7.王子の花嫁候補 (7)
「この曲、確かさっきの――」
呟くノラリダの眼前に、スッと差し出される左の手。それと穏やかな表情を交互に見やりながら、彼女は面食らったようにきき足を後ろに退いた。
「ちょっ、何の真似?」
「私と踊って頂けますか、麗しいお嬢さん」
「ばっ……、あ、あたし、そういう類は……っ」
「からっきし、とは言わせないよ? さっき、ちゃんと僕が教えてあげたんだから」
ノラリダの左手が取られ、そのまま引き寄せられる。フワリ、薄水色のドレスの裾が舞い上がった。
背中に感じる自分のものではない温もりに、彼女の全身が強張っていく。そんな彼女に囁かれる、優しい声色。
「僕の動きに合わせて足を動かすだけでいい、て言ったよね? あとは、僕がリードするから」
タン。タン。始まるステップに、つられるようにもう一つの足音が続く。優雅にリズムを刻みながら、重なるシルエット。
「そういえば、君に命を救ってもらったお礼なんだけど。あの時、君を助けたことともう一つ――」
「もちろん、引き換えでいいわよ」
「……随分と即答だね。まだ全部を言い終わってなかったのに」
「なによ、他になにか言いたいことでもあったわけ?」
「まあ、いいけどね」
少しくぐもったような彼の低音。それに、ノラリダは感慨深そうにポツリと漏らした。
「……本当にアルバなのね、あんた」
「疑っていたんだ? 僕のこと」
「だって、今のあんたとまるで別人みたいじゃない。もっと強面の、いかつい男を想像していたのに」
「ぷっ、そうなんだ? 変装する際モデルがいた方がやりやすいかなと思って、君が好きだって言っていた物語の王子様の口調を参考にしてみたんだけど」
「……全然、似てないわよ」
「そう? 残念だな」
全くそんな風にはとらえられない彼の物言いに憮然としていたノラリダは、ふとあることを思い出した。
「ねえ、あんたの本当の名前は? 『アルバ』ってどうせ偽名なんでしょ? アルバオだから『アルバ』なんて安直なつけ方、わかりやすすぎるのよ。もうちょっとひねる工夫くらいしなさいよね」
ふう、とノラリダから歎息が落とされた。
彼の腕が伸ばされ、二人の距離がわずかに空く。交差する、蒼の瞳とライトブラウンの瞳。と、後者がフッと自嘲めいた色を浮かべた。
「ひねるも何も、別にアルバオからつけたわけじゃないんだけど」
その場で一回転したノラリダの腰が、すぐさま引き寄せられる。近づく真摯な表情に、ノラリダは思わず顔を背けた。そんな彼女に微笑しながら、彼は続ける。
「名乗るのが遅くなってしまったね。僕は――、アルバード」
初めて耳にする彼の本当の名前に、ノラリダはチラリと視線だけを動かした。
気づいた彼――アルバードは、ライトブラウンの瞳をゆっくり細めていく。
「アルバオだから『アルバ』じゃなくて、アルバードだから『アルバ』だったんだ。まあ、安直と言えば安直だね」
二人を包んでいた音楽が、余韻を引きながら鳴り止む。
名残惜しそうに離れていく彼に、ノラリダは抱いた感想をそのまま口にした。
「……紛らわしい名前ね」
苦笑で答えたアルバードの目が、ノラリダの胸元に光る銀の装飾品をとらえる。
「ああ、そうだ。それ――、必要ないんだったら、その指輪――」
「あっ」
指先に触れられそうになり、ノラリダは弾かれたように身体を退いた。手を伸ばした状態で驚きを浮かべるアルバードに、しまった! と彼女は慌てて弁解を始める。
「こ、これはその、つい反射的に……!」
「……ぷっ」
吹きだしながら、彼は嬉しそうに口元を緩めた。
「ということは、僕にもまだ希望があるってことかな?」
「そ、そんな意味じゃないわよっ! なに勝手に解釈してるわけ!? 絶対にありえない、ありえないんだからっ!」
一気に否定を羅列しながら、ノラリダはガッとドレスの裾を両手で鷲掴みにした。
「それより、あたしをそろそろ解放して! この衣装、さっきから動きにくくて仕方がないのよっ」
「よく似合っているのに着替えるのかい? もったいないなぁ……」
残念そうなアルバードに、ノラリダは勢いのまま更に捲し立てる。
「お世辞はいらないわよ! こんな綺麗なドレス、どうせあたしには似合わな――っ」
伸ばされた指先が、ノラリダの顎をクイッと掠め取った。
予想外の出来事に言葉尻をどこかに置き忘れた彼女の蒼の瞳が、徐々に見開かれていく。その中で、わずかに翳りを覗かせたライトブラウンの瞳がユラリ、と揺らめいた。
「どうして、そんなことを口にするかな? こんなに美しい姫君には、今まで出会ったことがないのに」
「な……っ」
ボン、と火の出る勢いで頬を染めるノラリダに、アルバードの顔に広がっていくのは悪戯めいた色。
彼の親指の腹が、彼女の紅唇を優しく撫でた。
「そんなことを言う唇には、お仕置きが必要かな?」
「な……、な……っ」
急速に赤みを増していくノラリダをそっと解放しながら、ニコリ、とアルバードの面立ちが崩れた。
「じゃあ、その指輪は君に預けておくよ。お守りだとでも思ってくれたらいいから。でも、失くさないでね? 失くした、なんてことになったら――、その時は覚悟して貰わないと」
満面の笑みで物騒なことを告げてくるアルバードに反論しそうになるのを踏み止まると、ノラリダはグッと拳を握り締める。これ以上彼のペースに巻き込まれるのは御免だとばかりに、彼女は無言のまま彼に背を向けた。