3.大国アルバオ (5)
明らかに違う、第三者の腕。それにしっかりと両手を巻きつかせ、しがみついた自分自身。理解した途端弾かれたように飛び退くと、ノラリダはこみあげてくる憤怒と羞恥に全身が熱くなるのを感じた。
「な……、な……っ!」
混乱する頭を必死に押し隠し、ノラリダはカチ、カチと何かを打ち合わせるような音がする方へ非難を浴びせた。
「騙したわね!?」
「君が勝手に誤解したんだろう?」
そっけない答えが返され、同時にその場に一つの光源が作られる。
突然の明かりにノラリダは目を細めると、徐々に慣れていく視界に松明を持った黒ずくめの人物をとらえ、キッと睨みつけた。それを軽く受け流すように、黒フードがユラユラと前後する。
「いきなり殴りかかられたときはただの凶暴女かと思ったが――、意外と可愛い一面もあるんだな」
「か、可愛い……!? な、なに馬鹿なこと言ってんのよ……っ」
揺らめく松明の火に照らされたノラリダの頬が、それ以上の紅色を帯びる。聴き慣れない雰囲気の台詞に鼓動が早まるのを嫌でも感じながら、サッと彼女は視線を逸らした。
その間に、唯一の灯火が移動を始める。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
徐々に薄暗さを取り戻しつつある周りに気づき、慌てて彼女も駆け出す。
「俺はアルバ。この街でまあ――、情報屋のような仕事をやっている」
追いついたノラリダを振り返りもせず淡々と語る黒ずくめに、彼女の蒼目がジトッと向けられた。若干の距離を置いて歩調を合わせながら、口を開く。
「情報屋? なんでそんな怪しいやつが――、って見た目からして怪しさ抜群だものね。で? なんでそんな胡散臭いやつがこんなところにいたのよ」
「ここは元々、万が一の事態に陥ったときに王族が城から脱出するために作られた抜け道だ。知る者も少ない。だから、俺みたいな裏稼業に生きる人間にはおあつらえ向きの移動手段になっている」
「まあ、そんな格好していれば、堂々と外を歩けるわけがないものね」
皮肉の入り混じったそれに小さくフードの先が揺れるが、それ以上は何も起きないまま黙々と話が続けられる。
「移動している途中で、騒がしい物音を耳にした。最初は野次馬騒ぎかと思ったが、よくよく確認してみれば、一人の無謀な女が複数の黄金騎士相手に喧嘩をふっかけているところだった」
「無謀な女って、それ、あたしのこと!?」
「その無謀な女は、あとからやってきた警備兵の一団もぶっ飛ばしそうなほど暴れまわるのが好きな女で――」
「あ、あれは……、ああするしか方法がないと思ったのよ!」
「更に言えば、あの状況から助けてやった礼の一つすら口に出来ない女だったようだな」
「う……」
まるで先ほどの意趣返しのような、だが酷く真っ当なその突っ込みにノラリダは言葉を失った。
松明に照らされ二人分の足音が響く中、彼女はギュッと噛みしめていた唇を何度も躊躇いながらようやく緩めると、蚊の泣くような小さな小さな声で呟いた。
「……、り、がと」
「何か言ったか?」
チラリ、と肩越しに振り返られ、ノラリダは、なんでもないわよっ! と上ずった返事をした。
「そ、それより情報屋なら、オル――ハルバイトラ地方の情報はないわけ? ちょっと、知りたいことがあるんだけど」
「ハルバイトラ地方の情報が欲しいのか? あいにく今は手元に――いや、待てよ。ついこの前、妙な噂を耳にしたな」
「妙な噂?」
ノラリダの問いかけに、黒フードが縦に振られる。
「ああ。確か――、ハルバイトラ北部の大森林が一夜にして謎の壊滅をした、とか何とか」
「なんですって……!?」
もたらされたその情報に、ノラリダは愕然となった。蒼目を見開きツカツカツカと早足で歩み寄ると、黒ローブを鷲掴みにする。
「壊滅したってどういうこと!? それ、いつの話!?」
「あくまで噂のレベルにすぎない。もしかすれば、俺の覚え違いだったかもしれん」
「はっきりしなさいよ!」
ドン、と黒ローブを押し付けた先は行き止まりとなった壁。
グッと手に力をこめ声を張り上げるノラリダに、あくまで冷静な対応が返された。
「なら、その噂について纏めたものを君に提供しよう。ちょうど、自宅に戻ろうと思っていたところだ。詳細を調べてくる。落ち合う場所は――、そうだな。第五ブロック“交”のエリア、その一番東側の宿屋一階にある酒場はどうだ?」
よどみないその申し出にノラリダはクッと表情を歪ませると、黒ローブから手を離す。俯きながらしばらく逡巡した後、小さく頷いた。
「わかったわ……、お願いする」
「了解した。今夜、伺うとしよう」
「もしそれがガセネタだったら――、覚えてなさいよ」
捨て台詞のようにポツリと漏らされた脅しに、黒フードから見え隠れする口元がフッと綻んだ。
「肝に銘じておく。ついでに言えば、着いたぞ。ここから第五ブロックは目と鼻の先だ」
黒ずくめから伸ばされた手が、行き止まりに見えた壁の左側を探る。
ガコン。鈍い音と共に視界が開け、既に夕闇が迫り始めた町並みの一角――入り口のときと同様、随分と奥まった場所に出た。
ノラリダをそちら側へ追いやりながら、黒ずくめから落とされたのはボソッとした嘯き。
「……情報料は、はずんで貰うからな?」
鎖される出入り口を見送り一人残されたノラリダは、胸の前でギュッと両手を握り合わせた。
「ハルバイトラ北部の大森林……。オルトの村が、ある場所……」
わなわな、と全身が小刻みに震え始め、ノラリダは強く強く拳を握り締めた。
探し人の名前が擦れた声音と共に紡がれた瞬間、彼女の耳に慌しく駆け寄ってくる靴音が響いてきた。