5.全てに決着を (1)
5.全てに決着を
中央殿。邪王神ベルディアースの広大な居城の中核を担い、一番奥には謁見の間、そして主寝殿へと渡るための廊下がある。
その方角とは真逆の位置に設えられた、地下牢へと続く長い階段。そこを大股で上り終え、速度を落とすことなく謁見の間の方へ足を向けながら、ベルディアースはエントランスに通じるだだっ広いホールを横切ろうとしていた。
目的の場所まであと僅か、というところで翠の目がチラリと一瞥され、小走りに近寄ってくる翠髪の女を捉える。
「陛下、こちらでしたか。申しわけございません、邪王妃様の行方ですが――」
「……地下の最奥。牢獄にいる」
苛立ったような低い声色に、彼女の柳眉が寄せられる。
「牢獄? なぜ、そのような場所に?」
「それを確かめに――否、俺のものに手を出したのだ……。同族の輩にも、それ相応の報いを受けて貰う」
ベルディアースがくい、と顎で示した先へ視線を流しながら、彼女の瞳が細まった。
謁見の間、先ほど通過した廊下、そしてその先にある大部屋の存在が頭の中で順に展開される。
「この先は、謁見の間――いえ、接待のためのスペース……。来賓の中に、不届き者が混ざっていたと仰るのですか?」
その質問に応えは返されず、無言で黒の髪が彼女の脇を通り抜けていく。
一歩二歩、と靴音が響き、ふとその足が止まる。黒の外套に覆われた背が小さく動き、切れ長の翠玉が肩越しに振り向いた。
「……牢獄に赴き、保護しておけ。あの様子では――身動きとれまい」
嘯かれた呟きに、彼にしては珍しい僅かな憔悴を感じ、彼女は深々と腰を折った。
「畏まりました。お任せを」
カツカツ、俄かに耳を撃つ踵の音。
それにつられる様に顔を上げた彼女の視界を、外套が覆う。それに重なるように放たれたのは、打って変わった張りのある王者の言。
「行きしな、道化に伝えろ。人形を伴い今すぐに東方へ飛べ。――根絶やしにせよ、と」
「御意」
今一度頭を垂れると、ベルディアースの進行先とは反対側に翠の髪が揺れ動き出す。
彼女の存在が静寂に消え沈み、残された暗闇の中へ彼自身も紛れていく。
「…………」
『ディア、ルク……』不意に刺激する、“彼女”の震えた声音。鼓膜の奥へと染み付いたそれに、ベルディアースの翠目が徐々に冷たさを孕み、握られた拳に纏わりつくように黒い炎が現れる。
項垂れながら、既にその機能を果たさなくなってしまった黒のドレスごと自分を抱きしめる彼女の、露になった両肩、胸元、両の脚、そして――。
一挙に逆巻くように込み上げてくる感情は、彼女が現れるまで味わったことのなかったもの。
フッ、彼の口元が艶やかな弧を描き、緩々と告げられたのは、美しき死神が奏でる甘美な死の旋律。
「さあ、始めようか。全てを闇に還す、鮮烈なる血の狂騒の宴を――!」
謁見の間へと足を踏み入れた彼女は、目に飛び込んできた光景に顔を顰めた。
玉座にふんぞり返り、高圧的な態度でこちらを見据えてくるボルドーの瞳、ヒラヒラと軽い調子で片手を振ってくる様、しまりのない口元、その一つ一つが癇に障る。
睨みつけながらそちらに歩み寄り鋭く見下ろすと、彼女は苦虫をかみつぶしたような表情で言い放った。
「あの方の勅命だ。人形を伴い今すぐに東方へ飛べ。根絶やしにせよ――と」
「はあ? んだよ、オレに会いたくて会いたくて、引き返してきたわけじゃねえの? つーか、さっきは捨て置けとか言ってたくせに、今度はそれか。ああ、めんどくせーっ」
後頭部で手を組み、ドカッと玉座の背もたれによりかかりながら、男は大仰に溜息をついた。
その様子を静かな冷たい眼差しで眺めていた彼女は、スッと翠目の面積を減らす。
「早く出立しろ。あの方の命令は、絶対だ」
「――さっきからさ~、つれなさすぎじゃねえ? オレの繊細な心、ガッタガタよ?」
「誰が繊……っ!?」
彼女からの咎めが途切れ、代わりに盛大な物音が響いた。
つっ、突然悲鳴をあげる身体に、彼女の美麗な面が苦痛に歪む。
気づけば、見上げる位置に愉悦を灯したボルドーの煌きがあった。背面の感触でわかる、今まで彼が腰を落ち着けていた場所。
一瞬呆けた彼女の首筋に男の舌端がゆっくりと這わされ、彼女の肌が総毛立つ。
玉座の上という恐れ多いその状況に、彼女は目を見開いた。
「おまえは、こんな時に何を考えているのだ!?」
「オレ様、横暴な主君の虐めで、いつ終わるかも不明なお仕事に駆りだされるんだぜ? メチャクチャ可哀想じゃん? 少しくらい慰めて貰っても、罰は当たんねえと思うわけ」
「馬鹿か、貴様は! ここがどこだか解っているのか!?」
「気にすることはねえって。 主殿たちも、しょっちゅうココでヤッてるわけだし?」
抵抗を見せる両の腕をひょいひょいと避けながら、男の指先は器用に彼女の衣服を肌蹴させていく。
キッと翠の眼光が険しさを増し、それまで以上にスピードを乗せながら放たれた拳は、すぐさま軽々と掌で受け止められ、彼女は唇を噛んだ。
「……おまえがどうしてそれを知っている? まさか、覗き見たのか――!」
「ハハハッ、あんだけ堂々とヤってるっつーのに、知らない方がおかしいだろ? てかさ、オレがいることを承知でヤッてると思うぜ~、あの御方は。いいダシにしてるんだろ、きっと。邪王妃サマの方は、完全に主殿に酔わされまくりで気づいてねえみたいだけど。あの啼き声、普段の印象と全く違うから結構そそられるっつーか?」
男が語る衝撃の内容に、彼女はありえない、とばかりに小さく首を振った。
微かに震える唇が、非難を紡いでいく。
「な、なんという破廉恥な……! おまえに、恥という概念はないのか?」
「ふ~ん。んじゃ、この場で何度も繋がっちゃってるあの方々にも、それは適用されるってことでOK?」
「それとこれとは、話が違う」
「ま、いいや。どっちにしろ、楽しければ何でもありっしょ?」
こういう風にさ――ニヤリ、と男の口角が吊り上がる。
獰猛なハイエナを彷彿とさせる面差しを浮かべた彼を前に、彼女は諦めたように顔を背けると、両目を固く閉じ、下唇へ強く強く歯を立てた。