7.王子の花嫁候補 (6)
奏でられ始めた音楽に混じって聴こえてくる、歓喜に酔いしれたあとの名残。歌声、泣き声、叫び声、いろいろなものが耳を掠める中、ノラリダは彼に連れられて隣接する控え部屋に移動しながら、ポツリと漏らした。
「……すごい人気ね」
「それもこれも、代々続く王たちの善政のおかげかな。元々、アルバオ王家は民衆に絶大な人気があるんだよ。僕はそれにのっかっただけ」
「自分で絶大な人気とか言うかしら、普通」
呆れ口調のノラリダに彼は悪戯っぽく笑うと、そうだねと素直に認めた。控え部屋の入り口を開け、先に彼女を通す。
「だけど、僕も口にしてしまった以上、もう後には引けないからね」
控え部屋の扉が、パタンと乾いた音を立て閉められる。ノラリダが、振り向いた。その蒼目に映る、扉に背を預けながら彼女を見つめるライトブラウンの双眸。それが、ニコッとほころんだ。
「――というわけだし、僕と婚約してくれるよね? 国王の傍に王妃がいないと、また争いの種になるのは目に見えているし」
発言後、きっかり落ちる間隙。
意味が解らずただただ瞳を瞬かせていたノラリダは、次の瞬間、はあ!? と大声を上げた。
「なんでそこで急に話が飛ぶのよっ! だ、誰があんたなんかと婚約するって言った? あたしはそんな気、これっぽっちもないわよ!」
「そうなんだ? でもほら、婚約の証は受け取って貰っているし」
ライトブラウンの目線が、チラ、とノラリダの首元に伸びる。
彼女の手が、胸元を彩っていたシルバーのチェーンをグッと握り締めた。
「婚約の証って、まさかこれのこと……!?」
「そうそう。それね、僕の母の形見なんだ。とは言っても、代々アルバオ国の王妃に受け継がれているものだから、本当は母から僕の花嫁に渡されるはずだったんだけど」
わずかに肩を下げながら苦笑する彼に、ノラリダは目を丸くして詰め寄る。
「あ、あんた、これが婚約の証なんて一言も言わなかったじゃない!」
「うん、そうだよ。前にも言っただろ? 『次に会えたとき、必ずお礼はさせて貰う』――だから、今がその時」
その台詞に蘇る、彼と初めて会ったときの記憶。それに、ノラリダは愕然となった。
「ま、まさかあんた……!」
「受け取ってくれるかい?」
『あんたみたいな貧乏そうな旅人から――なんて、あまり大したお礼も期待できないでしょうし?』返答した内容を思い出し、ノラリダの面差しに一気に熱が込み上げる。
見目麗しく、寛大で勇敢、そして爽やかな笑顔の王子様――。
いつか自分の下にもそんな素敵な王子様が――。
心のどこかでは、いつもそう――夢見ていた。けれど。
「――ふざけるのもいい加減にしなさいよ」
呻くような、震えを帯びた彼女の声音。
思わず彼女の名前を口走りそうになり、彼はハッとしたように口をつぐむ。
「あんたは、あたしをどれだけ馬鹿にしてからかえば気がすむのよ。あたしがいつ、そんなことを望んだ?」
キッと鋭くなった蒼の瞳が、怒りを滲ませ彼を睨みつける。
「あたしの未来を勝手に決めようとするなんて、何様のつもりよ! しかも、こんな人を騙すような真似をするなんてありえないわ! こういうものには、ちゃんとした段取りがあるはずでしょ!?」
ノラリダの声のトーンが、更に高まった。
少しばかり上にある彼の目を真っ直ぐに見すえ、自分の胸元に手をやるとドレスの生地を掴む。
「あたしの価値は、こんな一国の王妃と均等に扱われるような、そんな薄っぺらいものじゃないのよ。あんたみたいな詐欺師なんかに、このあたしはもったいなさすぎるわ! あたしを花嫁にしたいなら、もっと自分を磨いて出直してくることね!」
ビシッ。突きつけられた指先に、彼の瞳が幾度も瞬かれる。
その両肩がゆっくりと動き始め、次第にそれは激しくなっていき、ついには決壊した。
「――ぷ、くくくくく」
「ちょっと、そこ笑うところじゃないでしょ!?」
「ごめんごめん、悪気は全くないんだ。けど、詐欺師はひどいな」
憤慨するノラリダをなだめようと謝罪の言葉を口にしながら、彼は前髪をかきあげた。
ライトブラウンの双眸が、その優しい光を彼女へ向ける。
「やっぱり、君は面白い人だね。ますます、惚れ直してしまいそうだよ」
臆面もなくそう告げてくる彼に再びたじたじとなりながら、ノラリダは握った拳をブン、と虚空に叩きつけた。
「だ、だから、そうやってあたしをからかうのもいい加減に……!」
「好きだよ」
「……!」
彼女の反論が、一言に遮られた。
目を見開いたまま固まる彼女に、彼からもう一度その言の葉が告げられる。
「君が好きだ」
「な、な……っ」
思考が停止し、真っ白に染まり始める頭。その中で返す言葉を必死に探すが全く見つからず、ノラリダの口だけがパクパクと動き、頭とは反対に彼女の面立ちは赤みが強まっていく。
そんな彼女に、彼はクスリ、と笑みを漏らした。
「さっき君が言ったんじゃないか。段取りがあるはずだって。だから、まずは告白からね」
平然と宣う彼に、ノラリダは脱力したようにガク、と項垂れた。
額に手を当て、緩々と蒼髪を横に振る。
「あんたってホント……、わけわかんないわ」
「そうかい? わりとわかりやすい性格だと思うんだけど。とりあえず、ありがとう」
「褒めてないわよっ!」
はあ、と大きな息をつき、苛立ちまぎれにタンタン、と足を踏み鳴らす。
纏められた髪をグシャグシャとかきまわしたい衝動に駆られていたノラリダの耳に、聞き覚えのある音楽が届けられた。