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「ん……」


 目を覚ます。

 視界にまず飛び込んだのは白い天井と蛍光灯。そして柔らかい布団の感触。ああ、病院か。


「シャガ……?」


 顔の真横から少女の声。声の主は椅子を蹴り、俺の顔を覗き込んだ。


「ユ、リ……」


 ああよかった、無事だったか。心配そうに目に涙を溜めるその表情は、なんとも俺を懐かしくさせた。

 子供の頃から変わらないんだな。


「大丈夫だった、か?」


 俺はユリの頬に手を伸ばしながら言った。どうしてもその頬を伝う涙を拭ってやりたかったからだ。


「大丈夫だよ! 全然大丈夫!」


 そうか、よかった。

 外は明るいようだから、まだそんなに時間が経ってないのか。


「ありがとうシャガ、本当に……ありがと」


 ユリが俺の手を握り、頬に口付けした。


「!?」

「え、ええと。その……お礼! スミレ呼んでくる!!」


 一瞬だったが左の頬に柔らかい感触を感じた。いや、まだその余韻は残ってる。あ、ああ……お礼か。


「えっと……」


 いや、深く考えるのはよそう。俺は彼女の恋人だったがロリコンではない。

 ……それより今何時くらいだ? 最後に時計を見たとき1時頃だから…4時くらい? ああ、ダイちゃんに申し訳ないことしたな。あの子もたっぷり遊びたかったろうに。


「……元気そうだな」


 扉が静かに開き、スミレが入ってきた。大男と対峙した時よりずっと優しい表情だった。

 反射的に頬に当てていた手を戻してしまう。


「ただ脇腹はまだ痛いけどな」

「ああ、折れてはいないが、ヒビが入ってるらしい」


 げっ、マジかよ。確か折れるより治りが遅いんだよな。


「頭とかは大丈夫か。腹は多分腹筋が意外とあったから大丈夫だと先生は言ってるがな」

「少しクラクラするかな……」


 スミレに手伝ってもらって体を起こす。視界が少し歪んだ気がする。一日中寝てた時みたいな気分の悪さがあった。


「そりゃそうだ。入院期間中お前はずっと寝てたんだから」

「二時間くらいだろ?」

「いや……」


 スミレはバツが悪そうに目をそらす。

 なんだ?


「……お前が寝てたのは一日と二時間なんだよ」

「え」

「あまりに大きいダメージと急な環境の変化に体が追い付かなかったらしい。それでも一日で目覚めたのは先生も予想してなかっただろう」


 先生。医者か。一日か……。そうだよな、大人に殴られて蹴られて、マイナス十度の所で思い切り体動かしてたんだから。


「じゃあ今から医者が来るのか?」

「ああ。だがその前に」

「?」


 スミレが手を俺の方へ向けた。

 あれ、目がなんか怖い。


「なんであんな無茶をした」

「……ユリが心配だったから」


 怒られてる。

 スミレに怒られてる。初めてだ。


「今回は命に関わらなかったから良かったものの、お前はまだ六才だぞ?大人とは圧倒的に違うんだ」

「うん」


 わかってる。だから頭使って対抗しようと……。


「シャガ、お前が元高校生なのは疑ったりしない。それこそ、今回の対処の仕方を見て、小学一年であることが信じられなかった。けどな」


 スミレは続ける。

 この続きに何を言われるか、想像がつかなかった。


「高校生だろうと小学生だろうと、お前は俺の息子だ。一人で突っ走らずに俺を頼れ。父親の俺を」

「…………」


 ……想像なんて出来るはずなかった。こんな言葉。

 何も動きのない一年を過ごして、大人の頃の記憶がぼんやりと忘れていった俺は、この時代で心細いなんてものじゃなかった。初めの頃にスミレが信じると言ってくれたけど、それとは別に寂しかった。


「……ごめんなさい」


 俺の口から自然に出た言葉。

 悪いことをしたらまず言う言葉。

 本当に申し訳なかったから出た言葉。


「ごめん、なさい……ごめんなさい……」


 俺の家族はここにはいない。『シャガ』の両親はどこにもいない。でも、そう思っていたのは俺だけだった。

 俺の家族はここにいた。スミレと、ユリ。二人で十分家族じゃないか。俺は何を勘違いしてたんだよ。

 家族は……すぐ傍にいたじゃないか……!!


「ごめ、んなさ……うぁぁあああ」

「……」


 優しく撫でてくれるスミレに、俺は涙を止められなかった。

 よかった、ユリは外にいて。泣き顔を見られなくて本当によかった。



 あの後来た先生の診察を受け、俺はしばらく入院だということを言われた。まあ半分わかってた。スミレもそんな雰囲気を醸し出してたからな。

 一番驚いたのはユリの態度だった。個室だったからまだマシだったものの、泣き叫び、床に転がってずっと拒否していた。


「ほらユリ、たった三日だ。そんなに寂しくないだろ?」

「やだ」

「え、えーと……毎日お見舞いに来てくれよ、な?」

「……学校あるもん」

「えーと……」


 ぷくっと膨らませた真っ赤な頬はなんとも可愛らしかったが、同時にものすごく困った。

 珍しくスミレが何を言っても言うことを聞かず、俺とは辛うじて話してくれるから説得してみたけど……。


「俺以外に友達いるだろ? 今のうちにいっぱい遊んでこいよ」

「やだもん。シャガがいい」


 ああああ、なんて可愛らしくも嬉しいことを仰るのですかぁぁぁ。断れないじゃないかー!


「え、とな? ユリ」

「やぁぁぁぁぁだぁぁああああ!!」

「ま、またなにかお願い聞いてやるからーー!!」


 最後には話を全く聞いてくれなくなった。

 でも、しばらく泣いてたら疲れたみたいで。その隙にスミレが連れて帰った。


「ユリもわがまま言うんだな」

「まあな。この子は俺がいないときずっと一人なんだ。ユリより大人のお前に頼ってしまうのも無理はない」


 言って、スミレは優しく笑った。


「じゃあな、お前も大人しくしてろよ。ユリみたいに暴れたら治りが遅くなるからな」

「しねーよ。……じゃあまた」

「ああ、おやすみ」


 一人でポツンと残された。さっきと比べて静かすぎて耳がいたい。静かなのは自分の部屋で何度かあったが、人の気配が一切しないのは初めてに近かった。

 少し心細い。


「こんなとき、幽霊が出たりな」


 冗談で言ってみる。……冗談だぞ、冗談。

 ヤバイ怖くなってきた。足元の布団がめくれない!


「…………寝る」


 こういうときは寝る。寝るのが一番だ。

 布団を被っておやすみなさい。カーテンが風に揺られる音に驚いたり、してないからな?



 結局、火事を起こしたのもあのロリコンの犯人だったらしい。少し前からユリに目をつけていて、一人になった隙に……と。ユリとずっと一緒にいた俺は、あのロリコンに気づけなかった。

 そう思うと恐ろしくてたまらない。今もまたあのロリコンみたいに誰かがユリのことを狙っているんじゃないか……。

 でも、この後にロリコンの奴のような誘拐なんて起こらないみたいだから肩の力は少し抜いておく。この世界では俺だけがイレギュラーなんだ。

 後は全部ユリが教えてくれた通りになるはず。俺が余計な関与をしなければ、ロリコンの犯人みたいなのは二度と現れない。


 次に起きるのはなんだったっけ。……ああ、転落事故か。遊園地だったよな?

 じゃあその時まで楽しく日々を過ごそう。小学校はしばらくいかなくても勉強が追い付かないことなんてないだろうし。

 強いて言うなら、俺にはダイちゃんとユリくらいしか友達がいないことが問題だ。……いや、いいけどさ。


「シャガくーん、検査の時間だよー」


 そんなことを考えていると看護婦が入ってきた。この時代はまだ看護婦さんなんだよな? 看護師じゃなくて。

 彼女らは俺が小学一年生の割に落ち着き払っているのを見て、不思議そうにしたりする。中身は高校生なんです、はい。

 たまに子供のことで相談してくる人もいる。同年代だから意見を……っていうけど、違うから。俺だって小学生がなに考えてるかわかんないよ。


「はい、じゃあそろそろ退院かな」


 担当の先生が言う。退院らしい。ユリが嬉々として抱きついてくるのが思い浮かび、ニヤニヤしてしまう。

 とりあえず、今回の一件は無事に終わった。次は遊園地だ、気を引き締めていこう。



「遊園地行きたい! 」

「!!?」


 家に帰った俺を出迎えたユリが言った。

 ああ、こんなに早いなんてさすがに参っちまうよ……。

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