4.○○の悪さ (3)
ガタンッ! 更に言い募るミハロスの台詞を遮り、響いたのはそんな物音。
つられるように、セルムとミハロス二人の視線がそちらへ向けられた。その先で、ノラリダが口元に煽情的な笑みを浮かべ椅子から立ち上がっていた。頬を紅に染めた面立ちは、完全に酔っ払いのそれ。
「貴方も知っているはずですよ……? 運が良ければ軽く絡まれて終わり。ですが、よりによって今回は空腹かつ一気呑み、そして一杯の濃度の高さ……。ノラリダの酒癖の悪さは、最悪の場合――」
淡々と語るミハロスにセルムもようやく理解したらしい、目の前のグラスに手を伸ばし匂いを嗅ぐ――鼻をつくアルコール臭に、彼の表情が一瞬で蒼白になった。
「マ、マジかよ……!」
呻くセルムの横でどんよりと濁った蒼の瞳が、ある一点をとらえた。
それに気づいたセルムとミハロスが慌てて彼女の視線を辿れば、ガタンッガチャガチャン。食器の割れる音に紛れて5、6人の男たちがつかみ合いの悶着を起こし始めたところだった。
「また、あいつらか……」
大きな歎息と呆れた呟きが耳を掠め、セルムとミハロスは周りを窺う。
「海に出られないからって、いつもいつもこんなところで憂さ晴らしなんかするなっつーの。せっかくの酒がまずくなるじゃねえか」
「気持ちもわからんではないが……、こっちだって自前の船を損失して大痛手なんだ」
「王様が亡くなられてから乱れていく一方だな、この国は。王子は何をしているんだ? ったく」
「王子、か。そういえば明日の夜、城の方で舞踏会が開かれるらしいぞ。何でも、国内外の有力貴族の娘たちが続々と招かれているらしい。これはひょっとすると……」
あちらこちらからの焦燥や不安、そしてわずかばかりの期待に満ちたひそひそ話が辺りに充満していく。
あまり思わしくない雰囲気の中、ミハロスの表情がハッと強張った。
「い、いけません、ノラリダ!」
制止の声をすり抜け、ノラリダが駆け出す。
蒼い残像をふりまきながら、ターゲットの一人へと肉迫し――瞬間、轟音が響き渡った。
「あちゃ~……」
唸り声と共にセルムは掌で額と目頭の部分を覆い、ミハロスは大きく息を吐き出した。
ガッツポーズをするように天井へと左手を掲げたノラリダの斜め上を、巨大な肉塊が舞う。
それは美しい弧を描きながら、ゆっくりと床へと落下し――ドゴンッ! 受け止めたテーブルが、派手な音と埃を巻き起こしながら真っ二つに割れた。
「……こうなるんだよ、な」
先程のミハロスの続きを誰にともなく呟くと、セルムはガックリと項垂れそのままテーブルへと再度崩れ落ちた。
「うおぉおおおおおおおおおおおおお――!!」
雄叫びを上げながら飛びかかってきた筋肉隆々の男を、身体を少しだけ捻ることでかわすと、ノラリダはがら空きの男の背中へと振り上げた肘を叩きつけた。
小さく呻きながら倒れこむ男を踏み台に宙へ舞い上がると、落下のスピードを利用した拳が別の男の腹を抉る。
彼女が一呼吸置いた隙を狙って、横手からギラリと鈍く光る刃物が襲いかかるが、それはピタリと中空で制止した。刃物を握る手首を絡め取った彼女の腕が、閃く。瞬間、もんどりうって倒れる相手の男。
取り巻きたちから野次が飛び交う中、響き渡る痛そうな音に、セルムは酒場入り口の手すりに背を預けた状態で、苦笑を浮かべた。
「あれは背中、いったんじゃないか?」
数人の男、更にその周りを大勢の野次馬たちに囲まれた状態で、得意の拳術を発揮している彼女を視界に収めながら彼は後ろ髪をかく。
ギィ、と背後の軋み音へと目線を変えれば、ミハロスが酒場の扉から出てくるところだった。その表情は、諦めたような冷めたような、どこかしら達観したようなもの。
「どうだった?」
抑え込んだ声で彼に問えば、オーキッドの瞳が何かを訴えてくる。
そこに滲む色を汲み取ったセルムは、顔を見合わせたまま、どちらからともなく深々と嘆息した。
「……とりあえず、外に移動してくれたのは不幸中の幸い、でしょうね。宿のオーナーも彼らには頭を抱えていたようで、随分と弁償代を安くしてくれましたよ。とは言っても、僕の所持金のほとんどが消えたわけですが」
「……出費ばっかだな」
「ええ。とりあえず今夜は宿泊出来るように交渉しましたが、僕の持ち合わせも底をつきましたし、明日には村に戻らないといけませんね。まあ、元々そんなに長居する予定ではありませんでしたけれど」
「……ゴメン」
項垂れるセルムにもう一度息を吐きだしてから、ミハロスは視線をめぐらせた。飛び込んできたのは、束ねられた蒼の髪が野次馬達に紛れながら絶えず跳ね回る場面。彼の口元が、無意識に引きつる。
「今回も派手にやってますね、彼女は。抜刀していないだけ、前回よりはマシかもしれませんが」
「あの時はなぁ、マジで死人が出るかと思ったけど……お。今ので4人目。今度は、顔面に正拳突きが決まったじゃん」
「大丈夫なんでしょうね? ノラリダがどれくらい所持しているか知りませんが――彼女が怪我を負うなんてまずありえないでしょうから、相手側に治療費、慰謝料なんて要求されたら、これ以上は支払えませんよ?」
肩を竦め、首を左右に振りながらぼやくミハロス。
「――気にする必要はない」
不意に侵入してきた聞き慣れない低い声色に、セルムとミハロスの顔に一瞬で険しさが疾る。剣呑さを内包した灰白色とオーキッドの瞳が、そちらへ向けられた。
二対の鋭い眼差しを受け止めたのは、黒いフードを目深に被り同色のローブを揺らした男、だった。
「誰だ、おまえ……!」
「……気にする必要はない、とはどういうことですか?」
立て続けに敵意を浴びた黒ローブの男はさして気にした様子もなく、淡々と答えた。
「彼らは、貿易商の一団。魔物の数が増してきた影響でろくに船を出せなくなり、商売がお手上げ状態らしい。ここ最近は毎日のように酒場に入り浸り、周りの一般人を巻き込むことほど荒れているそうだ。迷惑に思っている住人は、それこそ山ほどいる。彼らを庇護する人間など、まず皆無に等しいだろう」
「――僕たちに何か用ですか?」
手すりから身体を浮かせるセルムの横で、ミハロスは若干強めた口調で尋ねた。
「君たちに、というより彼女に用があったんだが……あの様子なら仕方がない。明日の朝にでも出直すことにしよう。失礼する」
黒ローブを翻し去っていく後姿を眺めていたセルムとミハロスは顔を見合わせると、ほぼ同時に首を傾げる。交差していた視線が一際大きくなった歓声に吸い寄せられ次にとらえたのは、最後まで残っていた一人が華麗に宙を舞いながら落下していく場面だった。