1.旅立ち (1)
幼いときから大好きだった物語は、王子様とその恋人である人魚姫のお話。
王子様の代わりに、命を投げ出した人魚姫。彼女を救うため我が身を省みず奮闘する王子様の姿が、幼い心に鮮明に刻まれていた。
見目麗しく、寛大で勇敢、そして爽やかな笑顔の持ち主。それでいて、ちっとも鼻にかけない王子様。
いつか自分の下にもそんな素敵な王子様が――。心のどこかでは、そう夢見ていたのかもしれない。
1.旅立ち
裂帛の気合が、巻き起こった。
その中心で、蒼穹を連想させる長い髪が宙を舞い、一つに纏められたそれは、彼女の動きに併せるように優雅に踊り跳ねる。と、彼女の手にした木剣が閃いた。
短い衝撃音と共に、何かが中空へと放たれる。それはクルクルと円を描きながら、吸い込まれるように地へと突き刺さった。
持ち主だった男の口から、呻き声が漏れる――その喉元には彼女が突きつけた木剣の切っ先。逆光を背に受けた彼女の唇が、鮮やかな弧を刻んだ。
「強くなったな……、ノラリダ」
「おかげさまでね、師匠」
そう笑顔で返しながら、彼女――ノラリダは木剣を引いた。蒼いポニーテールの端が揺れ、同じ彩りを内包した澄んだ瞳は、歓喜に満ちていた。
「師匠、弱くなられたんじゃないですか?」
クスクス、と揶揄するような声が耳を掠め、ノラリダがその声の主に視線を巡らそうとした矢先、それを遮るようにもう一人の少年がずずいっと飛び出し、ビシッと彼女に向けて人差し指をつきつけた。
「師匠、絶対手加減しただろ、今の! バランス崩したときに、隙を見せすぎなんだっつーの。そもそもノラリダが、師匠に勝てるわけねえじゃん! それともノラリダ、おまえ、オレには見えない位置でズルしただろ!?」
「なんですって!? なら、次はあんたが相手してくれるわけ、セルム。まさか、遠慮するとかふざけたことは言わないでしょうね!?」
ノラリダの木剣が、ブンと一度空を薙ぎ、喧嘩腰でまくしたてる少年へと向けられる。セルム、と呼ばれた彼は、灰白色の瞳を二、三度瞬かせるとニヤリと口元を緩めた。
「おもしれぇ……! 今日こそ吠え面かかせてやるからなっ!」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるわよっ!」
いつも通りに始まった剣戟を、さして驚いた風も見せず、その場にいたもう一人の少年は、ふぅと小さく嘆息すると、懐から一冊の手帳を取り出しパラパラとめくる。
「ああ、今月に入って記念すべき百戦目ですね。まぁ、勝敗は変わらずでしょうけど」
挟んであったペンを手に取り、彼が何事か書き込みだす――その時。
ドゴォッ! 痛烈な音が、彼の真横で響き渡った。
パラパラパラ、小雨が降るように色褪せた葉の群れが、手帳の開かれたページへと侵入する。ふと目だけをそちらへ流せば、近くの大木に背中を凭れさせ、ガックリと項垂れたままのセルムの姿。
やっぱり、とペンをこめかみに当てながら、彼は再び吐息を漏らした。
「くそっ今のなし! 風向きが悪かったんだ! ノラリダの方が風上だったし、だから剣の振りが早かっただけだって! オレが負けるわけねぇじゃん!」
「何ですって!?」
「……そんな風に言い続けて、もうどれくらいでしたか? セルム」
息巻き、ノラリダに詰め寄っていたセルムに歎息が投げられ、彼は次の言葉を失った。睥睨しながら三速の持ち主を見やると、その先で、オーキッド色の瞳が知的な光を放つ。
「うるせぇよ、ミハロス」
面白くなさそうにセルムは舌打ちすると、プイとそっぽを向いた。
(Special Thanks.みなと)