契約の時
「選べ。地に伏せ絶望に頭を垂れ続けるか、それとも……天を見上げて私と共に反逆するか、だ」
イクスは誘うように央太の手を取ると、それを自分の胸元へと近づけていく。
央太は、それを拒絶しなかった。されるがままにしながら、ただ空を見上げている。青く、高い空を。毎日変わらなかった、同じ色だと思っていた空を。
未だ、それは同じ色にしか見えない。当たり前だった。
しかし、わかる──これが好機である事は。
不安はある。公安委員と敵対しようだなどと、考えもしなかった。だが、その不安を乗り越えなければ、望むものはきっと掴めないのだろう。
舗装された凡庸の道を往くか、それとも茨と不明で先を隠された道を往くか。見たかった空は、どちらの先にあるのか。その答えは、明らかだ。
央太は返事をする代わりに、イクスの柄を手にして、力いっぱいに引き抜いた。
「やればいいんだろ、やればっ!!」
「契約成立、だな」
微笑んだ彼女の姿が、まばゆい光に包まれていく。。
刃渡りは一メートルと少し。その幅広で真っ直ぐな刀身には、不思議な幾何学模様の刻まれていた。
いわゆるバスタード・ソードに近いサイズであるため、見るからに重そうという雰囲気ではなかったが──その実、のしかかるような重さが、央太にはズッシリと堪えていた。
剣の物理的な重さではない。
それは……『契約』の重さだった。
「……これで、全部お前の思惑通りかよ、『イクス』!」
「その通りだ、我が主よ。そして、私とお前が勝利することまでこそが……契約だ」
剣となったイクスの言葉は、なおも変わらず自信に満ちている。己が誤ることなど、何一つ想像していない……絶対の勝利を約束する、そんな口振りだ。
だが、大言壮語そのものとも言えるその台詞を、許さない者がいた。
「勝利……この私を前にして、よくもほざけたものですわね!」
頭上から、怒気に溢れた声が降ってくる。
運河埠頭の倉庫街から、空を見上げる央太。
そこには白銀色の鋼翼を持つ外骨格装甲『剣甲冑』を展開させた、一人の少女の姿があった。
ウェービーなストロベリーブロンドが、自らを浮遊させている、鋼翼からの排気流に揺れる。
剣甲冑にすっぽりと隠れるほど小柄な身体を包むのは、航空学園艦の制服──明るいエンジ色をしたブレザーだ。
その左腕には、公安と染め抜かれた黄色い腕章が、安全ピンで留められていた。
彼女は断罪者然とした態度で二人を一瞥すると、おもむろに口を開く。
「誰かと思えば、貴方は……うちのクラスの浅見央太さんじゃありませんの」
一瞬、少女の瞳が驚きに見開かれるものの、すぐにそれは厳しい目つきへと変わっていた。
「……なるほど、どこの馬の骨とも知れぬ『人工剣霊』と、万年劣等生である貴方が手を組んだと。一体全体、何のつもりか知りませんが、その程度の力でこの私に、このエリザベス・ハノーヴァーに喧嘩を売るおつもりですの?」
「ま、万年劣等生だと……!」
舌鋒鋭く飛び出した罵詈雑言に、表情が固まった。
なるほど、万年劣等生とはよく言ったものだ。
アカデミー中等部の三年間、そして高等部入学から一ヶ月。
それだけ経ってもなお、央太は一度たりとて正式に剣と──『人工剣霊』と、マトモに契約できた試しがない。
ずっと、エリザベスの言うように劣等生、すなわち『二級生徒』の身分のままだった。
現在の学年主席にして、アカデミーの治安維持を司る『公安委員』まで勤める彼女から見れば、蔑んでしかるべき存在だ。
だが、央太からすれば、それは──面白く、ない。
そしてその感情は、彼が手にするイクスにもまた、共有されていた。
「ハッ! 笑わせるなよ、ピンク頭の小娘が! 馬の骨とは言ってくれる。貴様のほうこそ、私の力がわからないようでは、大した『剣の主』ではないようだな?」
彼女の挑発に、今度はエリザベスの頬が引き攣った。
よもや反論されるとは、思っていなかったらしい。
「なっ……何て生意気な……! この駄剣、取り消しなさいっ!」
「断じて断る。誰が駄剣だっ!」
にべもない。
けんもほろろとは、まさにこのこと。剣だけに。
しかしそうなると、エリザベスの怒りの矛先は、果たしてどこへ向くのか。
考えるまでもないほど、簡単な結論だった。
「ちょっと何なんですの、何なんですのっ!? 剣のしつけがなってませんわよ、浅見央太!」
「こいつとは、さっき会ったばかりだっ! 性根の悪さは俺のせいじゃねぇよ!!」
「……少しは擁護しろ、我が主」
ちょっとだけ泣きそうな声のイクス。
しかし、央太からの返事は冷ややかなものだった。
「騙し討ち同然に『契約』を押しつけておいて、よく言うぜ」
「だが、選んだのはお前だ。そして私は、決して『契約』を違えない。戦う力は、すでにお前の中にある」
それは、わかる。
イクスを構える己の五体に、今まで知らなかった感覚が流れ込んでいるのを感じる。
今までに見えていなかったもの、聞こえていなかったもの、感じていなかったものを──知った。
五体に力が行き渡り、緊張感に心地よささえ、感じていた。
「……あら?」
ぐぬぬとばかりに臍を噛んでいたエリザベスの目が、すうっと細められた。
肉食獣的な、剣呑な微笑み。なまじ美人であるだけに、かえって凄みがある。
「まさか、私に『帯剣決闘』を挑もうとでも?」
「だと言ったら?」
その視線に負けないよう、目に力を込めて央太は言い返す。
「よもや、本気で私と渡り合おうなんて、思ってらっしゃるとは……」
口からくすりと、嘲笑がこぼれた。
剣を構え、自分に立ち向かおうとしている央太の姿が、よほど滑稽に見えるのだろう。
だが、滑稽に見えるのと同じくらい、彼女は腹立たしいに違いない。
央太が屈服しない──それはつまり、学内で一目置かれるエリザベス・ハノーヴァーという存在の力を認めず、軽んじているということなのだから。
圧倒的に格上であるはずの自分に立ち向かおうとする、その行為自体を、彼女は認められない。
「一応はクラスメイト、大人しくそこな駄剣を捨てれば、罰に手心を加えないでもありませんでしたが……違法と知りつつも手を結び、刃向かうとあらば致し方ありません」
バキンと音を立てて、剣甲冑から部品が外れた。
鋼翼の一部が、薄く鋭い刃のようになって、ふわりと宙を舞いながら、エリザベスの両手へと収まる。
数は二振り。銃把のように曲がった柄を持つ、一対の片刃剣だ。
愛剣を抜いたエリザベスは、一、二度感触を確かめるように振り抜くいてから、切っ先を向けて、こう言った。
「いいでしょう、その駄剣もろとも……あなたの思い上がりを粉々にブチ砕いてさしあげますわっ!!」
旧作・メイデンブレードを改訂しているうちに、まったく別物になってしまったので、別作品として投稿することにしました。一部用語などに共通点が残っていますが、実際にはまったく別の話となっています。