剣の主としての差
「ともかくだイクス。逃げてばかりじゃ、いつかやられちまうぜ」
「言われずとも百も承知。そしてこれ以上、小娘を調子に乗らせるわけにもいかん」
「調子に乗ってくれるなら、まだいいんだけどな……」
物陰へと隠れながら、央太は空を見上げた。
ブーストをかけた刺突を避けられてから、エリザベスは慎重な行動を取るようになっていた。
あわよくば、さっきの突撃で央太を仕留めてしまおうと考えていたのだろう。央太を『二級生徒』と侮りつつも、それなりに本気での打ち込みだったのは、その証拠だ。
しかし、その必殺の一撃は避けられてしまった──そのことが、かえって彼女に冷静さを取り戻させたようだった。
今の彼女は牽制程度に射撃を繰り返しつつ、上空をホバリングしながら、央太たちの様子を伺っている。
消極的なようにも思えるが、いざとなれば先ほどのようなブースターを利用した突撃が可能なのだ。
央太たちにしてみれば、一瞬たりとて隙を見せられない状況が続いていた。
「せめて地上に降りてきてくれればなぁ……取っ組み合いとかで、何とかなるかもしれないのに」
「なぜ、飛ばないのだ?」
「は?」
飛び交うハテナマーク。
相変わらず、二人の間には微妙な齟齬があるようだった。
「バカ言えイクス、飛べるわけないだろう。人間は、飛べるようには出来てないんだぞ? あの女みたいに、剣甲冑でもあれば別だけどさ」
「……重力制御による空間機動は、剣甲冑に依存する能力ではない。人工剣霊と感応同調すれば、使えるようになるものだ」
「マジで!?」
「嘘をついてどうする」
大きな溜息をつく。
もしも今のイクスに肩があれば、きっと盛大に肩をすくめていたことだろう。
「……入学時に適正がないと断じられ、二級生徒呼ばわりされていたお前が、学校でどういう扱いを受けているのかはわかる。だが、それでも腐らずに座学ぐらいはやっておいてほしかったぞ。戦いながら基本的なことまで説明するのは、とても骨が折れる」
主にお前のな、と皮肉を付け足すのを、イクスは忘れなかった。
「……つ、次からそうする」
「そうだな、そうしろ。では……その『次』を作るとしようか、央太!」
「そうはいきませんわ! あなたたちに『次』などありませんっ!」
話を聞くに、頭上の利を取れるのは、今が最後と見たのだろう。
双剣コルタナを振りかぶったエリザベスが、ブースターから青白い光を放ちながら突っ込んでくる。突きではない。
斬撃だ。それも身体を回転させながら、両手の剣で横薙ぎに斬り付ける、竜巻のような一太刀。
地に身を置いては──避けきれない。
「飛翔べ、央太! すでに翼は与えたぞ!!」
「こ、のぉっ!」
膝に力を入れて大地を蹴り、身体を宙へと躍らせる。
一メートルから二メートル、三メートル……高度が上がると、斬り込んできたエリザベスの背中が見えた。
鋼翼の付け根──剣甲冑の装甲の隙間を、央太の目が捉える。
(いけるッ!)
心によぎる確信。
イクスを握る手に、力が篭もる。
空の見えざる足場を踏み台に、全身のバネを使って、刃を突き出す。
切っ先があたかも放たれた一矢のごとく、エリザベスと交錯した。
「背中をっ!?」
刃が、彼女の背中を斬り裂く──かに見えた。
エリザベスはとっさに身体を丸めながら、手にした双剣を地面へと突き立てる。
まさしくそれは急ブレーキ。強引に動きを止めた反動で、エリザベスの身体が捻れながら跳ね上がった。
タイミングのズラされた央太の剣は、彼女の脇腹をかすめたのみ。
逆に無防備な姿をさらした央太の胸を、エリザベスは捻れた姿勢から無理やりに蹴り上げた。
「ぐうっ!?」
みしりと、央太の肋骨が軋んだ。
反撃するには、かなり無理のある姿勢からの蹴り。エリザベスはただ、届くところに脚を伸ばしただけに近い。
しかし、それでも剣甲冑のない央太にとっては、それなり以上に堪える一撃だった。
「さ、さっすがぁ……!」
蹴られた勢いをそのままに、距離をとる。
埠頭に立ち並ぶ倉庫の一つ、その屋根の上へと降り立った。
「……痛むか、央太?」
「結構な。まさか、あの体勢からこっちを蹴るかよ、あいつ……!」
脇腹を抑えるエリザベスを見上げながら言う言葉には、驚嘆の響きが含まれている。
アカデミー学内における、剣の主のヒエラルキーそのものから除外されるような存在であったため、央太は今までエリザベスの持つ肩書きを、本当の意味で理解していなかった。
生徒総数十万人を超える、超国家教育機関アカデミー。
その一学年につき、わずか五十名足らずしかいない、人工剣霊を与えられた真の剣の主候補生──いわばその頂点の一角を占めるのが、あのエリザベス・ハノーヴァーという少女なのだ。
弱いわけがない。
「お前の判断は間違ってはいなかった。だがあのピンク頭、どうやら危機に際して、本能的に身体が動くタイプのようだな。よほどの反復訓練を積んでいるのだろう。打ち込みを喰らっても、身体が萎縮していない」
「俺と違って、か?」
苦笑いのようなものを浮かべる央太。
「……気付いていたのか」
「そりゃ、自分の身体だからな」
要するに、彼女と央太では場数が違うのだ。
アカデミーのトップアスリーテスの一人として訓練を積んできたエリザベスと、二級生徒として日々くすぶっていた央太とでは、過ごした日常の密度が違う。
重ねた努力は、己を支える背骨となる──今更、それに気付かされた。
エリザベスの高慢にさえ思える自信は、流した血と汗があってのもの。自らの才に奢らず、薄紙を張り重ねるように培った経験こそが、彼女のプライドの源だ。
だが、央太にはそれがない。
央太は自分が酷く、矮小な存在であるように思えた。
「……くそっ、ハードル高ぇなぁ」
「何を言っている。たかが学年主席程度を倒せないようでは、この先やっていけんぞ?」
「この先、ね」
その真意までは、わからない。
だが、今の体たらくを思えば、イクスの言葉は現実味のない、夢物語を語っているかのようだった。
信じられない──そういう空気を察したのだろう。
イクスは諭すような口振りで続けた。
「確かに、お前とピンク頭を比べるなら、剣の主としてお前の勝るところなど、丸っきり見あたらん」
「そろそろ本気で泣くぞ!?」
「だがな、たった一つだけ、お前があの女に勝る点がある」
もったいぶるような言葉だった。
いかにも先を促してほしいと言わんばかりの台詞に、少しだけ辟易する。
だが話を先に進めるため、あえて央太は彼女に訊ねた。
「それは?」
「お前には、私がついている。その一点のみ、確実に勝っているのさ」