私というもの
寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」を読み終えた。
ビレバンで買ったやつだ。
いつもオーストラリアに行くときは何冊か本を持っていく。最近、好んでいるのは宮部みゆき、山本文緒、森瑤子。女性作家が多い。ジャンルは問わないが、なるべく重ならないように選ぶようにしている。
その時の気分で読みたい本を手にとりたいからだ。
先週までの私は寺山修司。今週の私は森瑤子になりそうだ。
だから、こんなものを書こうと思ったのに違いない。
最近、よく思う。人生はうまくいかない。だからこそ、人生なのだ。こんなえらそうなこと言ってはいるが、本当の意味ではそんなことは23歳の若造にはわからない。人生というものが何かを見つけるスタート地点にたったに過ぎないから。だか、そんな浅はか人生経験の中でもこう思えて仕方がないのだ。人生はうまくいかない。
もちろん、わかってはいる。どうにもならないことがあることぐらい。頭ではわかっている。頭ではわかっている。頭ではわかっている。頭では・・・わかっているのだ。
「英語ができないのに大学院にいけるなんて。」そう彼は私に言い放った。冗談まじりの冗談。でも、ピンセットではもちろんのこと、神様の手だってこの細い太いいばらだらけの針を抜くことはできない。事実だからではない、彼に言われたからこそなのかもしれない。私はきちんとテストに合格してでの大学院入学だ。一番驚いているのは私自身。明日に入学が控えているにも関わらず夢ではないのかと、実感が持てずにいる。大学院に行こうと思ったのは彼に出会ったからだ。側にいたい、ただそれだけの最も最低な希望からの進学。ありがたいことにそれが叶って、すぐに私達は別れた。日本に帰ろうか、そう思わない日はなかったが、私は結局オーストラリアの地を選んだ。この選択に後悔はない。学歴を欲するというのも進学の希望だったからだ。私は生粋の日本人。
昨日、長年付けている日記の去年の昨日を読み直した。笑ってしまった。それは、彼との初めての別れ話がでた日だったからだ。今でもその日のことは覚えている。2軒目のシェアハウスでの出来事だった。6畳あるかないかの天井の高い部屋でその電話はなった。電話の後、整えられていない狭い庭で私はタバコを吸い続けた。ただ、ずっと吸い続けた。この日で全てを終えていれば、今まで彼を引きづることはなかっただろう。ゆずの「未練ソング」が体内を駆け巡る。
そして、私達は別れたにも関わらず一緒に暮らすことになった。
洗濯機を回す。少しの洗濯物でも回す。洗濯物と一緒に心も洗い流す。
久しぶりの何もない週末が憎らしい。携帯をただ見つめる。誰からの電話を待っているのだろう。わかっている。でも、口には出せない。ふいに電子音が鳴り、私のガラスの心がたちまち高鳴る。着信は待ち人ではないとわかると同時に私はその携帯を布団の奥深くに沈めた。私も一緒に沈みたい。
無音に耐えられず、電子音のスイッチを入れる。このまま静穏が続いたら、私は発狂して混沌の中に自ら飛び込むから。
テレビでは「オーシャンズ・イレブン」が英語のみを話している。当初の夢、字幕なしで映画を観る。この夢は100%とはいかないにしても、叶った。これだけでも感謝するべきである。夢が叶ったのだから、感謝しなくてはならない。でも、夢が一つ叶うと次の夢ができあがる。そして、もがく、手を伸ばす、叶わないと余計にむさ苦しいぐらいにもがく。オーストラリアに来たのは英語の勉強のため。目を覚ませ、開け。彼のために時間をさいている暇はないのだ。目を覚ますのだ、ただ単純に。目を開け、ただ大きく。手を伸ばせ、ただしっかりと。
どこから話せば私は落ち着くのだろう。とりとめもないことばかりを話してきた。とりとめもない私の心を話してきた。しかし、整えなくては。いつまでもこの樹海に身を委ねているわけにもいかない。目を開かなくては。そして、道を見つけ出さなくてはならない。
彼との出会いは海外生活ならではの出来事がきっかけだった。私の友達がネットで帰国セール品を検索していた。海外ではこういうサイトが多々ある。なぜなら、永住する人が少なくほとんどの帰国者がそれまで保持していた家具や服、本などを売って少しでもお金を稼ごうとするからだ。そして、ありがいことにそれらのものは長期で使われていないので新品に近い状態で手に入ることが多い。彼もそういったものをサイトで売ろうとしていた者も一人だった。しかし、彼は帰国するのではなく、引っ越しする際に不必要な物を売ろうとしていた。友達は掃除機を探していた、そして、彼は掃除機を売ろうとしていた。利害は一致し、彼らの間で交渉がネット上で行われ、それは成立した。友達が掃除機を受け取りに行く時、一緒にいた私も同行することになった。そう、これが彼との初めての出会いであった。他の友達は運命だねというがこんな運命は願い下げだ。しかし、当時の私はこの友達同様運命みたいだと浮かれていた。これからの私達はなんてことはない。普通のカップルと一緒である。メールのやりとり、そして、ごはん食べないかという彼の誘い。そして、私は初めて彼の家に行ったのである。
私には悪い癖がある。それは、すぐに寄生してしまうことだ。彼とのことも例外ではなかった。私はこの日から自分の家にほとんど帰らなくなった。その日のうちに近くのスーパーで歯ブラシとパンツを買った。このときの私はずっとこういう生活が続くと信じていた。大げさかもしれないが、彼との結婚生活を夢みたりもしていた。滑稽で腹を抱えて笑いたくなる事実である。恋は盲目であるとはよく言ったものだ。この言葉を言った人は本当の恋をした人に違いない。私も一瞬にして盲目になってしまった。盲導犬が私をひっぱってもきっと私は彼の背中、彼の手にしか向かうことができなかっただろう。盲導犬が得た厳しい訓練の賜物の盲導犬資格でさえ、私は剥奪することができただろう。彼しか見えなかったのだ。彼だけが私の全てだった。今までも恋をしたことはある。しかし、こういう気持ちになったのは初めてだった。恋愛中毒。この言葉がぴったりである。しかし、山本文緒の「恋愛中毒」の主人公ほど中毒にはなってはいない。理性は少なからず持っていた。だが、このほとんど中毒の気持ちをストレートに彼に伝えることができなかった。私たちは海外に来てまで勉強をしている学生の身。勉強が本分である。恋愛では決してありえない。この時、彼はちょうど大学に入学したばかりで様々なことが初めてで全てが手探り状態であった。留学と口では簡単に言えるが、決して楽なものではない。日本の大学とは比べ物にならないぐらい繰る日も繰る日も課題である。しかも、私たちは現地の人と教室を同じくする。そして、英語で経済や福祉、デザイン等を学ぶのである。例年、何人か留学生が脱落していく現状を否めなくはない。私はその時はまだ語学学生で彼に比べればお花畑で蝶々を追いかけるほど気楽なものだった。この違いから、私は彼の勉強の邪魔をしない、彼の負担にはならないと決めていた。体の穴という穴から彼に会いたい、抱きしめてもらいたい、キスをしたいという気持ちがあふれでてしまわないかといつも穴をふさぐのに精一杯であった。こういう行動は彼が私より年下だったということもあったかもしれない。恋愛に年なんて関係ないという人もいるが私にとってもやはりどこかで気にしてしまうものであったのだ。
彼は手紙を好んで書いていた。母宛であったり、家族であったり、友達であったり、そして、私であったり。このことは一生隠しておきたいと思っているのだが、いまだに彼からの手紙を持っている。捨てなくてはと思っているのだが、教材が閉じているファイルにしまっている。あれは付き合い始めて間もない頃だったと思う。彼がふいに私に手紙を書いてくれた。それは彼の愛情がまだ私に向けられていた頃のだ。今は持ってはいるが決して読み返すことができない。もしも、読み返したらきっと私は今すぐ、部屋のうすっぺらな扉をあけて死刑囚の収容部屋よりもエリザベス女王の部屋の扉よりもはるかに重い、厚い、そして決して私のためには開いてくれない彼の部屋の扉をノックしてしまうからだ。そして、私はなんて叫ぶのだろう、なんて叫べばいいのだろう。きっと、何を叫んでも永遠にその扉は開くことはないのに・・・。
私のことを馬鹿だと呼べばいい。いつまでもひきずるなと怒鳴りつけてくれればいい。これは誰よりも知っているからだ。血がふきでるほど体中にいばらを締め付けるほど知っている。でも、どうしようもないのだ。どうしようもないのだ。だからこそ、こんなものを書いているのだ。ふっきれていたら、こんなものは書かない。忘れなくてはならないからこんなものを書いているのだ。書かないと、書かないといけないのだ。書かないと、何かしていないと私はきっと彼の手紙を食べてしまうだろう。そして、過去から抜け出せなくなってしまう。なんで、私は彼を責めなったのだろう。私のもとから去る彼を子犬用に足にすがりついて離さなかったのだろう。
どうにもならないからだ。どうにもならないから、どうでもいいことをしなかっただけだ。
明日は晴天だ。外人の天気予報のお兄さんが早口で言っていた。洗濯物をしなくてはならない。洗剤をたっぷりいれて、晴れ過ぎた空の下、色とりどりのゆがんだ汚れた洗濯物を干そう。きっと、気分が晴れるだろう。
そういえば、洗濯は昨日したばかりだ。洗濯かごにはTシャツが一枚入っているだけ。洗濯物を探さなくてはならない。何でもいい。私の心を洗い流してくれるものならばなんでもいい。
晴れ過ぎた空の下で、洗濯物を干そう。そして、蒸発していく水分と一緒に私も蒸発してしまおう。きっと、大気に紛れ込んだら、失うことを怖いと思わずにいられるから。
初めて書きました。何をどうやったらいいのかわけもわからず、ただ打ち続けました。自分にとってはかけがえのない作品になったと思います。