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王の妃  作者: s
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「陛下っ!」

 珍しく焦る悧達の声が聞こえた。

「珠嬰っ」

 庇うようにして王に抱きかかえられながら、馬の腹に矢が刺さっているのが目に入った。

 ああそうか。二人揃って馬上から落ちているのだなと、至極冷静に判断していた。

「……っ」

 どん、という鈍い音と共に、二人揃って地面に叩きつけられた。

 王が下敷きになったおかげで、珠嬰にはたいした痛みや衝撃は訪れることはなかった。だが。

「陛下!」

 慌てて起き上がり、王に手を貸して起き上がらせる。

「陛下、怪我を」

 触れようと伸ばした手をやんわりと押し返される。

「……いや、大事ない。それよりお前は下がっていろ。あまり前へ出るなよ」

 そう言って、王は剣を抜いて立ち上がる。

「しかし、陛下」

「陛下っ!! ご無事ですか!?」

 悧達の声にはっとする。

 いつの間にか、大勢の刺客に囲まれていた。

 気がつけば、鳴り止まぬ怒号と耳障りな金属音が辺りを支配していた。

「ああ、大事ない! 珠嬰、分かったな。下がっていろ」

 そう悧達に叫び、珠嬰に一瞥をくれると、王もその戦陣の中へと走り込んだ。

 誰が敵で誰が味方かも分からなくなっている混戦ぶりに、珠嬰も仕方なく頷き、木陰に身を潜めた。ぐっと弓を引き絞り、及ばずながら応戦する。

 そういえば、采凛はどうしているのだろうかなどと今更ながらに思い、辺りを見回して、驚愕した。

 そこには、短刀を巧みに操りながら戦っている采凛の姿があった。

 先ほどの戦いの最中は、王と共に馬上にあったので気づけなかった。

 どういうことなのかと訝しむ一方で、やはり、とどこか冷静な部分が告げる。

 やはり、采凛は、珠嬰を監視するためにつけられていたのだろう、と。

 そう考えればすっと落ち着く。

 納得し、先ほど何かを言いづらそうに、けれど思い詰めたように告げようとしていた采凛の姿を思い出して苦笑する。

 己の妃が、まして敗戦国の公主であった妃ならばなおさら、国にとって害となるような奇行に走らぬようにと、監視の目的で己の手の内の者を侍女として送り込むのは、そう珍しいことではないだろうと思う。

 あのように生真面目に思い詰めずとも良いものを。

 そこまで考えて、頭を振り、思考を打ち消す。

 あの様子ならば采凛は大丈夫だろう。悧達の部下もついている。

 必要であれば手助けをすればいい。

 さて、集中しなければ。

 弓を引き絞り、王の背後に迫っていた凶手めがけて一息に放つ。

「ぐっ」

 くぐもった声と共に倒れた凶手を確認し、次に狙いを定める。

 悧達も王も生まれながらの武人であるかのように、その腕は確かに強い。

 けれど、これだけ敵の数が多く尚且つこれだけ木々の密集した狭い道幅では、その力も思う存分には発揮しづらい。

 少しでも彼らが戦いやすいようにと、そっと木々の陰に隠れて敵を射続ける。

 矢数を考えれば、確実に一撃必殺でなければならない。

 自らに迫り来る凶刃を交わしつつ、指が引きちぎれそうになるくらいに何度も何度も弓を放つ。

 そうして戦いながらふと、気づいたことがあった。

 この敵兵たちの動き方に、見覚えがあるような気がしてならないのだ。

 まさか、と口中で呟き、ごくりと唾を飲む。

 いや、しかし。もしこの考えがあっているのならば、王が私に何も告げずに出立したのも理解できるのだ。信用出来ない、と。そう判断されたのならば。

 そう考えれば考えるほどに、頭の中が鮮明に働き出す。

 やはり、この者たちの動きを私は知っている。

 桐国にいた頃、母や私の命を狙い続けていた者たち。

 我が祖国の暗殺者たちの動きに酷似しているのだ。

「……どういう……っ!?」

 一瞬、躊躇したのがいけなかった。

 後ろから何者かに口を塞がれ囚われる。

 しまった、と思ってみてももう遅い。

 殺される、そう思った。

「……静かに聴け」

「!!」

 しかし、予想に反して、男が耳元で何事かを囁いた。

 後ろから羽交い絞めにされたままなので、男の顔を見ることは出来ない。

「……王命だ。この毒矢をお前に。これであの男を射殺せ」

「!?」

 ふっと拘束が緩み、訳も分からないままに後ろを振り返ったが、そこにはもう、誰の姿もなかった。

 ほんの一瞬の出来事ではあったが、それが白昼夢ではない証拠に、珠嬰の手には一本の毒矢が握られている。

「……馬鹿な」

 じっとりと嫌な汗がじわじわと噴出した。

 では、やはり、これは我が祖国、桐国からの襲撃だということなのか。

 父王はいったい何を考えている?

 あの男を射ろ、などと。同盟を結んだばかりではないか。

 それともあの人は、端から約定を守る気などなかったのだろうか。

 ああ、そうかもしれない。

 どこまで正しいかは分からないが、この国に来て分かったことがある。

 もともとは、桐国が隣国である(しん)国と結託し、勢力を飛躍的に拡大させていたこの庚国の王を討つ計画を練っていたという。

 そうしてそれが実行に移された時、逆に桐国の方が返り討ちにあったのだという。

 この国の者たちは皆、桐国の末路を自業自得だと見なしていた。

 それは、あの国にいれば分からないことではあったが、分かったとて、すでにあの国の民でなくなった珠嬰には、もうどうでも良いことだった。

 しかし、仮に、父王が最初から同盟を破棄する目的であったとして。

 ならば、ならば、この私の存在は何になるのだろうか。

 桐国が裏切ったと分かれば、まず間違いなく私は殺される。

「……そうか」

 そこではたと気づく。

 だから、私なのか、と。

 他の公主ではなく、ただの商家の娘に過ぎない母を親に持つ私が。

 下賎の生まれである私がこの国に嫁がされた、つまり、どうでも良い人質として送り込まれたのか、と。

「…………」

 笑える話だ。実に、面白い。

 気が狂いそうになるくらいに大声で笑ってやりたくなった。

 なるほど。

「……は……なる、ほど」

 泣いているのか笑っているのかももう分からない。

 私という存在はいったい何なのだろう。

 もう、どうでもいい。

 何も考えてはいけない。考えようとしてはいけない。

 壊れてしまう。



 思い出すのはあの恐ろしい目。

 どんなに逃げても逃げても逃げても、容赦なく追い詰めてくる。

 助けて、と叫んでみても誰も救ってはくれない。

 執拗に追いかけてくる複数の目を、あの恐怖を、一生忘れることはない。

 幼いながらも次第に人を殺めることに慣れてしまったことに、絶望を感じながら、どんどんと氷のように心が凍てついていったあの感覚を決して忘れることはないだろう。



 のろのろと、握られていた毒矢を弓に番え、弦を引き絞る。

 今、自分はどんな目をしているのだろうか。

 あの鬼のような目をした男たちと同じ目をしているのかもしれない。

 押し込めても、押し込めても震え上がってくる恐怖が止まらない。

 仮に今、ここで王を万が一上手く射られたとしても、その後、まず間違いなく私は殺されるだろう。そしてきっと父上はそれを望んでいるのだ。ああ、なんと笑える話なのだろう。

 しかし、そう。それは考えようによっては、それで私はもしかしたら解放されるのかもしれない。この、苦しみから。悲しみから。孤独から。その全てを。

「陛下!」

 悧達のどこか焦っているような声にはっとする。

 見れば、氷旺が苦戦を強いられていた。

 先ほど、落馬したときに左肩を強かに打ちつけていたのだろう。

 痛みに顔を引き攣らせた瞬間、剣を叩き落とされた。

 敵兵がにやりと顔を歪め、氷旺に向けて剣を振り下ろす。

 が、氷旺がその一瞬の隙を突いて、足を払い、懐に潜り込んで手套を繰り出したが、し損じる。

 そこでふと、氷旺と目が合った。

 珠嬰が矢を引き絞っているのが目に入ったのだろう。

 一瞬、驚いたような顔をした後、静かに、とても静かに、哂った。

 よりにもよって哂ったのだ、あの男は。

「珠嬰!」

 そうしてあの男は、真っ直ぐに私の名を呼んだ。

 母国においてさえ、ほとんど呼んでくれる者などいなかった私の名。

 心が震える。

 氷旺が、剣戟を繰り出してきた敵兵の動きを交わして、後ろから羽交い絞めにし、動きを封じた。

 そうして珠嬰の方を見据えたままに叫んだ。

「珠嬰! 射てっ!!」

 震えた。手も心も何もかもが。

「ふ……ふざ、けるな……」

 その位置では氷旺諸共に打ち抜いてしまうではないか!?

 それとも分かっているのか。私が今、狙っているものが何なのかを。

「早くしろ!」

 そう言いながら氷旺が楽しげに笑った。

 ああ、この男。本当に好かぬ。何故いつもそうなのか。

 分かっているのだな。私がお前を打ち抜こうとしているのを分かっていて尚、私に射ろというのか。どうして私の周りの男たちは皆、こうも身勝手なのか。

「珠嬰!」

「煩い!」

 時間がない。

 氷旺の命と手の内の毒矢を秤にかけ、息を飲む。

 私は、どうすればいい?

「は。……や、やめろ! 誰か! 王妃をとめろ!」

 誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 ギリリ、と振り絞っていた矢を寸分違わず、狙い定め、一息に放つ。

「陛下っ!!!」

 放たれた矢が弧を描き、狙い通り、吸い込まれるようにして沈んで行く。

「陛下ぁっ!!」

「あの女を捕らえろっ!!」

「桐……珠嬰様っ!!」

 悲鳴にも似た怒号と叫び声があちこちから上がる。

 しかし、そのどれも珠嬰の耳には届かない。

 ただ、ゆっくりゆっくりと、倒れ行く暗殺者と氷旺の姿を、じっと眺めていた。

 微笑みながら倒れ行く氷旺の口元が、何事かを呟くように動き、珠嬰の心の奥底にあった何かがぐらりと震えた。

 

 ――愛している、珠嬰。


 そうか。

 頬に一滴の涙が零れ落ちた。

 何故、この国にいればこんなにも苦しいのか、あの男を見ているだけでこんなにも腹が立ってくるのか。ようやく今になって分かった。

 私は――



 ――私は、あの男を愛していたのだな、初めて会った瞬間から。

 







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