2.きっかけは (1)
2.きっかけは
「ねえ」
「ん?」
「なんですか?」
ノラリダの声に、セルムとミハロスが応える。三人が三人、同じような表情を浮かべ、三人が三人、同じ方向の先にある茶色の物体に釘付けになっていた。
村を覆う森を抜けて街道らしきものを視界に収め、さてアルバオは――と考えた、その矢先のこと。
三股に分かれた街道に、目印のように大きく茂った一本の木。その根元に凭れかかるようにクタッと脱力した茶色の影を、三人の瞳が同時に捉えたのだ。
ノラリダが、小首を傾げる。
「あれってさ、あのピクリとも動かない、あれ。一瞬、その辺に捨てられた粗大ごみかと思ったけど、もしかしなくても――人、かしら?」
「おまえもそう思う? 実は、オレもそうじゃないかな~って思ってたんだけど」
「偶然ですね。僕もそう所感を抱きました。あれが俗に言う、行き倒れってやつじゃないですか?」
あっけらかんと返された答えに、ああ、あれが行き倒れってやつね――と繰り返し呟きそうになって、ノラリダは口を噤んだ。その面立ちから、サッと色が抜け落ちる。
「って、それマズイんじゃないの!?」
弾かれたように、ノラリダが駆け出す。見る間に明確になっていく、茶色の塊。
吹き抜ける風にサラリと遊ばれる茶色の短髪、所々破れかけてはいるものの、こざっぱりとした同じ色彩の衣服と外套に包まれた外見は、一目で旅人を思わせるものだった。
項垂れたままの両肩を激しく前後に揺さぶりながら、ノラリダは声を張り上げた。
「ちょっと、あんた! 大丈夫? しっかりしなさいよ!」
「……っ、な……、……を」
「え、なに?」
小さい呻きと共に意識が戻ったらしい旅人の唇が、何事かを紡ぎ出す。が、あまりのか細いそれに、聴き零してしまう。
ノラリダは声のボリュームを上げると、更に呼びかけた。
「な……に、か…………」
「なにか?」
尋ね返すノラリダの横に、ようやく追いついてきたらしいセルム、ミハロスが並ぶ。
生きてたんだな~、そうみたいですね、とのほほんとした掛け合いと共に、灰白色とオーキッドの瞳が、見慣れない風景に興味津々な光彩を示す。その若干無神経とも取れる会話に、蒼の瞳が諌めるように流された。
「あんたたち、なに悠長なこと言ってんのよ!」
「んなこと言われても、行き倒れなんて村では普通ありえねえじゃん? 酔っ払ってぶっ倒れても、誰かが家まで運んでってそのままベッドに放り込まれるんだし。だから、道の脇にそのまま――とかオレ、初めて見たぜ」
「ええ。村の外に出ることも、そう滅多にないですからね。僕も初見ですよ」
いつの間に取り出したのか、ミハロスの手には彼愛用の手帳とペン。
はあ、と大きな吐息と共に肩を竦めながら、ノラリダは額に手を当て緩々と首を振った。
「わからなくはないけど、だからって――!」
「う……っ」
言い募るノラリダの台詞が、漏らされた苦しげな吐息に制止される。
三人の視線が、サッと一点に集中した。その先で薄らと開かれた口元が、ゆっくりと告げる。
切羽詰ったような旅人の面に、誰かの喉がコクリと音を立てた。
「……か、た……、も…………」
髪に覆われ表情の窺えない旅人の顔に耳元を寄せると、荒い呼気に紛れて途切れ途切れの音がノラリダの鼓膜を擽っていく。
「な、……か……」
「なにか?」
「た、た……、ものを……」
「食べる、もの?」
反復されたノラリダの明瞭な声に、張り巡らされていた緊張の糸がフッと綻んだ。
強張っていた全身を解すように腕を組み、片方の脚に体重をかけながら、セルムは歎息した。
「んだよ。こいつ、ただ単に腹が減って動けなくなっていただけか」
「どうやら、そのようですね。まあ、単純明快な理由がわかったのはいいとして――。セルム。貴方、何かすぐに口に出来そうな食料の類はありますか?」
「んにゃ。うっかり寝過ごしちまって慌てて出てきたから、全く。そう言うおまえは?」
「僕は、携帯用の干し肉や白米、そしていくつかの調味料は所持してきましたが、どれも野営のため、つまりは手を加えないと食せないものばかりなんです。ノラリダ、貴女は何か持って――なっ」
「ミハロス? ――なんだ、あれ!?」
ミハロスの、彼らしからぬ頓狂な声と表情に、セルムも思わずそちらに顔を向け――絶句した。
手荷物にしては、大きく重そうな袋――待ち合わせ場所に現れたノラリダに対して、少年二人が同時に抱いた感想だった。
それを手繰り寄せ、中に手を突っ込んだ彼女が徐に取り出したもの。それは。
布に覆われた、彼女の顔ほどの大きさのある包みだった。どこかに引っ掛けたのか、その包みが地面へ落下する。ドスン、明らかに重量感のありそうな、その振動音。
セルム、ミハロスが目を見張る中、ノラリダの指先が頂上の結び目を解いた。
そこに鎮座していたのは、白い、どこまでも白い固形物。一瞬、丸かとは思うものの、あちらこちらが出っ張ったり引っ込んだりと歪な曲線を描いていた。
「白い……、『ボール』?」
真っ先に浮かんだ言葉を、ミハロスがポツリと口にした。
自ずと皺の寄る眉間に指を当て、ゆっくりとかぶりを振る。
「自分で言っておいてなんですが、もし仮に『ボール』だとして、あの大きさと重量――その使用目的が、全く思いつきませんけれど……!」
「おい、『ボール』とかそんな可愛らしいものか、あれが。突起物っぽいものも見えるし、新しい『武器』かもしれねえって。あれを拳に装備して、敵を殴りつけるとか……。破壊力、ありそうじゃん?」
「ですが、先ほどの落下音――普通の人には扱えなさそうですが……。ああ、ノラリダならその辺は問題なさそうですね。余裕で担いでいたくらいですし」
「だろ? 馬鹿力なん――」
「さっきからなに言ってんのよ、あんたたち! これは『ボール』でも『武器』でもないわよ! どっからどうみても、『おにぎり』じゃない!」
それを指差し若干苛立ちながら、ノラリダがそれの正体を告げてくる。
パチクリパチクリ、少年たちの双眸が二度ほど瞬かれた。