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王の妃  作者: s
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 背中が重い。

 と言っても本当に重たいわけではない。

 何故か、重い沈黙が続いているのだ。

 もとからあまり会話を多くはしていなかったが、先程からよりいっそうしゃべらなくなった、というより何か、感じたことのない居心地の悪さを味わっている。

 蹄の音だけが静かに響く。

 こういった場合、どうすれば良いのだったか。

「…………」

「…………」

 ああ、自分から話しかけるなどという高等な術、私には使えぬ。

 何故私がこのように気を回さねばならないのだろう。

「…………」

「…………」

 もう、良いか。放っておけば。

 そもそも王と会話をしようと思うこと自体が間違っている。

 これまで碌に話したこともなかったというのに、今更だ。

 こんなに張り詰めた空気でなければそのようこと思いもしなかったであろうに。

 いったい、何が原因でこのように苛立っているのか何のなのかよく分からぬ奇妙な雰囲気を漂わせているのだろうか。

 どこまでも迷惑な男だな。

「おい」

 ぐっと息が詰まった。

「は、はい?」

 思わず声が裏返ってしまっていた。

 今の言葉、間違って口に出していなかっただろうか。

 まあ良いか、出していようが、聞かれていようが。

「……何です?」

 慌てて平静さを取り繕う。

 心の内の動揺を見破られていないかとヒヤヒヤする。

 王といると本当に気が休まらない。

「髪留めをどうした?」

「は?」

 さらり、と髪の一房をつままれ、わざとではないのだろうが、少しだけ後ろに引っ張られた形となった。

 王の唐突な問いと行動に、珠嬰は思い切り眉を顰めて振り向きもせずに視線だけで睨みつけた。

「かみどめ?」

 いきなり何を言い出すのか。

 少し苛立っていたため、いつもより一層きつい口調になってしまった。

 気持ち、八つ当たりをしたと言ってもいい。

 が、苛立っている原因が王本人なのだから、八つ当たりと言えるかどうかは微妙なところではあるが。

「していただろう? 朝は」

 そう言われてふと思い出す。

「……ああ」

 そういえば。

「どうした?」

「…………」

「…………」

「…………」

 捨てました。

 と言うのはさすがにまずいということは分かる。

 どうしたものか。

 というか、よく覚えていたものだ。

「大事なものではないのか?」

 聞かれてしばし躊躇う。

「……いえ、別に」

「いつも、していたではないか」

 煩いことだ。

 というか、本当によく覚えている。

 中央に真珠が嵌められた、銀製の百合の花飾り。

 確かに、いつも髪に挿していた。

「母の形見です。唯一の」

 ぶっきらぼうに応えた珠嬰の言葉に、王が軽く息を飲んだのが分かった。

「……なのに、大事ではない?」

「さあ? どうでしょうか。母が自らの喉を掻っ切った髪留めですから、大事なものか、と問われても分かりませぬ。ただ、あれだけが私に残された母の唯一の思い出ゆえ、持っていただけに過ぎません」

「お前……」

 複雑な表情を浮かべる王だったが、前を向いたままの珠嬰に分かるはずもない。

「それより何なんです? 先程から気色悪い」

 珠嬰は、言ったとたん、自身の言葉にはっと身を強張らせた。

「なに?」

 しまった。率直過ぎた。

 ああ、もう。だから私に会話能力を求めるからこうなる。

 知るか、もう。

「先程から気味の悪い雰囲気を放っておいでです。何なのです?」

 珠嬰のあまりな物言いに、王の険悪な雰囲気がいっそう濃くなった。

 それを感じ取り、珠嬰は居心地悪気に身じろぎした。

「…………他に、聞き方はないのか」

 僅かばかり動揺し、苛立った。

「ございません」

「…………」

 再び長い沈黙が降りることとなった。

 初めに話が戻るが、そもそも何故、この男と相乗りでなければならないのだろう。

 悧達殿では駄目なのだろうか。

 この男よりははるかにましだというのに。

 知らず、溜息が零れていた。

 仕方ないのは分かっている。

 刺客に襲われた時、一番の戦力となる悧達は身動きが取りやすい方が良い。

 でも、だからといって何故この男なのだろう!?

「……落としたのか?」

「は?」

「先ほどの襲撃の際に落としたのか?」

「…………」

「ああ、しかしその前にもう無くなっていたな」

 この男は、女の髪飾りがそんなに好きなのだろうか。

 というか、この一連の会話に何の意味があるのだろう。

 鬱陶しい。適当に聞き流してしまっても良いだろうか。面倒だ。

「おい、聞いているのか」

「……」

「おい」

「……はい、聞いております、が」

「が?」

 面倒だ。……面倒だ!

「もう、良いのです」

 溜息まじりに呟く。

 あれは、確かに母の形見。

 母が、父上に初めて賜ったというとても高価な髪飾り。

 ただの商家の娘に過ぎなかった母の運命を狂わせた代物。

「しかし」

「良いのです、陛下」

 もともと母は、父を好いていたわけではなかった。

 どころか、ずっと長いこと想い合っていた相手とようやく結ばれるという ところで父王に見初められ、引き裂かれるようにして後宮に連れてこられた。

 そして逃げ惑う母を父上が無理やり強姦して生まれたのが私だ。

 父上はとかく母に執着し、母は全てにおいて父上を拒絶した。

 好きでもない男に抱かれ、その側妾たちから度重なる嫌がらせと暗殺という名の襲撃が繰り返される日々に膿み、母は自らその喉を掻っ切って死んだ。

 それもあてつけの様に父上から初めて賜った髪飾りで。

 何をするにも壮絶な夫婦だった。

 だから、私はいつも泣いていた。誰にも分からぬ様に見られぬ様に。

 ただ、父上と母上に笑っていて欲しかったから。

 ついに叶うことはなかったけれど。

「……そんなことより」

「そんなことより!?」

 王の片眉が吊り上がる。

「青洲に着いたら、私はまず何をすれば良いのですか。段取りを簡単にかいつまんででも教えて頂けるとありがたいのですが」

 性格上、先が見えない、分からないというのが無性に好かぬ。

 せめて、どこで支度を整え、先王にどのように挨拶をすれば良いのか、それだけでも教えてもらいたいところ。

「……人がせっかく」

 ぼそぼそと今一つ聞き取れぬ声で王が何かを呟いた。

「は? 何です? よく聞こえなかったのですが」

「…………」

 今度は、珠嬰が険悪な雰囲気を放つ番だった。

 本当に合わぬ。

 この男の怒る原因が一向に掴めない。

 掴みたくもないから良いが、苛々する。

 何をそのように怒っていて、私はその怒りをぶつけられなければならないのだろう。

 と、徐に王が手綱を引き寄せた。

 辺りに耳を済ませてみれば、サヤサヤと水の流れる音が聞こえた。

 どうやら水場が近いらい。

 おそらくは馬を休めるために、一息入れるつもりなのだろう。

 と、頭上で溜息が聞こえた。

「……俺の母は」

 王が、どこかぼんやりとした声で呟く。

「俺を産んで死んだ」

「?」

 何の話だろうか。

 この男の発言にはいつもついていけぬ。

 どうしてこう、唐突なのだろう。

「故に、俺は母というものを知らぬ」

「はあ」

 珠嬰は間の抜けたような返事をした。

 だが、王はさして気に留めていないようだった。

「良いものなのか?」

「は?」

 試しているのか。試されているのか、私は。

 理解せよ、と。

 このように脈絡もない発言とその少ない言葉数から内容を把握し的確に答えられるようにと、試されているのだろうか。変に勘繰ってしまうではないか。

 ああ、もう。

 苛立ちが募りすぎて、思考回路が可笑しくなってきている。

「母親とは、良いものなのか?」

 はて。

「良いものなのか、ですか?」

 何故そのようなことを聞くのだろうと思いつつも、疲労が限界を超えてきた頭を必死に回転させて考える。

 母との思い出、か。

 目を閉じて、ぐっと唇を噛み締める。

 物言わぬ瞳でじっとこちらを、何か言いた気に見ていた姿を思い出す。

 好かれていたかは分からない。嫌われていたかもよく分からない。

 母から何か声をかけてもらったこともない。

 ただ、こちらから朝の挨拶の言葉を告げるだけ。

 そうして母が私を見、無感動にこくりと頷く。

 たったそれだけのことが、私にとっては何よりも嬉しかった。

 けれど、もういない。

 鮮烈に思い出すのは、泣きながら笑みを浮かべて事切れた、あの壮絶な最後。

 涙も出なかった。

 ただ、心に大きな穴が開いたのが分かった。それだけだった。

 そういう思い出。

 再び目を開け、眉を潜めて精一杯、自分の気持ちに正直に考えた言葉を告げる。

 私にとっての母という存在。


「………微妙です」


 珠嬰なりに、一生懸命に考えに考え抜いた答えだった。

「…………」

「…………」

「…………」

 間違えた、らしい。

 もう、知らぬ。

 だから私に会話能力を以下略。

 ようやく水場に着いた時、珠嬰は心の底から安堵した。





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