6.太陽の祈り死神の願い (1)
6.太陽の祈り死神の願い
「ミレスト?」
扉の開く音と共に名前を呼ばれ、ミレストは腰を下ろしていた椅子から立ち上がった。
「母上、お帰りなさい」
「もしや、待たせてしまいましたか?」
「いえ、私も今しがたここへ。それに待たせてしまったのは私の方です。朝方、こちらに来るようにと伝言を頂いたのに、こんなに夜更けになってしまい、申しわけありませんでした」
腰を折るミレストに、ベビーピンクの髪が緩々と横に振られた。
人形のような面に輝く青緑の瞳には、労わるような光。
「貴女も大変だったことでしょう。先ほどの地鳴り、あの方は随分お怒りのようでしたけれど――お探しして諌めなくても大丈夫なのですか?」
顔を上げ、自分より幾分見下ろす位置にある母サマンサへ、ミレストはコクリと頷いた。
「はい。邪王妃様――スゼルナ様が、向かわれましたので」
「そう、ですか。……ミレスト、その剣は?」
サマンサの目が、ミレストの手に握られた見知らぬ剣鞘を捉え、不思議そうにベビーピンクを傾げる。
その視線に気づき、ミレストは差し出しながら、これですか? と問う。
サマンサが肯定を示すと、鞘の部分をクルリ、と彼女へ向けた。
「スゼルナ様がお持ちになっていたものです。帯剣したまま、あの方に会いに行くのが憚られていたご様子なので、私がお預かりしました」
受け取った瞬間、フワリ、サマンサの中を駆け巡る懐かしさにも似た波動。
感情を滅多に映さないはずの青緑色に、驚きが満ちていく。
「これ、は……この感覚は、私が創った――薔薇? まさか、再創造……? 無から有を創るのは容易じゃないけれど、有から有に創り変えるのは……。ですが、まだ発現して間もないはずなのに……」
やはり、そうなのですか――呟いたサマンサの口唇が、震えを帯びる。
僅かに項垂れ、それきり押し黙ってしまった彼女へ、ミレストは訝しげに眉を寄せた。
「母上?」
「……すみません、ちょっと考え事をしていました」
ミレストの呼び声に、サマンサは微笑しながら首を振った。
その足が、部屋の壁際に設えてある棚に向けられる。コトリ、響く小さな物音。
「――貴女を呼んだのは他でもありません。もうすぐ日が変わりますが、どうやら間に合ったようですね」
戻ってきたサマンサが両手で包み大切に運んできたもの、それは、銀に輝く細い筒状のものだった。
彼女の掌が、広げられる。白皙の肌の上に鎮座していたのは、質素な形の銀の横笛。
「これは……」
「今使っているものが随分磨り減っていたようですから、新しいものを――と思って」
伸ばされた指先が、それを掴む。
手にしたそれとサマンサとを交互に見やっていた翠の瞳が、意味が解らないとばかりに僅かな困惑に揺れる。
そんな彼女に、サマンサは口元に小さく笑みを刻むと、そっとその言葉を口にした。
「お誕生日おめでとう、ミレスト」
美しい調べが、どこからともなくスゼルナの耳を掠めていく。
ミレストの治癒魔法で足の流血は収まったものの、失った体力までは回復出来ないまま、スゼルナは走っては短い休み、走っては短い休みを繰り返しながら懸命に彼を探していた。
ミレストに彼の行方を尋ねてみれば、ゆっくりと否定を示され、残酷な答えが返されたのだ。
「先ほど、あの方の膨大な魔力の波動を感じましたが、残念ながら今は全く……。生誕日である今日、あの方がこれほど長い間ここに滞在されるのは、非常に珍しいことなのです。毎年、この日を挟んだ一週間ほど姿を隠されるので、もしかしたら――」
中央殿を一通り周り、無人の謁見の間を目にしたところで、スゼルナは大きく落胆の色を浮かべた。
(もう、どこかに行ってしまったのかな……)
グッと唇を噛みしめながら、再び足を動かし始める。
次に彼女が足を向けた方角は、主寝殿。ごく僅かの者しか立ち入りを許されない、盟主が住まう区域。
中央殿を抜け、長い廊下を走り抜ける。その先で彼女の前に広がったのは、吹き抜けとなった庭だった。
濃い闇色の空に浮かぶ、紅の月。発せられる赤光が、仄かにその場を浮かび上がらせていた。
中央に座すように池が静かに横たわり、その周りを黒曜石の柱が囲うように並ぶ。その池から一筋、小さな川が、彼女の足元辺りまで伸びていた。
スゼルナの足が小川を辿り、池の方へと向かう――ふとその動きが止められた。黄金の瞳に映りこんだのは――池の畔に佇む、深い漆黒の色。
ぬばたまの長い黒に覆われた顔立ちは、一つの乱れもない、それこそ究極の技術を以って造形されたような、そんな完成度の高さ。凄艶に彩られたその表情、その中で美しい煌きを宿し、虚空を眺めていた翠の双眸が彼女を見止めた瞬間、剣呑さを帯びスッと逸らされた。翻される、黒の外套。
「ま、待って!」
立ち去ろうとする長身に、スゼルナは夢中で駆け寄った。徐々に広がっていく闇の色。
フワ――靡く艶やかな黒糸に飛び込むように、スゼルナは思い切り両腕を伸ばした。
嗅覚を擽る、彼の匂い。腕に感じる、確かな温もり。
スゼルナは彼の背に額を押し付けながら、彼の名をそっと口にする。
彼の足が――徐に、停止した。