったのだろうか。

 いや、足りなかったのだ。だからスミレはとことん働き、俺達の為にそうやって。


「遊園地、多分約束の日に行けないな。いつ行けるか……」


 やつれた表情で、しかし目にはユリを思うときの優しさを宿して呟く。

 何言ってんだよ、本当に。今は自分の心配してろよ。


「遊園地は諦めさせる。行くとしてもまだまだ先でいい。来年でも、再来年でも、その次でも」

「ああ、すまないな……」


 やはり今のスミレは見るに堪えない。弱々しくなりすぎてらしくないこと言いやがる。

 スミレは鼻で笑いながら、よくやった、とでも言えばいいんだ。その言葉だけでも俺達は嬉しいんだ。


「じゃあ、シャガ……ユリのことは頼んだ」

「わかってる。……また来る」


 スミレが眠たそうにアクビをした。……俺じゃスミレを元気付けられる気がしない。やっぱりユリとか園長でないとダメか。こんなときにも己の無力さを痛感した俺は少し顔を歪めたと思う。

 しかし病室を出ていた俺を心配したのは上司の人だけだ。スミレといくつか話した後、ちょうどその瞬間を目撃したらしかった。

 ともかく、俺は自分がこの間入院した病院を出て、紀野園まで送ってもらった。




「そうか、スミレはそんなに弱ってるか……」


 園長に話した俺はなんとも言えない苦しさを胸にしていた。


「明日様子を見に行くよ、ありがとうね」


 園長はそう言って俺の頭を撫でた。礼を言われることなんてなにもしてない。

 俺はただ、無力だ。


「今日は泊まっていきな。ユリとシャガが増えたところで大して何も変わらないからね」

「ありがとうございます」


 礼を言って園長の部屋から出た。俺もスミレのように深いため息を吐く。ダイちゃんとユリのいるところへ戻っても、気分は晴れなかった。二人がたくさん心配してくれたけれど、そのほとんどは右から左へ流れた。

 夜になり、三人で寝てもずっと心になにかつっかえた気分だった。


「俺は……なんなんだ」


 夜、二人が静かな寝息を立てる中呟く。窓辺にたって空を見たが、月は雲に隠れてしまった。せっかくの満月なのに。

 ユリを助けると誓ったあの日以来、体は鍛え続けでそれなりに成果は出てきたと思う。でも誘拐事件もスミレに助けられたし、火事もほとんど俺は何も関与していない。助けてくれたのは近所の人々だ。しかもユリが集めた人脈の。

 俺は何の役にもたっていない。

 ただスミレの重荷になって、足を引っ張って、挙げ句倒れるまでさせてしまった。未来から来たことなんて何の役にも立っていない。


「……邪魔なだけだ」


 今日はやけにセンチメンタルな気分だ。驚くほどに、マイナス思考。自分でなんとかできる気がしない。


「そんなことないよ」


 ふと、そんな声が聞こえた。そして後ろから誰かに抱き締められる。


「シャガは凄いよ。ユリの知らないこといっぱい知ってるし、運動もすごく頑張ってるもん」


 ユリ。

 ユリだ。

 俺より少し背の低い女の子が優しい声で言う。


「シャガはとっても優しいんだよね。だからスミレが辛いことでも自分が辛くなっちゃうんだよ。それって人の気持ちがわかるってことでしょ? 凄いね」


 優しく、本当に優しく彼女は呟く。高校の時みたいに端の見えないくらい大きな包容力で、俺を受け入れてくれる。

 満月が雲から逃れ、出た。


「でもいっぱい考えちゃダメだよ。シャガは凄いから、いろいろ考えちゃうけど、ダメだよ。スミレのことはシャガのせいじゃないんだから」


 それに、とユリは続ける。


「シャガはユリを助けてくれたでしょ? すっごく怖くて、寒くて死んじゃうと思ったときにシャガが来てくれて、すごく嬉しくてあったかくなったんだ」


 それは……それは俺のおかげじゃない。

 スミレが情報収集してユリの居場所を特定したんだ。結果俺は役に立たず、スミレに頼ってしまった。


「ううん、スミレにもすっごくありがとうって思ってる。けどあの時そう思ったのは本当なんだ。だからそんなに暗くならないで、ユリも悲しくなるから……」

「……」


 悲しそうな声を聞いた俺は、クルリと向きを変えユリと向かい合った。目を伏せて、月に照らされた黒い綺麗な髪と顔。

 ずっと俺の腰に手を回す彼女に心臓が跳ねた。


「……ごめんな」

「ううん。大丈夫」


 首を振って、すぐに笑うユリ。賢い子だ。偉い子だ。

 俺なんかよりよっぽど大人だ。


「大丈夫だよ、シャガ」


 その大丈夫は明らかに俺を慰める物だった。

 ペタンと膝をつくと、ユリに頭を抱きかかえられる。


「大丈夫だよ……」


 胸から込み上げる熱いものを抑えて、俺は息を吐く。頭を撫でてくれる手はすごく優しかった。また泣きそうになったが、堪える。

 それから十分ほど、俺達はそのままだった。


「……ありがとう」


 胸につっかえていたなにかは次第に溶けていくユリの優しい言葉が、行動が、俺を安心させてくれた。

 ……絶対にこの子は死なせてはならない。

 俺はもう一度、そう誓った。



 次の日、園長に連れられて俺はスミレの所へ行った。一度外で待って、園長がスミレと話をする。その間待ちぼうけだ。

 園長にスミレ。俺は紀野園でその二人以外の大人を見たことがない。いや、生活用品とか持ってきてくれる近所の人とか業者の人を見たことはあるけれど、従業員じゃない。

 つーことは二人だけでやりくりしてるのか……? ざっと三十人弱の子どもを?


「……うーん」


 考えてもわからん。

 結局園長があの若さで園長をしていることに起因しているのだろうと結論づける。


「シャガ、おいで」


 ちょうど考えるのをやめたときに園長に呼ばれた。病室の扉を開くと、やはりやつれたスミレがいた。


「また来たのか。悪いな」

「昨日より元気そうだな」


 体は弱っていたが、昨日より精神的には元気そうだ。園長と話したからだろうか。やっぱりすごいな。


「そう言うお前も昨日より肩の力は抜けたようだな」

「ああ、ユリのおかげでな」

「……なるほどな」


 そう言ってスミレはニヤリと笑う。

 俺も同じように口元を歪めて笑った。


「ま、二人とも似た者同士ってことだな!」

「「なんで俺がこんなのと!」」

「ぷっ! ……くくっ」


 スミレと声が合わさる。

 園長はたまらず吹き出し、すぐに口元を抑えたが笑い声が漏れている。


「まあこれだけ元気ならユリとダイを連れてきても平気そうだな!」

「そうだな」


 園長が言うのに二人で頷いた。この調子のスミレならユリが見たときに普通に心配するくらいはできるだろう。

 昨日の状態を見たら青い顔で、ユリも倒れるかもしれなかったし。


「で、ユリはなんて慰めてくれたんだ?」

「……!」


 スミレがニヤニヤしながら俺に言う。

 スミレのこんな表情初めて見た……けど、なんか俺と似たようなニヤつきかただな。園長も同じように見てきた。


「……とてもじゃないけど小学一年生とは思えない方法だったよ。夜にな……」


 俺は特に断る理由もなかった。むしろ話したかったから彼らに話をする。

 そんな風に他愛のない話をして一日を終え、次の日には無事、ユリとダイちゃんを連れてお見舞いに来れた。

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