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王の妃  作者: s
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「どこで習った?」

 野営の準備をしている途中、王にそう尋ねられ、珠嬰は煩わしげに首をかしげた。

「さあ」

「おい」

 不快気に王が眉間に皺を寄せたが、珠嬰は肩を竦めて見せた。

「本当に答えようがないのです。我が母は男児こそ産むことはありませんでしたが、父王の寵妃であったゆえ、母は当然のこと、わたくしとて命を狙われることも多うございました。ですから自然と護身のために武具を扱うことも多かったのですが、どれもたいして使いこなすことは出来ず、唯一得意としていたのが弓だった、というだけにございます。さして意味もありませんし、当時は暗殺の護身に弓などあまり役に立ちませんでしたので、まさかこのような場で、また、このような形で役に立つことがあるなどとは夢にも思っておりませんでした」

 一息に言い終え、溜息をつく。

 さして、思い出したくもない思い出だが、母国での思い出で克明に覚えているのがそういったことしかないというのが何とも笑える話だった。

 ただ息を潜め、逃げ、ひっそりと生きることだけが私に赦された道。

 下らない。けれど、どうしようもなかった。どうにも出来なかったのだ。

「暗殺?」

 驚く王に珠嬰は小さく鼻を鳴らした。

 本当に何も知らぬのだな。

 それでよく妃などにしたものだ。

「ところで王。そろそろ教えては頂けないのでしょうか」

 それ以上深く聞かれても面倒なので強引に話題を変えることにした。

 王はしばし瞬き、ああ、と嘆息した。

「まだ、確証がない」

 何をだ、とは言わず、王は素直に応えた。

 そのことに少々驚きながらも、しばし、王の言葉を頭の中で反芻してみた。

「……つまり、大方の目星はついており、それを確かめるためにあえてこのような少人数で行動している、ということでしょうか」

 珠嬰は周りが決まって持て囃す言葉通り、人形のように美しい容貌をしていた。けれど同時に、その美しさは人々に畏怖の念を抱かせる。

 無機質な声音、無感動な瞳、動かぬ表情、それらの全てが珠嬰の美を引き立て、同時に珠嬰から人間らしさの全てを失わせていた。

 ゆえに、誰もが珠嬰のことを真実、物言わぬ人形のように見、扱う。

 けれど話してみなければ分からぬその才器。

 王は愉悦と表現するのが一番相応しい笑みを浮かべた。

「本当に賢しい女よ」

 王のその言葉に、すっと心が冷えていくのが分かった。

 この男、珠嬰が何を口にしてもその全てを小馬鹿にしているようでならない。そんなにまで厭っているのならば、何故后になどしたのだろう。苛立ちを通り越して、心が凍り付いていくのを感じる。

 何も望みはしない。だから心を閉ざしていなければ。

 そうしていなければ、あまりの虚しさに心が壊れてしまいそうだった。

「……」

 珠嬰は、無言のまま立ち上がった。

「何処へ行くつもりだ?」

 王を見もせず、静かに嘆息する。

 この国に来てからというもの、溜息の数が恐ろしいほどに増えた。

 桐国で過ごした日々が幸せだったかと問われれば、否、と答えるだろう。

 なれど、この庚国にいる時ほどの苦痛を味わうことはなかったはずだ。

「寝ます」

 無感動にそれだけ告げると、珠嬰は木の根元にもたれかかるようにして膝を抱えて座りこみ、目を閉じた。

 王がしばらく何か話しかけていたようだったが、意識を閉ざすようにして眠ろうとしている珠嬰の耳には、何も聞こえてはこなかった。






***



 強い日の光を感じてそろりと瞼を押し上げた。

 何度か目を瞬かせて、よく目を凝らしてみると、悧達とその部下たちが朝餉の用意をしているところだった。

 昨晩の死闘が嘘のようだ。

 皆、こういったことには慣れているのかもしれない。

「……王は、どちらに?」

 起きぬけだったためか、少々声が掠れていた。

「ああ、おはようございます。桐妃様」

 ふわりと笑んだ悧達を思わず憮然と見つめていた。

「……」

 思い起こしてみれば、この国に来てからというもの、誰かに朝の挨拶をしたこともなかったのだな、などと思い至る。以前なら、必ず母に挨拶をしていた。まあそれも、母と死別するまでのほんの数年間のことではあったのだが。

 どちらにしろ、挨拶とはどのような顔でするものだったか。

「もう少し休まれていた方が良いのではないですか?」

 珠嬰がしばし沈黙していたのを悧達は気分が優れないのだと判断したらしい。

「……王はどちらに?」

「え? あ、ああ、陛下ならあちらに」

 視線を巡らせると、王が数人の部下たちと談笑しながら、朝餉の準備を手伝っているところだった。その姿に少しばかり驚く。

 王が朝餉の準備をしていることも意外だったが、あの王が楽しげに笑っているところなど、初めて見た。

 珠嬰と相対している時の王には、侮蔑、嘲笑、怒りのどれかの表情しかなかった。だから、あんなふうに楽しそうにしている王を見ると、この男も人間だったのだな、などと随分失礼な感想を抱いていまっていた。

「悧達殿」

 名を呼ぶと、悧達は心底不思議そうな顔をした。

「……?」

 名を呼び間違えただろうか。

 しかし、彼は悧達と呼ばれていたはずだ。

 それとも、私が、呼んではいけなかったのだろうか。

「いえ。何でもありません。何でしょうか?」

 そう言って悧達は照れたように笑んだ。

 よく笑う男だな、と思う。

 王の笑みとは違う種の笑みだ。

 常人ならば爽やかな好青年と判断するところなのだろうが、珠嬰にしてみれば、隣にいることで、まるで何か、自身の心が黒く淀んでいる様が露見されていくようで恐ろしかった。

「王は」

「はい」

「いつも、ああなのですか?」

 王を横目でちらりと見ながら問う。

「申し訳ありません。どういった意味でしょうか?」

 言葉の意図を読めず、悧達が首を傾げた。

 しかし、聞き返されて困るのは珠嬰の方だった。

 質問にたいした意味などなく、ただ思ったことを口にしただけなのだが、それをこの悧達という男に、どう説明すれば良いのか全く分からなかった。

「陛下は」

「はい」

「どういう方なのですか?」

 悧達がさらに困ったような表情を浮かべた。

「……それは……私より桐妃様の方がお詳しいのでは?」

「……」

 そう言われてしまえば、黙るより他にない。

 まともな会話さえしたことがない、などとはとてもではないが言えなかった。

 しかし、どう説明していいものか分からず、珠嬰は押し黙るより他なかったのだが、その沈黙の意味をどう解したのか、しばらくして悧達が口を開いた。ひょっとしたら、長い沈黙に堪り兼ねてのことかもしれなかった。

「そうですね。陛下は……随分と……そう。器の大きな方です」

「器が、大きい?」

 小首を傾げる珠嬰に悧達は、はいと苦笑を浮かべて頷いた。

「陛下は、我々臣下や身分の低い者にも分け隔てなく接して下さるのです。もちろん、身分というものをきちんと弁えられていらっしゃるのですが、何と言うか、そうたぶん、とてもお優しいのだと思います」

 優しい? あの男が?

「そう。とてもお優しくて、そしてとても不器用な方なのです」

 あの王が優しくて不器用?

 いつも眉間に皺を寄せて、何を企んでいるのか全く分からない、ただそこにいるだけで緊張と不快感をもたらすあの男が?

 とてもではないが信じられない。

「王妃様は、陛下のことをどう思っていらっしゃるのですか?」

 この悧達という男、本当によく笑う。

 全くもって理解しがたい。何故、そのような笑みを浮かべながら、よりにもよって何と奇天烈なことをこの私に聞いてくるのか。気持ちが悪い。

 王のことをどう思っているか、だと?

 そのようなこと、決まっている。しかし。

「…………」

 ニコニコと微笑んでいる悧達を見、嘆息する。

 果たして、この好青年然としている男に、どうやってこの思いを伝えればいいのだろうか、と。

「あ、す、すみません! 出過ぎたことを申し上げてしまいました。申し訳ありません。どうぞお忘れ下さい」

 じっと悧達を見つめ過ぎていたのだろうか。

 急に恐縮して謝り出した悧達に、こちらの方が申し訳なくなった。

「いえ、こちらこそお話下さってありがとうございました」

 無表情にそう告げた珠嬰に――本人は丁寧に謝っているつもりであるのだが――、悧達は、しばらく瞬いた後、ふっと微笑んだ。

「……以前、酒宴の席で珍しく陛下が酔われたことがあったのですが」

「?」

「俺に落とせぬ女などいない、と豪語されたことがあるのです。もちろん場を和ませるためにおっしゃった冗談なのですが」

 フン、と、つい鼻を鳴らしてしまいそうになって、慌てて自制した。

 あの傲慢な男の言いそうなことだ。

「ですが。もし、もし落ちぬ女がいたら」

 仮にも一国の王だ。落ちぬ女などいないだろう。誰もがあの男に、王であることを望み、妃になることを求め、まず間違いなく落ちるだろう。それがたとえフリであったとしても。だから、落ちぬ女などいるわけがないのだが。

「いたら?」

「俺は間違いなくその女に落ちるだろう、と」

「……」

 何というか、聞いて損をした。

 馬鹿じゃないのか、あの男。

「おそらくは、それも冗談でおっしゃられただけなのだとは思いますが、近頃の陛下を見ていると」

「悧達!」

 急に打ち切られた会話に眉を潜めた。

 その声の主に、不快感がいっそう増す。

「悧達」

「はい、陛下」

「そろそろ出立する。準備をしろ」

「は」

 そう言っていそいそと去っていく悧達の後姿を申し訳ない気持ちで見つめていた。やはり、話しすぎたのだろう。変に質問などせず、ただ黙って朝餉をとっていれば良かったのだ。王はきっと、私が何をしていても気に入らないのだろうから。

「何の話をしていた?」

 自分も出立の準備をしようと立ち去りかけていたところだったため、呼び止められたことにも言われた内容にも苛立った。

「別に」

「おい」

 今度は氷旺が眉をピクリと跳ね上げた。

「陛下には関係のないことです。それとも私は、誰と何を話したか、何をしていたか、全て、貴方にご報告申し上げねばならないのですか?」

「……」

 今度は普通に、フン、と鼻を鳴らして、出立の準備のため、采凛のいるところへ向かった。

「俺は……」

 王が何か言おうとしていたが、珠嬰には最早それを聞く気など毛頭なかった。

 優しくて不器用? あの男のどこらへんが?

 やはりそう思わずにはいられない。

 傲慢で威圧的。

 それ以外にあの男を表現する言葉などない。

 と、そこまで考えてから、珠嬰ははたと立ち止まり、眉間に一層深い皺を刻んだ。

 何故、私があの男のことを考えねばならないのだろう、と。






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