告解/彼の選択
「一目で奪われた」
「全てを」
「何もかもを」
「欲しいと思った」
「だから」
「「だから」」
「手に入れた」
**彼の選択**
最早、誰もいなくなった城で、部屋で、ただ嗤っていた。
一人、狂ったように嗤い続けていた。
もう、いない。
誰もいない。
いなくなった。
いや、違う。
自分は、ずっと昔から、一人だ。
一人だったのだ。
だから、一目見た時、欲しいと思ったのかもしれない。
どうしようもなく惹かれ、何を賭してでも手に入れたいと願った唯一のモノ。
渇いて渇いて、どうしようもなく渇いていて。
狂おしいまでに叫んでも決して届くことのない孤独という飢えに侵されていた。
だからだろうか。
城下に降りた時、初めて見たあの幸せそうな笑顔が忘れられなかった。
震えるほどに美しく、何よりも眩くて尊いモノ。
歓喜に戦慄が走った。
ただ、出逢えたことが嬉しかった。
だというのに。
どこで間違えたのだろう。
女の笑顔以外全く見えていなかったから、知らなかったのだ。
笑う女の隣に男がいたことなど。
泣き叫び、何度も己の首に刃をあてがい、拒絶する女を縛り、何度も何度も宥める
ための言葉を紡ぎながら、何度も何度も抱いた。
一介の商家の娘が突然、王宮に連れて来られれば、これほどまでに馴染まぬのも無理はないと思っていた。
王の妃など、唯人がなれるものではない。
だからといって、どんな女も喜んでなろうとするものではないのだと初めて知った。
これまで、己の周りにいたどんな女とも違う。
政治的な背景など一切絡まない婚姻がとても嬉しくて、愛おしかった。
だから、早く馴染めるように、何度も何度も、労りの言葉を紡いで抱いた。
けれど、女は一向に慣れる気配はなく、どころか、日を帯びるごとに自害を試みる回数は増えて行った。
何度生死の境を彷徨ったかはしれない。
何度も丁寧に手当てをして、蘇生させ、その度に、懸命に言葉を紡いだ。
いつか笑ってくれるようになるまで。
あの美しい花のような笑顔が見たくて。
けれど。
全てを賭けて手に入れたその女は、他と同じように私を見ようとはしなかった。
そして。
いつの日か、気づいた。
気づいてしまった。
女の向ける瞳に底の知れない憎悪が滲んでいることを。
瞠目する。
これが、愛するということのなのだろうか。
そんな憎しみの瞳にさえ、自分は心を奪われているのだから。
何度でも、縋りついてでも、彼女を手放す気にはならなかった。
その頃にはもう、自分の世界には彼女しか存在していなかったからかもしれない。
彼女が、彼女だけが、自分を見ている。
例え憎しみを込めた瞳であったとしても。
それでも嬉しかったのだ。
仄暗い愉悦が心の中に、染みのように広がって行く。
彼女の中に、確かに、自分は存在している。
永遠の孤独から解放されたと知った瞬間の歓喜は、年甲斐もなく咽び泣くほどに
嬉しかった。
そんな折だった。
彼女が身篭ったのは。
自分を拒絶していた彼女は、当然、その腹に抱える自身の子でさえ拒絶した。
何度も何度も腹の子を殺そうとする彼女の様子に、彼女が望むのなら、それも仕方
がないかもしれないと思った。
自分にとって大切なことは、彼女がそこにいる、ということだけだったから。
けれど、母の殺意に抗うかのように、腹の子は生まれてきた。
彼女に良く似た白い肌の子どもだった。
嬉しくて。
彼女の自分の確かな絆と思えば、震えるほどに嬉しくて。
他のどの子よりも特に目をかけた。
彼女によく似た相貌がたまらなく愛おしく、たくさんの玉や衣装を贈った。
贈れば贈る程、その子供は、無邪気に笑って喜んでいた。
救われたような気さえしたのだ。
だから、この日々に、彼女と共にいられる日常を大事にしようと思った。
そして。
その日以来少しずつ、彼女は能面のような表情を浮かべるようになり、その瞳の中
に何かを映すことはなくなっていった。
拒絶されることはなくなったが、同時に、何を言われることも何をすることもなく
なったのだ。
虚ろな瞳をして、生きているかも死んでいるかも分からない、まるで人形のように
なってしまった。
何度話しかけても、何度抱いても、何度悔しさの余りに痛めつけてみても。
もう、彼女の瞳には、彼女の世界には、何一つ映されてはいなかった。
そうか。
自分は、失ったのか。
そう思った。
同時に。
手に入れてもいなかったのだ、と。
何にも代えがたい確かな絆を手に入れたと思っていたのは、自分一人きり。
最早、誰もいなくなった城で、部屋で、ただ嗤っていた。
一人、狂ったように嗤い続けていた。
もう、いない。
誰もいない。
いや、違う。
自分は、ずっと昔から、一人だ。
一人だったのだ。
臣たちが、とんだ愚王だとよく笑っていたのを知っている。
事実、そうだと認識している。
けれど、己以上に、臣たちが愚かに過ぎる、ということもよく分かっていた。
庚国に攻め入るなど、と。
無謀という言葉でも片づけられぬほど、愚かだ。
懸想することさえ間違っている。
そんな簡単なことが何故、分からないのか。
そう返す気力もなかった。
臣たちに庚国への侵略を進言された時、悟ったから。
これで終わり、と。
何故、生まれてきたのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、彼女の室へと向かう。
もう、全てがどうでも良かった。
何の反応も示さない女であっても、ただ、彼女の傍にいたかった。
傍にいられる幸せを噛みしめていたかったのだ。
だというのに。
そこで目にした光景に、己の髪や喉を掻き毟り、身が裂ける程に発狂した。
寝台の上に広がる鮮やかな赤と白い肌。
滅びればいいと思った。
何もいらない。
何も望まない。
ただ、全て、滅びればいいと思った。
視界の端に映った何かが、懸命に何事かを叫んでいた。
名を呼ばれていたような気もするが、よく分からない。
もう、どうでも良かった。
肩に触れかけた何かを払いのけて跳ね飛ばす。
それは、小刻みに震える誰かの小さな手だった気もする。
何でもいい。どうだっていい。
彼女がいない。
それだけが、事実。
それだけが世界の全て。
否、世界そのものがなくなった。
最早、誰もいなくなった城で、部屋で、ただ嗤っていた。
一人、狂ったように嗤い続けていた。
世界が滅んでから数年後、向かうところ敵なし、とでも言うべき大陸の覇者、庚国
が庚王が、この桐国へと終わりを告げにやって来た。
この瞬間を待っていた。
乞い、焦がれていた。
これでおわり。
終われるはずだった。
しかし、返り血を滴らせながら現れた、まだ年若い大陸の覇者は、想像もしていなかった言葉を口にする。
死にたかったので。
何より誰よりこの国を破壊したかったので。
要求は呑めない。
そう言おうとした。
だというのに、気が付けば、庚王の鬼気迫る圧力に押し負け、気が付けば、是、と
答えていた。
ふと、庚王の目を見て、既視感を覚える。
それは、何かを望む者の瞳。
何を賭してでも手に入れようとしている者の目。
かつて、大昔、その目をしていた者をよく知っている。
ぼうっとしたまま、ある室へと赴き、中にいる者に目を向ける。
ソレと目が合い、とても驚いた。
一瞬見紛うほどに、ソレは彼女によく似ていた。
駆け寄りかけて、踏みとどまる。
違う。ちがう。チガウ。
ソレは彼女じゃない。
ソレの目を見ていて気が付いた。
彼女に良く似た容貌を持つソレは、この愚鈍な己と同じ瞳をしていた。
そうか。
これは、これが、我が子、私の子か。
我が子へ、庚へ行けと告げる。
自身と同じ、破滅を望む目が微かに揺らいだ。
ふと、奇妙な心地がした。
先ほどの庚王の目を思い出す。
変わるだろうか。
変われるだろうか。
この娘は。
永遠の孤独とどうしようもない破滅願望から解放出来るだろうか。
そんな疑問が芽生え、妙な心地がしたのだ。
いずれ、この国は庚王の一族の者へと下賜されるだろう。
だから、それまでの間だけ、偽りの王であり続けてみよう。
王の娘。
それ以外に、我が子へ与えることの出来る贈り物など、もう何もないのだから。
庚国の監視の元に幽閉された城の中で。
ただ、一人、静かに笑う。
かつての臣たちもほとんどが逃げ出し、或いは捕縛されて処刑された。
この城に、かつての桐国の面影はない。
だが、それでいい。
この国は間違ったのだから。
否、この国の王と臣下は決して間違えてはならない道を間違えたのだ。
だから。
だから、この虚無の中で、私は静かに死を待とう。
ふっと閉じた眼の裏に、我が子の最後に見た顔が蘇る。
それから、初めて彼女――花燕を見た時の花が綻ぶような笑顔が見えた。
玉座に座り、じっと息を潜めた。
僅か数年で急激に老いた体が、ひどく重い。
そのことに安堵し、息を吐く。
終わりがもう、すぐそこまで来ていた。




