8.忍び寄る影 (2)
徐々に徐々に橙のベールが周りを覆い始め、視界を染めていく。
森の中を駆け抜け、ただひたすらに村へと突き進む。途中、幾度か魔物に襲われ、その度にノラリダの背中からブン、という重低音が奏でられては、行く手を阻む敵を真っ二つに切り裂いた。
もう何度目か崩れ落ちていく魔物の先に、ようやく村の入り口が見え、ノラリダの足が自ずと速められる。
森が終わりを告げ、広がったのは少しだけ傾斜のついた草原。そこへ足を踏み入れた瞬間、ノラリダはハッと顔を強張らせ慌てて立ち止まると、後方へ跳躍した。
ヒュンッ。彼女がいた場所に疾る、刃の煌き。横薙ぎにしたまま止められた巨大な鎌。それの持ち主が、拍子抜けしたような表情を浮かべた。
「あらま、外れたし。ジャストタイミ~ン♪ と思ったんだけど。ハハハ~ッ残念、残念」
クルリ、と器用に鎌を回転させ肩に担ぐと、彼は韓紅の髪をかきむしりながら、ひょろりとした体躯をノラリダへ向けた。
彼女を映したボルドーの瞳が一瞬固まり、すぐさま二度三度と瞬かれ、そして興味津々といった色を灯した。
「へぇ~っこりゃまた、もう一人いたんだ? しかもこっちは、同じ色の目と来たもんだ。あっちの方は、主殿に問答無用で取られちまったけど、んだよ。もしかしなくても、こっちが大当たりってやつ? オレ様、超ラッキーじゃん!」
「何者よ、あんた!?」
獲物を抜き放ち身構えながら、ノラリダは鋭い声を発した。
オレ? と尋ねた彼の口元がニヤリ、と歪む。
「オレは闇の8神の一人、玩弄の神ロンディス・オーダ。そう言うあんたは――ってまあ、そんなんどうでもいっか。せいぜい愉しませてくれよ~、蒼髪のお嬢――ちゃん!」
ちゃん、と同時に再び凶刃がノラリダに見舞われた。
迫る一撃を縦に構えた大剣でいなし、間髪容れずザッと前に出した右の足を軸に、彼女から流れるようなカウンターが放たれる。それを胸元で受けたロンディスから、鮮血と悲鳴が飛び散った。
「ぐああっ!」
確かな手応えにノラリダが唇を緩めると、――な~んてな、という楽しげな囁き声。
「!」
反射的に差し出した大剣の刃に、大鎌の持ち手の先が突き出される。
乱れた体勢では衝撃を受け止めきれず、ノラリダの身体が後方へと弾き飛ばされた。
『神々には、普通の武器では太刀打ち出来ないと言われているのは、二人とも知っていますよね? 対抗出来るのは、神器を携えた者のみ――』宙を滑りながら、ふと脳裏を過ぎっていくミハロスの言葉。
(剣が駄目なら――!)
グッと顎を引き、ノラリダは手にした大剣を地面に突き刺した。ザザ……ッ、剣が土を削る音と共に滑空する勢いが殺されていき、彼女の足が再び地を踏みしめる。
右の人差し指と中指を立てながらスッと息を吸い込めば、周囲を取り巻き始める幾つもの精霊の気配。その中でも特に親しみを覚える流れに、ノラリダはそっと語りかけた。
「我が盟友――、蒼き力、蒼穹なる泉、蒼然たる血潮。心を介し、その導きを我が前に示せ」
「お? 今度は魔法に頼っちゃう? んだけども、そんじょそこらの精霊魔法じゃ、オレ様は倒せな――」
ひょい、と両肩を竦めるロンディスに、ノラリダの指先が狙いをつけた。
「正義の上位精霊魔法――、イシュティアルダ!」
力ある言葉と共に解放された彼女の魔力が蒼い雷と変換され、大きな奔流と化す。ぎょっとした表情の男を巻き込み、その場を蒼い閃光が貫いた。
ガクン、と急激に脱力していく全身を奮い立たせ、顔を上げたノラリダの瞳が最大限に見開かれた。
突如として上空へと舞い上がる、幾筋もの黒い炎。それらは虚空で一つとなり、巨大な黒の塊を形成すると、覆い被さるようにその辺一帯を呑みこんでいく。刹那、耳を劈く爆発音と共に、彼女の視界全体が一気に炎上した。
「な……っ」
何が起きたのか理解が及ばず呆然と見つめるノラリダの前で、逆巻く炎たちを背景に長身の黒い影がユラリ、と揺らめいた。