7.王子の花嫁候補 (2)
広がる、だだっぴろい空間。壁際に用意された幾つものテーブルを囲むように、大勢の紳士淑女が佇む。その表情は歓喜だったり落胆していたり悔しげなものだったり、様々なものだった。扉の開閉音に気づいた何人かが、ノラリダたちを振り返る。瞬時に強張る顔と、止められる動き。彼らの視線を一身に受け止めたアルバは、特に構わず扉へもたれかかった。
繋がれたままだった手を慌てて振り払いながら、ノラリダも彼の隣へ並ぶ。背を浮かせ、彼女がいろいろな疑問を口にしようとした、その刹那。鳴り響いていた拍手が、ピタと止んだ。
何事かと巡らした先で、進み出る巨躯をとらえる。右手奥に設けられた略式の玉座から下りてきたらしいその男――短く刈り込まれた鈍色の髪に、大柄な身体を詰襟の衣服と豪奢な外套で窮屈そうに包んだその姿形に、ノラリダは目を瞬かせた。
(あれが、王子様? なによ、ただのムキムキ男じゃない)
想像と全然違うわね、と内心毒づきながらノラリダは鼻を鳴らす。
周りがジッと見つめる中、空いた中央部に移動した男はバサリ、と外套を後ろに流すと野太い声で朗々と告げた。
「先刻も発表したが、盟友の代理としてこのおれがミドルーアとアルバオの婚姻を今一度正式に宣言する」
おお、と一部から歓声が上がり、拍手が続く。
それを片手で軽くいなすと、再度戻った静寂の中で男は両手を掲げた。
「この良き瞬間に立ち会えた諸侯らが、見届け人となる。この婚姻が、ミドルーアとアルバオの更なる友好関係をもたらしてくれるだろう」
一歩、二歩と歩み、男は後ろを振り向く。
徐に差し出された手の先を辿れば、美しく着飾った少女の姿。
「公にはされていないが、代々アルバオの王妃に受け継がれる“婚約の証”というものが存在し、伴侶となる者に手渡される慣例がある。アヴィス、こちらに来い」
しずしず、と歩み出る少女に、ノラリダは見覚えがあることに気がついた。
(アルバオに着いてすぐに見かけた王女様、だわ)
瑠璃紺色の髪を結い上げ、頬に流れ落ちるそれに縁取られた猫のような双眸。あの時とはまた違った装いだったが、華やかで高慢そうな雰囲気は記憶の中の彼女に間違いなかった。
彼女の胸元に光る、色とりどりの宝石をふんだんにあしらった首飾り。目映く輝くそれに目を奪われていると、突然横から手首を掴まれ、ノラリダはビクッと跳ね上がった。
「ちょ、ちょっと……!」
非難を紡ぐ前にグイッと引かれ、ノラリダはたたらを踏んだ。そのまま引きずられるように、屯している観客の中をすり抜けていく。
「王子様の花嫁を選ぶからって張り切って招待をお受けしましたけど、先ほどのといい今の宣言といい、これじゃただの婚約発表会ですね」
「ええ。元々、王子様とミドルーアのご兄妹は幼馴染の間柄ですし、この国にとっては良い縁談ですもの。やはり、という感じはしますが、王子様ご本人のお声で発表して欲しかったですわ」
残念そうな声が、耳を掠める。
(アルバオの王子様って、あの男じゃないわけ?)
ノラリダの目が、いまだ何かしらの演説を行っている男に向けられた。
会話が、再び鼓膜を刺激する。
「王子殿下は病に伏せられたと聴くが、ご容態はどうなのだろうか」
「心配ですわね」
グイグイと、前を行く黒ずくめの男に連行されたまま、ノラリダは眉をひそめた。
(病気? そんな時に、こんな大事な婚約発表なんてするものなの?)
「“婚約の証”とは初めてみましたが、また見事なものですなぁ」
「秘匿にされていただけあって、素晴らしい輝きだ」
(確かに綺麗だとは思うけど、あたしはもっとシンプルな方が――っ)
そう所感を抱いていると前触れもなく立ち止まられ、ノラリダはハッと我に返った。足を止めた途端感じる、視線、視線、視線の嵐。自身が置かれた状況に、彼女は一瞬で硬直した。
アルバを挟んですぐ向こう側――獰猛な獣を彷彿とさせるオーラを醸し出しながら、ギロリと睨みつてくる朱色の瞳。
「何者だ? 衛兵、早くこいつらをつまみ出せ」
「な、なにやってんのよ、馬鹿! 早く戻――っ」
慌てふためくノラリダをやんわりと押し留めながら、アルバは彼女を護るように一歩進み出た。ユラリ、と黒フードが揺らめく。
「――悪いけど、この婚約は無効にさせてもらうよ」
凛とした声が響き、衣擦れの音が続く。
ノラリダは呆然と、その台詞を発したであろう彼――既に黒のローブを脱ぎ去り、素顔を晒した彼に驚きの眼差しを向けた。