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神剣伝説 ガルディフォアラード  作者: りんか
【序幕】第一幕 『太陽と死神の輪舞曲』
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3.穏やかな日 (2)

 バスケットを持つ手が、いつの間にか汗ばんでいる。スゼルナは一度立ち止まると、ふうと息を吐いた。

(つい勢いでここまで来ちゃったけど、なんて声をかけたらいいのかな?)

 再び緩々と移動を始め、森の奥へと向かう。徐々に聴覚へ侵入してくる流水の音が、スゼルナに更なる緊張を(もたら)す。

(昨日はごめんなさい、とか? でも、いない可能性だってあるんだし……)

「あ……」

 視界が開けた先。昨夜と変わらない風景に溶け込むように――大木に背を預け、腕組みをした黒衣の男の姿。その双眸は、眠っているのか(とざ)されたままだった。

 彼の長い黒髪が、宙を遊ぶ風に攫われ共に揺らめく。

(どう、しよう)

 胸で握られた拳に、力が籠もった。

 一歩一歩、確かめるように足を踏み出す。バスケットを大木の脇に置き、音を殺したまま近づくと、肩が規則正しく上下しているのを(とら)え、スゼルナは小さく安堵した。

(よかった、まだ目が覚めてないんだ)

 彼の長い睫が震える度に緊張を疾らせながら、それでも逸らせない黄玉で寝顔をジッと見つめる。

 それにしても――と思う。

(本当に綺麗な人……。こんなに綺麗な人、私、初めて見るかも。まるで、この世界の住人じゃないみたい)

 トクン。何度目だろう、奏でられる甘い鼓動。それに突き動かされるように、スゼルナは一歩、二歩と彼との間を詰めた。触れられる距離。

(じゃあ、どこから来たの? 空の彼方、私の知らない遠いところ? 絵本に出てくるような、幻想的なお伽の国? それとも――……)

 刹那、黒衣が舞った。

 グイッ虚空を彷徨っていた手首が掴まれ、引き寄せられる。一瞬で包まれる温もりと匂いに眩暈を覚えながら、スゼルナはただひたすらに金の瞳を瞬かせていた。

 混乱する、困惑する。何が起きているのか、理解が追いつかない。

「……捕らえたぞ」

 耳に浸透する、低く甘い声。それにようやく我に返ったスゼルナは、自分の置かれた状況に目を見開いた。

 背に回された両腕、感じる異性特有の胸板、目前に迫る美しい翠の煌き――。それら全てが、彼女に否応なしの熱を解き放つ。強張る全身。追い討ちをかけるように、鼓膜を刺激する吐息と声音に、思考さえも奪い取られていく。

「昨夜は、この俺にとんだ恥をかかせてくれたな?」

「恥? そんな、私は……! それに、あの時は気が動転してて……っ」

「動転、だと? なぜだ? (よろこ)びを享受していたのならばわからぬでもないが、動転する理由があるまい」

「は、初めて会った人にあんなことされたら、誰だって……! うっんぅ!?」

 不意に(おとがい)に絡められる指と、塞がれる唇。残されていた(あと)にピッタリ吸い付くようなその感触は、スゼルナに衝撃を巡らせた。

 離れてはまた合わさり、這い出た紅の端が彼女の上唇を、そして下唇を順に辿る。

「そう、この味だ。あの時、俺に僅かなりとも陶酔を(もたら)した、この味……」

「ま、待って!」

 再び奏でられようとした旋律に、スゼルナの制止の声が飛んだ。

咄嗟に間に割り込んだ両の掌が、彼の口元を覆う。あからさまに不機嫌さを滲み出し始めた翠の瞳を、熱に潤んだ黄金の瞳が受け止めた。

 阻む二本の手首を握り締め無力化させていく彼に、酷薄な笑みが張り付く。

「なぜ、邪魔をする? おまえに、俺を留める権利などないはずだが?」

「待って、お願いだから……! 私、あなたのこと何も知らない。どこから来たのか、どうしてここに居るのか、こんなところで何をしているのか、何も知らないんだよ? だからせめて、あなたの名前くらい教えて欲しいよ」

「名前? そんな瑣末(さまつ)なこと――いや、そうだな。よかろう、金色の髪と瞳の女。我が名はベ……」

「ベ?」

 先を(うなが)すように、彼を上目遣いで窺い見るスゼルナ。そんな彼女の瞳の中で、彼は自嘲めいた笑みを浮かべると、かぶりを振った。

「……(いな)。俺は、ディアルク。おまえには、そう呼ばれたい」

「ディアルク? あなたの通り名、とか?」

「余計な詮索は無用だ。必要ない」

「うん、ディアルク……。私は、スゼルナ」

「スゼルナ。良い、響きだ」

「あ、待って……また!」

「名を教えたのだ、もう制止は聴かぬ」

「どうして、そんな……んっ」

 疑問も咎めも、全てが蕩けていく。

 次に奏でられたのは、深く長い、永遠に続くかと思われるような接吻(キス)。それはまるで、離れ離れになっていた恋人たちが、流れてしまった悠久の(とき)を今、お互いに埋め合わせをするかのように。

「……っあ、はあ……はあ……」

「ほお、実に面妖な。技量は稚拙だが、感度は満足するに至る。いや、それ以上に――」

 ようやく解放され、呼吸を荒く弾ませるスゼルナに、細まった翠の煌きが落とされる。全く代わり映えのしない彼に、一人だけこんな状態になっているのかと思うと羞恥が一気に込み上げ、彼女の上気した頬が桜色を強めた。

 ふ、と下げた視界に飛び込んできた茶色の籠。ここに来た名目上の理由が、蘇る。

「ねえ、ディアルク。お腹、空いてない?」

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