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王の妃  作者: s
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「桐妃様」

 顔を上げると、采凛がこちらにやって来るところだった。

 手に何かを抱えている。

 だんだんと近づいてくるにつれて、それが饅頭だということが分かった。

 そう認識した途端に、腹の虫が鳴り、羞恥に頬を染めて俯いた。

「桐妃様、饅頭をお持ちいたしました。朝餉、召し上がっていらっしゃらなかったでしょう?」

 そう言われて思い出す。

 そういえば、今朝は起きぬけに悧達と話をして、王に咎められ、そのまま出立してしまったため、ろくに食事を取っていなかったのだ。

「……ありがとう」

 素直に礼を言って受け取ると、采凛は嬉しそうにふっと頬を緩めた。

 采凛は、庚国に嫁いで来て、一番はじめに珠嬰付きになった侍女だ。

 一般的に見ても美人の類に入るだろう。

 切れ長の瞳に長い睫毛、薄く紅を引いたようにほんのりと紅い唇、艶やかな黒髪もすっきりと纏められており、どこか、見る者をほっと安堵させるような落ち着いた雰囲気がある。年は、珠嬰より二つ三つ上くらいだろうか。

「桐妃様。何度も申し上げておりますが、侍女に礼を言う必要はないのですよ。それに礼を言われるようなことをした覚えはございません。むしろ私の配慮が足りなかったと叱られても仕方のないことですのに」

 そう言って肩を落として溜息をつく采凛に、饅頭に手を伸ばしながら首を振る。

「いいえ。采凛はきちんと準備をしてくれていたでしょう? 悧達殿との話にかまけて食べるのを忘れていた私がいけないのです」

 采凛という侍女は不思議だ。

 何を言わずとも、全て分かっているかのように滞りなく何もかもを準備してくれている。それが侍女の務めと言えばそうなのだが、何と言うか、恐ろしく珠嬰のことをよく見ているのだろうと思う。

「桐妃様……ありがとうございます。……良かったですわ」

 そう言って微笑みながら差し出されたお茶を受け取りつつ、珠嬰はむず痒そうに身じろぎした。

「何のこと?」

「もしや、慣れぬ旅程と乗馬にご気分が優れないのでは、などとも思っておりましたので」

「ああ、なるほど。……その心配は要りません」

 加えて、采凛は恐ろしく気が利く。

 常々、自分にはもったいないと思っている。

 いくら正妃とは言え、夫に全く見向きもされていない女主人に仕えるのは、采凛があまりにも不憫でならなかった。

 王にはまだ他に妃はいないようだが、その候補くらいは山のようにいるはずだ。

 ならば、その中の内の誰か、少なくとも珠嬰以外の者につけてもらった方が良いのではないか、とそう本人に尋ねたこともある。けれど、頑として断られてしまった。珠嬰としても、本音を言えば、采凛に側を離れられるのは本意ではないため嬉しかったのだが、それで采凛は良いのだろうか、と考えてしまう。

「美味しい」

 思わずそう呟いていた珠嬰に、采凛はますます嬉しそうに微笑んだ。

「そう言って頂けると、作った甲斐がございました」

 驚いて、采凛の顔と饅頭を交互に見つめた。

「この饅頭、貴女が作ったの?」

「はい。出かけるとお伺いする前に作り始めていたのですが、出立までに間に合って良うございました」

 せっかくなので桐妃様に召し上がって頂こうと持参していたのです、と微笑んだ采凛に、珠嬰は幾許か動揺した。

 人の優しさに慣れていない珠嬰にしてみれば、どうしてそのように優しいのか、何か思惑があるのでは、などと変に勘繰ってしまう。

 落ち着け。心を乱すな。冷静でいろ。

「と、ところで采凛。行き先も知らずについて来させてしまったのだけれど、貴女こそ不便はないのかしら?」

 采凛に話を振って誤魔化してみる。

 どうも、采凛といると調子が狂ってしまう。

「はい。ございませんわ」

「そう。なら良かったけれど……ごめんなさいね」

「え?」

「付き合わせてしまって」

 不便がないわけがないのだ。

 突然、遠乗りに出かける、程度の準備で宮を出てきたのだから。

 采凛には本当に悪いことをしていると思っている。

 それもこれも皆、王がいけないのだ。行き先も告げず、目的も告げずに、このようなところまで連れまわして。それも襲撃付きときている。

 王の無神経ぶりにもほとほと困ったものだ。

「……桐妃様」

 ふいに、采凛が真剣な面持ちでこちらを見ていた。

 何か、思いつめているような、切迫しているような。

「どうかした?」

「あの」

 口を開きかけては閉じ、それを何度も繰り返す。

 何でもさらりとこなしてしまう采凛には珍しい反応だった。

 それだけに、どうしたのかと少し心配になった。

「采凛?」

「あの、実は私、謝らなければならないことが……」

「おい」

 とたんに、珠嬰の顔が歪んだ。

 この男は、どうしてこういつも間が良いのか悪いのか分からぬ頃合で話しに割り入ってくるのか。

「出立する。来い」

「……采凛」

「申し訳ありません。参りましょう」

 王を無視して話を続けようとしたのだが、逆に采凛の方に気を使わせてしまったようだった。

 深刻そうな話だったのではないのだろうか。

 この男はどうしてこうも空気が読めないのか。

「おい」

「!?」

 苛ついた溜息を吐いた瞬間、王に、乱暴に腕を掴まれた。

「……何です?」

 睨み付けるように見上げる珠嬰に、王は眉を顰める。

 ほんの数瞬、睨み合いが続いた。

 と、王が掴まえている手とは反対の手を上げた瞬間、思わずビクリ、と身を強張らせていた。

「…………」

「っ」

 条件反射のように、ぎゅっと目を閉じた珠嬰の髪に王の手が触れ、絡まっていたらしい落ち葉をそっと掬い取った。

 ひらり、と王の手のひらから舞い落ちていく葉の軌跡を眺めながら、しまった、と思った。

 この男の何を怖がる必要がある?

 自身の反応に少なからず苛立ちを覚えた。

「……行くぞ」

 王は、そう呟いて手を離し、さっと身を翻した。

 離れていったぬくもりに、妙な感覚を覚え、珠嬰は首を傾げた。





**



「……そんなに楽しいのか」

「は?」

 再び馬上で囁かれた言葉を珠嬰は上手く聞き取ることが出来なかった。

 今度は、王の前ではなく後ろに乗せられているため、王が何か口にしてもその声が風に流され掻き消されてしまうのだ。

 心なしか荒くなった手綱捌きに、しっかりと王の腰に手を回した。

 どうやら王はまたもご機嫌斜めらしい、というのは分かった。

 本当に面倒くさい男だな、としみじみ思う。

「申し訳ありません。今、何とおっしゃ」

「俺以外の人間と話すのは、そんなに楽しいのかと聞いたんだ!」

 ビクリ、と体が震えていた。

「へ、陛下?」

「…………」

 ちっという舌打ちが聞こえた。

 何をそのように苛立っているのだろう。

 珠嬰と相対している時の王の機嫌が悪いのはいつものことだが、今日は、というよりこの旅に出てから王はどこかおかしい。

 苛立っているというより、少し、荒れているような気がする。

「……楽しいのか、というご質問でしたら、そう聞かれましても申し訳ありませんが、私には分かりかねます。そもそも、私には何が楽しいということなのか、よく分からないのですから」

「…………」

 真面目に答えたつもりだが、王の返答はない。

「陛下、どうしたのですか? 申し訳ないのですが、私には質問の意図がよく分からないのですが」

 何が言いたいのだろう。

 質問の真意を考えながら、思ったより背中が広いのだな、などとぼんやり思った。

「陛下?」

 無視か。

 いや、答える気もないのか。どっちなんだ。

「…………」

 前を向いたままの王が、どのような顔をしているのかは分からない。

 ただ、何だか、そう、まるで私が王を苛めているかのような妙な気分になってくる。落ち着かぬし、居心地が悪いのでどうにかしてもらいたい。 

「……無礼なことを申し上げていることは承知の上ですが、あの、何か、この旅に出てから、陛下はどこかおかしい気が致します。その、どうか、なされたのですか?」

 珠嬰にしては随分と控えめに言ったつもりだ。

 宮を出てすぐくらいからぼんやりと思っていたことではあったのだが、聞いてよいものかどうか分からなかったし、お互いに聞ける状態ではなかったのだ。

 今、思えば不思議なことだ。

 この庚国に嫁いできて一年余り。

 これほど多く王と言葉を交わしたのは、おそらくはじめてだと言える。

「……では……い」

 王が何事かを囁く。

「え?」

「……旅に出てからではない」

 王の溜息が聞こえた。

「当に、どうかしている」

 そう答える王の声は、どこか諦めにも似た嘲笑の響きが入り混じっていた。

 王の広い背中を見つめる。

「陛下?」

 と、王がちらりとこちらを振り返った。

 この男が、動揺している?

「……ずっと以前からどうかしてしまっているんだ、俺は」

 すっと王の目が細められた。

 視線が絡み、何故か、心臓がドクリと波打つ。

 妙に落ち着かぬ気分になって、王から視線をはずそうとしたが、何故か出来なかった。その深い漆黒に、惹きつけられてしまっていた。

 風が頬を撫ぜていく。

「へい、か?」

 声が震えた。

「どうか、してしまった」

 再び王が呟く。

「お前に、初めて会った時から、な」

 吹きぬけた風に乗って言葉が霞む。

 上手く聞き取れなかったのか、言われた言葉を上手く咀嚼出来なかったのか。

「え?」

 聞き返そうとした時、ビュっという鋭い音と共に、何かが頬を掠めた。

 そのとたん、視界が反転する。

「陛下っ!」

 珍しく焦っている悧達の声が聞こえ、珠嬰は王の腕に抱かれながら奇妙な浮遊感を味わった。





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