3.死神の憂鬱 (1)
3.死神の憂鬱
ベルディアースは本日何度目になるだろう、仏頂面を僅かに崩しながら短い歎息を漏らした。
豪奢な造りの腕置きへ肘を預け、手の甲で黒髪を支えると、優雅な動作で脚を組みなおす。随分長い間、この玉座に腰かけ留まっているような気がして、切れ長の翠の瞳が俄かに訴え始める。――飽きた。
それに気づいたらしい、玉座から一段下がった位置で韓紅の髪が、ユラリと揺らめいた。
振り向きながらボルドーの瞳をベルディアースに向けてきたのは、ひょろっとした体躯の男。
「主殿。こりゃまた、退屈そうなお顔をされてますね~。ハハハ、まあ仕方ないっしょ。年に一回のこの日――魔界全土から有力貴族の皆々様が、こぞってご機嫌を窺いにやってくる。お目当ての盟主様が、道楽に耽っているので顔を出せませんって、ンなことになったら示しがつかねえじゃん?」
「…………」
無言で、翠の切っ先が鋭利な刃と化す。
おお、こわっ、本気とは取れないふざけた調子で小さく叫びながら、韓紅の男はクルリと再び背を向けた。
「てか、わざわざご機嫌窺いなんてやらなくても、ずっと虫の居所が悪いに決まってるっつーのに、毎度毎度メンドクセー奴らだぜ」
「……俺の機嫌が悪い、と何故貴様が決めつけるのだ?」
言い放たれた、ベルディアースの問いかけ。
その冷徹な攻撃から身をかわすように、ヒョイ、と肩が竦められた。
「別に間違いじゃないでしょ? まあ、普段からあまり代わり映えはしねえ気はするけど、この日だけは格別。どんだけ長い付き合いだと思っているんですかね~、我が主殿は」
「……フン」
「にしたって、今日は更にトップクラスの機嫌の悪さっつーか。さっきから、恐怖と寒さで顔が引きつって仕方ないんですけど、オレってば。その、ひっきりなしに冷たい魔力を垂れ流すの、止めて貰えません? さっき謁見にきた奴らなんて、それに耐え切れずに泡吹いて倒れちまったくれえなのに」
「ほお、この俺に意見するか?」
ゾクリと背筋を駆け上がっていく低い声音と、冷たい指先のような風に耳元を擽られ、韓紅の髪が大きく跳ね上がる。
慌てたように身体を反転させた男の瞳が、ぎょっと見開かれた。
「ちょっ、主殿、たんま! こっちに翳された右の掌に、何だかくろ~く渦巻いちゃってる物体が見えるんですけど!? 今にもオレ、消し炭にされちまいそうな勢いの物騒なそれ、とっとと引っ込め……っ」
「シェザード」
抑揚のない、詠唱。瞬間。黒の炎が一陣の閃光となって、ベルディアースの手から放たれた。
おわっ、短い叫びと共に、韓紅の男が反射的に片脚を上げる。
激しい衝撃音と共に床が抉られていき、壁際まで迫ったその亀裂は緩やかに威力を弱め、静かに薄暗い周りへと回帰していく。
黒光の最初の到達地点は、今の今までその場を踏みしめていた男の足があった場所。
「おっと……、手が滑ったようだ」
「手が滑ったっ!? んだよ、それ、ンな理由で闇魔法を撃つか、フツー!?」
「次は、外さぬ」
「って、そっちかよ!?」
バサバサ、長めの前髪をかきむしりながら憮然とする様を眺めていた翠玉が、スッと興味を失ったように流された。
そこへ、次の謁見者の名を告げる声が響き、それを耳にしたボルドーの瞳が不敵に煌く。
「へぇ。例の連中も来ているとはね~。結構、大胆なことするじゃん」
「何の話だ?」
「ご報告してませんでした? 東の方で不穏な動きがあるって斥候からの情報があったもんで、ちょいと暇つぶしがてら様子を探りに行ってきたんですけど――」
「前説は要らぬ。結果だけを話せ」
「あ~はいはい。ま、不穏どころか黒も黒。あの辺一帯、真っ黒状態。とは言っても、そうすぐに動かせるくらいに小規模な雰囲気でもなさそうだったし、とりあえず見て見ぬ振りして帰ってきましたけど。あっちからノコノコ出てきたっつーことは――情報収集か、はたまた他の理由か」
「フン、くだらぬ」
「どーします? いっそ全部ひっくるめて、この場で始末しちまえば簡単なことなんじゃ?」
「捨て置け。どう俺に刃向かうつもりか、手並みを見てやる」
「ハハハ! 主殿、相変わらずの暇――じゃなくて、酔狂ぶりですね~。ま、面白そうだし嫌いじゃねえけど」
愉悦を含んだ口角を最大限に吊り上げ、未だククク、と細身を揺らす韓紅の男を一瞥してから、ベルディアースは視線の先――ゆっくりと迫ってくる一団に焦点を合わせると、スッと観察するように翠の面積を減らした。