2.きっかけは (4)
「王子と姫は幼馴染の恋人同士。夜空に輝くあまたの星々の数だけ愛を囁きあい、紺碧に揺蕩う海や湖よりも深く深く睦みあっていた二人は、それが永遠に続くと信じて止まなかったけれど、王子には生まれ落ちたその時から、過酷な使命が運命付けられていた。王子はその使命を全うするため、神から与えられた神剣を手に巨悪に立ち向かい、見事打ち倒すことに成功。その後王子は、自分の帰りを待っていてくれた姫を妃に迎えて、末永く幸せに暮らした――と、まとめるとこんな感じかな?」
「それ、最後が違うわよ」
「……え?」
きょとん、とした表情で聴き返してくる旅人に、ノラリダはひょいと肩を竦めた。
「その王子は、確かに使命を果たして闇を打ち払うことは出来たけど、愛する姫とは結ばれなかったの。あたし、悲恋ものって苦手だし、その話あまり好きじゃないのよね」
「そう……、なんだ。僕の聴いた話とは、若干違うみたいだね」
「そりゃそうでしょ。この話は元々、オルトの村に伝わる光神様の昔ばな――むぐっ」
いきなり後ろから回された掌に唇を塞がれ、次の言葉を押し込められたノラリダは、妨害してきた人物の灰白色の瞳に、何するのよ! と目で訴えた。
と、彼女の耳元に、低く抑えられたセルムの声音が囁かれる。
「オレたちの存在を、そう簡単に明るみに出すなって言われてるだろ。忘れたのかよ」
「……!」
ノラリダの表情が強張ると同時、彼女と旅人の間にミハロスが自然と割って入った。
愛用のメモ帳にペン先を走らせながら、チラリと旅人のライトブラウンの瞳を一瞥する。
「語り手によって話の結末が変わるのは、よくあることですからね。貴方と彼女の話が食い違ったのも、その辺に理由があるのでしょう」
「ああ、そうなのかもしれないね。知らない伝承があったなんて、僕もまだまだ勉強不足だな」
小さく首を左右に振り、はあ、と肩を落とす旅人。
気落ちする彼に、セルムが僅かに苦々しい面立ちを浮かべながら声をかける。
「そんなに気にすることじゃねえって。おまえ、まだ旅に出て間もないんだろ? 知らないことがあって当然だと思うけどな。それを見つけに行くんだろ? それが旅の目的じゃねえの?」
「……そう、だね。ありがとう」
セルムに励まされたのが功を奏したのか、旅人の口元が緩やかに綻んでいく。
照れたようにセルムはポリポリと頬をかくと、未だ拘束したままだったノラリダを解放した。
旅人の笑みが、大きな歎息を漏らす彼女にも向けられる。
「じゃあ、次に会えたときにでも、違うお礼を用意させて貰うことにするよ」
「そんなの、別に気にしないでもいいわ。お礼欲しさに、あんたを助けたわけじゃないんだし。それに、あんたみたいな貧乏そうな旅人から――なんて、あまり大したものも期待できないでしょうし?」
皮肉げな最後の言い回しに、ははは、そうかもねと答えながら旅人は眼鏡をクイ、と持ち上げた。
顔を近づけながら、ノラリダにだけ聴こえるようにそっと囁きかける。
「まあ、それはただの口実。君とは――、もう一度会いたいから」
「……!」
予想外の台詞に、バッとノラリダは彼へと顔を向けた。色気を帯び、細められたライトブラウンの瞳が、真っ直ぐにノラリダの蒼の瞳を射抜く。その表情は、まるで――彼女の知る物語の中の王子様。
ドキン、と無意識に跳ね上がった鼓動に、彼女は一歩後退すると慌てて彼に背を向けた。
彼女の様子に、クス、と笑みを零すと、彼はそれじゃあ――、とその背中に優しく告げた。
「そろそろ、僕は失礼するよ。日が暮れる前に、今夜の宿を確保しないといけないからね。君と――、君の『おにぎり』には、本当に感謝している。またどこかで、会えるといいね」
セルムやミハロスと一言二言会話を交わしている様子を横目で追い、そして歩み去っていく茶色の背中に、ようやく身体ごとそちらを向きながら、ノラリダは今更ながらあることに気がついた。
(名前――。そういえば、名前を訊きそびれていたわ。何やってんのよ、あたし。あいつにお礼を言われてから、何だからしくないじゃないっ。さっきも、なんだか王子様みたいなんて思ったし――ああ、もう!)
既に、視界の先で随分と小さくなってしまった彼の姿。
それを見送っていたノラリダの蒼の瞳がふ、と和む。
(ま、名前なんて今度訊けばいいわ。あたしも名乗っていないわけだし、お互い様よね)
自己解決しようとしたところで、彼女の表情が見る間にぎょっとしたものに変わった。
(――って、なんで次に会えることを前提にしてんのよ、あたしはっ!?)
頭を抱えたくなる衝動に駆られ、ノラリダはブンブンと首を激しく動かす。
苛立ちに紛れて湧き上がってくる何かを打ち消すように、胸の前へと流されていたポニーテールの先を、唇をグッと噛みしめながらノラリダは思いっきり後ろへ払いのけた。