4.○○の悪さ (2)
ミハロスのうながしにノラリダは椅子の背もたれに寄りかかると、一つ首肯し記憶を辿り始めた。その面立ちが、徐々に暗澹としたものへ変わっていく。
「あの場所へは、情報屋って名乗る胡散臭いやつに案内してもらったんだけど……。元々そいつと知り合ったのは、あたしにぶつかってきた赤髪のやつを追って――。って、ああ! そうよ、あたしのおさ――っ」
ダンッ!! 彼女の台詞を遮るように、二人の間に二つのグラスが勢いよく置かれた。衝撃で、並々と注がれている液体が零れ出し、テーブルへ染みを作る。
グラスを手にし、項垂れるようにテーブルへと突っ伏していたセルムの面が、ユラリと持ち上がった。
「……ほらよ」
それは、彼のものとは思えないほどに低く抑え込まれた声音。
ぎょっとしながら、ノラリダは押し付けられたグラスを受け取った。溢れそうな黄茶色と、彼とを交互に見比べながら、数が足りないことを告げれば、ギギィと重い音を響かせそうな動きで、彼女に視線を向けてくる。
「……パァだ」
「パァ? って何が?」
「これ二つ買っただけで、持ってきた金、全部なくなった」
「全部、ですって? セルム、あんた、いくら持ってきてたわけ?」
彼女の問いかけに、彼はスッと指を三本立てた。
「三万、ですか?」
ミハロスの言葉に、セルムは首を横に振る。
じゃあ、と後を拾い繋げながら、彼女は睥睨した。
「……三千ってところかしら」
ノラリダのぼやくような声に、セルムの顔が一瞬で強張った。
その素直な反応に、彼女とミハロス同時に嘆息する。
「宿代で支払う分を、まあ三分の二程度別にしているとして、この二つでその残りってところですか。普通の飲み物にしては少々値が張るような気がしますが……。アルバオの時価がそんなものなんでしょうか?」
「くそっ。飲み物一杯がなんであんなに高いんだよ、村の倍くらいするじゃねぇか。たかが日帰りの旅行程度にしか、思ってなかったってのに……」
呻くようにブツブツ呟きながら、先程まで腰掛けていた椅子へと座り込むセルムに、ミハロスは一つ息を零すと、淡々とした口調を彼に投げかけた。
「村の相場を基準に考えるのはあまり感心しませんね、セルム。ここは、世界の中心国アルバオ。村とは規模も何もかもが違うんですからね」
「はあ……。オレ、しばらく立ち直れないかも。あり金、全部持ってきたってのに……」
ペタン、テーブルへと力なく突っ伏すセルムを一瞥してから、ミハロスはノラリダへと顔を向けた。
「では、セルムの犠牲で手に入れたこの飲み物。せっかくですから、美味しく頂きましょうか」
「そうね。ありがと、セルム」
そうにこやかに謝礼を述べてから、ノラリダは手にしたグラスを一気に呷った。
冷たい感触が渇いた喉を潤し、体内を浸潤していく。が、それも束の間、突如身体の奥の奥に灯る火種。それが一瞬にして弾け、燃え広がり侵蝕を始める。
彼女の熱が一気に加速し、ボッと火がついたように顔中が真っ赤に染まった。
「ん……? この、匂いは……」
グラスに口をつけ、不意に鼻腔をくすぐった香りにミハロスはピタリ、と手を止めた。
あまり嗅ぎ慣れない強烈なアルコール臭に、脳髄が刺激され、彼は軽く眩暈を覚える。まさかと思い、再びグラスに顔を近づけ、そしてその正体に気づく。
額を押さえ小さく首を振ると、グラスをテーブルへと戻した。わずかに、苛立ちの籠もった音と共に。
「セルム!」
「あ? なんだよ……って、ミハロス?」
名前を呼ばれ、緩々と顔を上げたセルムの視界に、ユラリと背後に何かを揺らめかせながら、口元に弧の形を張り付かせたミハロスの表情が映る――しかしオーキッドの瞳は、全く笑っていなかった。
それを見止めたセルムは、驚きに満ちた顔のまま、椅子ごと後ろへひっくり返りそうになり、慌てて踏み留まる。
ミハロスの口から飛び出したのは、冷静沈着、慇懃無礼な普段の雰囲気からは想像出来ないほどの荒々しいもの。
「貴方は、何を注文してきたんですか!? このグラスの中身……! 僕の気のせいじゃなければ、結構な濃度の火酒ですよ!?」
突然怒鳴られ、セルムの表情がムッとしたものに変わり、彼の闘争心がかきたてられる。
灰白色の瞳を剣呑に光らせ、彼もまた負けじと言い返した。
「はあっ!? そんな馬鹿なことがあるかよっ! オレは“いつもの”ってやつ? それを注文しただけだ! 何があるのか全然わからなかったから、オレの前の客が頼んでいたものを、そのまま――!」
「“いつもの”……? 貴方、それは常連の客が使う、一種の隠語のようなもので、この場所的に出されるものは自ずとわか――っ」