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王の妃  作者: s
2/12




 路程の中、馬上で揺られながら珠嬰は最も耐え難い屈辱に耐えていた。

 一人では馬に乗れぬ珠嬰は、あろうことか、氷旺に抱かれるようにして乗せられている。

 忍びの旅程なのか、従者の人数も少なく、まして籠がないのでは、どうしても誰かに乗せてもらわなければならない、ということは重々承知している。

 しかし、何故この男でなければならないというのだろう。

「おい」

 目を閉じて、聞こえぬふりをする。

 王は、狸寝入りに気づいているのかいないのか、珠嬰が馬上から落ちぬようにそっと引き寄せた。おかげで珠嬰は、王の胸にもたれかかるような態勢になってしまう。自然、ピクリ、と片眉が吊り上る。

「寝ているのか? そろそろ着く頃合だ」

 だから何なのだ、と言ってやりたい。

 そもそも珠嬰は、何処へ行くのか、何が目的でどうして自分までが着いて行かねばならぬのか、何一つとして分からないのだ。

 そろそろ着くと言われても、そうか、としか言いようがない。

「まだ、青洲に入るまでにはしばしかかる。今のうちに寝ておけ」

 思わず、閉じていた目を開いていた。

 見上げると、不思議そうな顔をしている王と目が合った。

「……ああ。青洲というのはな、我が庚国が誇る工具師の」

「そのようなことを聞きたいのではありません」

 庚国が青洲は、大陸でも一、二を争うほどの一流の工具師たちが多く集まる場所であり、この国の貴重な財産源でもあった。もともと戦乱の多いこの国において、武具を自国で作れることは大きな利点で、なおかつその質も最高とあれば、庚国が軍事国家として大陸に名を馳せているのも頷ける。

 だから青洲がどういうところで、そしてそこで何をするつもりなのか、ということもだいたいの予想がついた。むしろ、もうしないものなのだろうと思っていた。嫁いでからかれこれ一年が過ぎようとしいているのに、何故今なのか。

 青洲。あそこには、氷旺の父、庚国が先の王、(らん)(しょう)がいるのだ。


 この性悪狸めが。

 よくもそのように何食わぬ顔でいけしゃあしゃあと言えるものだ。


「どうかしたか?」

 カッと頭に血が上る。

 頬まで朱に染まっている気がする。

「どうかしたか、ではございませぬ」

 努めて平静さを装う。

「陛下、青洲で何をなさるおつもりなのですか」

「何、と言われてもな」

「言われてもな、ではございませぬ!」

 思わず声を荒げていた。

 何なのだろう。どうしてこの男はこんなにも私を怒らせるのだろう。

 本当に、嫌になる!

「ご報告に参るのではないのですか、藍晶様に」

 珠嬰と氷旺の婚儀は、ほぼ一日で完了した。

 庚国の従来の作法に則れば、婚礼、それも王の婚礼の儀とあれば、7日に渡って昼夜、行われることとなっているはずなのだ。庚国の始祖王である李炯淑(りけいしゅく)への婚儀の誓いに始まり、民たちへの披露目と祝儀に終わる、庚国でも最大の祝祭とも言うべき儀式のはずだったのだが。

 婚儀の過程の一つに、新王の即位にもその妃との婚礼にも先帝に報告を兼ねた祝福を受けるという、慣例があった。これにより新王は先王に認められて王位に就いたということになり、それは永久に祝福された御世となる、とされているのだった。

 それが、ほぼ一日で完了し、尚且つどんなに他の工程を省略したとしても、必ず行うべき先帝への報告というこの大事な項目さえも省いて行われた。これは異例中の異例のことであった。

 どのような経緯でこの過程が省略されたのかは知らない。

 けれど、王はそこまでして珠嬰を人目に晒したくはないのだな、と思っていた。

「……ああ。よく分かったな」

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている王を殴ったとて、誰が責めようか。

 ぐらりとする頭を抑え、荒くなる呼吸を必死で落ち着かせる。

「……そのような大事、何故先に話して下さらなかったのですか。わたくしは、ご覧のとおり着の身着のままで、侍女でさえこの采凛(さいりん)ただ一人しか連れてきておりませぬ。これでは、藍晶様と青洲の洲長に対して無礼に値します。一言、州城に行くと申して下さっていれば、着物にしろ人手にしろそれなりの準備を整えることが出来ましたでしょうに。あのように、何も説明せず時間さえないのでは、陛下の配慮が足りぬと申し上げても無礼にはなりますまい?」

 人を馬鹿にするにもほどがあるというものだ。

 仮にも形だけとはいえ、王妃という役職を与えられているのだ。

 たとえ意に添わぬ身分であろうと、その立場を弁えぬ行動をする気はない。

 してはならない。これは私の意地でもあるのだ。せめてもの抵抗とも言える。

 本当にささやかな抵抗だが、これが今の私に出来る限界だった。

 自然、怒りがふつふつと湧き上がってくる。

 しかし、最早何に対する怒りなのかは分からなくてなっていた。

 睨みつけるように王を見上げて悪態をつく珠嬰に、王はすっと目を細めて笑んだ。

「……お前はそのままで美しい」

「なっ!?」

 怒りに頭の先にまで血が上る。

「……よくもっ」

 怒りに震える肩を体を、落ちぬようにと支える腕が煩わしい。

 汚らわしい手で触れるな。私を見るな。

「よくも、よくもいけしゃあしゃあとそのような戯言が言えたものですね」

「戯言のつもりはないが?」

 うっすらと笑むその顔が、瞳が厭わしい。

 ああ、殺してやりたい。

 そう思わずにはいられなかった。

 これまで私を見ようともしなかったくせに。

 交わした言葉も数えるほど。

 嫁いできてからこの一年、無き者としての扱いにもようよう慣れたのだ。

 そう。無き者だったのだ。私は。

 ここに嫁いできてからは。

 私は、存在せぬものとしてただ、国と国とのもしもの時の繋がりとして生きていればいいのだと、ようやく落ち着いてそう考えられるようになった。

 それを今頃になって突然外出に付き合わせたり、あろうことか、容姿のことを今更になってとやかく言ったりするなどとは、人を馬鹿にするにもほどがある。

「……もう、よろしい」

 すっと心が落ちた。

 そう、そうだ。心の内を出してはならぬ。

 私は無き者なのだから。

 父の言葉にもこの男の言葉にも、ただ黙って従っていればいい。

 私には、私の命さえ自由に扱うこともままならぬのだから。

 今更、誰に何を期待するというのか。

 そう。私は、全てに目を、閉じていればいいだけだ。

「もういい、とは?」

「……良いものは良いのです、陛下」

 突き放すようにそう言って、珠嬰は再び目を閉じた。

 それ以上説明する気はなかったし、会話をする気さえもなかった。

 が、ふと思い出したように、ああ、と呟いて目を開ける。

「出過ぎたことを申し上げてしまい、申し訳ございませんでした」

 感情の一切篭らぬ言葉の断片を紡ぎ、珠嬰は今度こそ静かに眠るために目を閉じた。王も、それ以上会話を続けようとはしなかった。




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