7.王子の花嫁候補 (3)
ローブを脱いだ反動で、フワと煽られる茶色の髪。額にかかるそれを無造作に――だが、その慣れたような仕草は、あまりに堂に入ったものだった。かきあげられた柔らかい短髪が、少しだけ見上げる位置にある整った面立ちを覆う。
呆然と成り行きを眺めていたノラリダの蒼玉が、優しげなライトブラウンの双眸と交差する。目が合った瞬間ニコッと微笑まれ、彼女は一気に溢れ出す怒りと羞恥にかあっと頬を染めた。
「どういうことよ、これは。あんた、確かあの時の行き倒――むぐっ!?」
突然背後から伸びた二本の腕に羽交い絞めにされ、口元がハンカチで塞がれる。押さえつけられた台詞を無理やり呑みこみながら、ノラリダは首だけを巡らし犯人をキッと睨みつけた。
彼女の鋭い視線を受け止めた菫色の瞳が、何の悪気もなさそうにそっと伏せられる。
「お静かに願います」
小声で囁いた口元が、笑みを模る。
柔和なはずのその表情が、だがどこかしら危険なものを内包しているような気がして、ノラリダの背がわずかに凍りついた。
(なによ、こいつ……! あたしの背後を取るなんて、動きどころか気配も全く感じなかったわ)
信じられない、とばかりに目を見開く彼女の耳に、ガヤガヤとしたどよめきと、それに混じり若干かすれた問いかけが飛び込んできた。
「――いつ、戻ってきた?」
ノラリダの顔が正面を向き、赤い儀礼用の衣装をまとった背中、そして対峙するムキムキ男の焦りの滲んだ表情をとらえる。
「今さっき、かな。堂々と正面から城に入らせてもらったんだけど、気づかなかったかい?」
あんなに怪しい格好をしていたのにね、と小さな笑みが漏らされる。
「なら、どこに行っていた?」
「どこにも。結局、この国に滞在していたよ。君があまりにしつこいから、身は隠させてもらったけど」
「馬鹿な! アルバオは隅々まで調べつくしたはずだ」
「そうだろうね。君の黄金騎士たちが街を我が物顔で歩いている様子、何度も見かけたから」
後ろからでも解るくらいに、赤に包まれた肩が大きく竦められる。
「それにしても――、随分と手のかかることをしてくれたみたいだね、ゼノン。まさか、ここまで強引に出てくるとは思っていなかったよ」
一度言葉が区切られ、ふう、と歎息が落とされた。
「僕が不在の間に、“花嫁選び”と称した舞踏会を開いて各諸侯を集め、アルバオとミドルーアの婚約を発表する。もし仮に僕がいなくても、ミドルーアの王子である君の発表は正式なものとして各諸侯の耳に入るだろうからね。元々望まれていた婚約だし、誰も反対する者はいない――僕を除いては、ね」
「…………」
「“正式に”発表されてしまったものを覆すのは、そう簡単なことじゃない。ついこの前までの僕だったら、それも僕の使命と割り切って受け入れていただろうね」
淡々としていたた口調が、次の瞬間ガラリと変わる。
「でも僕は――、運命と出逢ってしまった」
その言葉と同時にふ、と拘束が緩む。何事かと後ろを向く前にトン、と背中を押され、ノラリダは一歩二歩と進み出た。非難を浴びせようと彼女が口を開こうとした刹那、それを遮るような馬鹿でかい哄笑がその場を劈く。
「運命だと? ははははは! ここは、“花嫁選び”の舞踏会場だぞ? このまま誰も選ばなかったら、不況を買うことは間違いない。この場にいる誰もが、この国を支える重要な立場の者たちばかりだ。彼らに恥をかかせる気か? 彼らの納得のいく花嫁を選べるのか? 大人しく我が妹と――」
「ああ、それなら大丈夫。言ったはずだよ、運命と出逢ってしまったって。僕の花嫁には彼女を――、ついさっきそう決めたから」
そう宣言した背中が、颯爽と振り返る。
目映いほどの笑顔を浮かべた彼のライトブラウンの双眸を受け止めたノラリダは、話の流れについていけず、何が起きたのかいまいち理解できないまま、は? と呆けたような声を発した。