3.大国アルバオ (2)
「おっと、ごめんよ」
「きゃあっ」
予想外の出来事に短く悲鳴をあげながら、ノラリダは左足を後ろに引き何とか踏み止まると、キッと蒼の瞳を前方に向けた。駆けていく背中、そこに揺れる束ねた赤髪の尻尾をとらえ、彼女は思いっきり鼻を鳴らした。
「なんなのよ、人にぶつかっておいてあの態度! しかも、さっさと走り去るなんて頭くるわね!」
「さっきからぼうっとしすぎなんだって、おまえ。通行の邪魔だったんじゃねえの?」
呆れ声でセルムが意見を口にすれば、悪かったわね! とノラリダが一蹴する。
憤慨して頬を染める彼女に、ミハロスが横から冷静に問いかけた。
「ノラリダ、大丈夫ですか?」
「ええ。あたしは全然平気」
歎息しながら腰に手を当てるノラリダに、ミハロスはアッシュグレイの髪を緩々と左右に振った。
「そうではなくて。何かなくなっているものはありませんか?」
「なくなっているもの……?」
鸚鵡返しに呟いて、ノラリダは自分の衣服をペタペタ、と探り始めた。その手が、ふと停止する。
「……ないっ」
見開かれていく彼女の驚きに満ちた目が、バッと再び横へ流される。随分と小さくなってしまった赤い髪の先がスッと視界から抜け落ち、彼女の表情に焦りの色が疾った。
「ちょっと待ちなさいよ!」
弾かれたように、ノラリダが走り出す。
「ノラリダ!」
「悪いけど、先行ってて!」
そう言い残しチラリと後方を一瞥すると、彼女はグン、とスピードを上げた。
赤い髪が消えたと思われる角を曲がり、その次の角は左に、その次の角は右に――いくつか角を曲がったところで、ノラリダは足の速度を落とすとゆっくり立ち止まった。
(さっきのやつ、どこに行ったわけ? あんな目立つ色の髪、すぐに見つかりそうなのに)
キョロキョロと辺りを見渡すが、目当ての人物どころか人っ子一人見受けられず、ノラリダは悔しさのあまり強く強く地面を踏みつけた。
(冗談じゃないわ! あたしの、お財布……っ)
直感で目星をつけ、移動を再開する。
その刹那、前方から現れる黄金色に固められた四、五人の集団に気づき、ノラリダは早めていた足のリズムを緩めた。面頬つきの兜、びっしりと隙間なく着込まれた鎧一式と青のマント、腰に佩かれた各々違った武器。まとった雰囲気は、血気盛んで好戦的なもの。
その一団に突然取り囲まれ、ノラリダは反射的に身構えた。
「なによ、あんたたち……。あたしに何の用?」
「手荒な真似をするつもりはない。が、我らの質問に答えて貰おう。――居場所はどこだ?」
「居場所?」
質問の意味がわからず、ノラリダは首を捻る。
(さっきのやつの居場所なら、こっちが知りたいくらいよ)
赤髪が揺れる背中を思い浮かべながら両肩を竦めると、ノラリダは深々と吐息をついた。
「さあ、知らないわ」
「とぼけても無駄だ。こちらは、一緒にいたのを目撃しているのだからな」
ガッ、と右の肩に手を置かれ、ノラリダの蒼目がそれに流される。振り払いたい衝動をグッと抑え、何のこと? と尋ねる。
「隠し通すならば、いたしかたない。少々、痛い目を見てもらうことになるぞ、女」
スラリ、とノラリダの目前で抜刀され、斜めから差し込む光を受けたその剣刃が鈍くきらめく。怯えを誘うように喉元に突きつけられれば――、彼女の口元に、ニヤと笑みが刻まれた。
「先に獲物を出したのはそっちよね? ちょうどいいわ。こっちも、財布盗られてイライラしていたところなのよ。ちょっとだけつきあいなさいよね!」
彼女の両手が肩の上にかけられていた手甲をガシッと掴めば、たじろぐように後退する黄金鎧。その隙を逃さずノラリダはサッと身をかがめると重厚なそれを背中に抱えあげ、勢いよく投げ飛ばした。
地面に激突した衝撃が甲高い金属音となって、ピンと張り詰めていた空気を震わす。それが、始まりを告げる合図となった。