3.大国アルバオ (4)
更に近づいてくるガシャンガシャンという物々しい音に、ノラリダは横手の壁に掌を押し付けながら、若干焦り始めた顔を左右に動かす。
(え~っと、とりあえずこの壁を壊して逃げ道を作ってみる、てすぐに見つかるし却下! じゃあ、やっぱりあいつらも全員ぶっとば――えっ!?)
驚きに丸くなったノラリダの蒼目が、後ろを振り返る。
飛び込んできたのは、漆黒の色。黒いローブに全身を包み、同じ色のフードで鼻の辺りまでをすっぽりと覆った、いかにも怪しい人然とした輪郭。そこから伸びた腕に手首を掴まれている事実に気づき、彼女はぎょっとしたような表情を浮かべた。
「こっちだ」
小声で囁かれ、グイと手を引かれる。
「そっちは壁……! それよりあんた、だ――んぐっ」
台詞を強引に塞がれ抵抗らしい抵抗も出来ないまま、ノラリダの身体は壁に――いつの間にかポッカリと出現していた入り口の中へと吸い込まれていった。
ピチョン――。どこかで、水の滴る音が鼓膜を揺らす。
背後で鎖された入り口、その先で重い暗闇に包まれたノラリダはハッと我に返ると、自分の置かれている状況――口元を覆った自分のものではない掌、背中に密着した自分のものではない体温、明らかに感じる第三者の気配に気がついた。
「な、何すんのよ!」
多少なりとも上ずった声音を発しながら、ブンッ勢いよく彼女の左手が突き出される。弾かれたように彼女を捕えていた束縛が緩んだ。それを好機ととり、彼女は続けざまに右の拳を真っ直ぐに撃つ。
当てずっぽうに放たれたそれは案の定空を切るが、そのすぐ傍から第三者のものの声がした。
「ちょっと待て! 俺は、怪しい者ではない」
「はあ? さっきあんたの姿をチラと見たけど、全身黒ずくめだったわ! それで怪しいやつじゃなかったら、ただの変態じゃない!」
「人の嗜好にとやかく口を挟まれる筋合いはない。余計なお世話だ」
下から上へ跳躍を伴って突き上げられたノラリダの拳が、再び宙を抉る。視界の悪さに有効打を決められず、彼女は苛立ち紛れに鋭く尋ねた。
「そもそも、あんた誰よ! こんなところにあたしを連れ込んで、どうするつもり!?」
「質問は一つずつにしてくれないか? まあ少なくとも、君をどうこうしようという気は全くないんだが」
「どういう意味よ、それ!」
その場で一回転し、左の裏拳を見舞う。が、全くの無反応にノラリダが次の攻撃に移ろうとした、その瞬間。
ヒュォオオオオ――。真っ暗な中、まるで何かの呻き声のように響き渡る不気味な音に、ノラリダの動きがピタと制止した。
わずかな間のあとその場を劈いたのは、やけに甲高い悲鳴だった。
「きっ、きゃあああああ!」
ノラリダは思わず、近くにあった自分より若干長めの物体にすがりつく。ギュッと目を閉じ全身を強張らせる彼女に、再度沈黙が訪れたのを見計らって呆れた声がかけられた。
「……おい」
「!」
予想以上に間近で聞こえたそれに、ノラリダは目を見開く。先ほどとは趣の異なる悲鳴と一緒に突き飛ばすように身を離すと、早まっていた鼓動を落ち着けるため彼女は胸に手を当てた。
「もしかして――、幽霊の類が怖いのか?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ! あ、あんな正体不明のやつなんて、平気に決まっているでしょ!? ちょっと、本当にちょっとだからね? に、苦手なだけよ!」
「同じようなものだろう」
「全然、違うわよ!!」
力いっぱい否定するノラリダに、ん? と何かに気づいたような声が返される。
それにビクン、とわななきながら彼女は早口で捲し立てた。
「ど、どうしたの?」
「――あそこに白い影が見える」
「!」
ノラリダの喉がコクリと波打ち、重なる衣擦れの音。
ピチョン――、静けさに包まれたその場に、水の滴る音色だけが残された。
「……どうやら、見間違いだったようだ」
沈黙を破り落とされた台詞に、大げさなほど安堵の息を漏らすノラリダ。そんな彼女に、クスクスと楽しげな笑みが向けられた。
「そろそろ離れてくれないか?」
「!!」