1.太陽の翳り (2)
扉が控えめにノックされ、一呼吸後にそっと開かれる。
隙間から覘いた黄金の瞳が、誰もいない空虚な内部を捉え、落胆と共にホッとしたような安堵を灯した。
「まだ……帰ってないんだ」
後ろ手に扉を閉めながら、スゼルナは歎息した。
フラリ、と視界が傾く。額を押さえ首を振ると、彼女は見慣れた寝台へ歩み寄った。
天蓋から伸びた黒のレースを手繰り、そのままシーツの中へと仰向けに倒れこむ。すぐさま訪れる強烈な睡魔に微かな抵抗を試みるものの、シーツに残る彼の匂いに惑わされるように意識が奪われていく。
「ディアルク……」
ウトウトとしばらく微酔んでいると、不意に瞼の裏へ蘇る鮮明な光景。
彼と見知らぬ女の二人が唇を重ねあい、吐息を混じらせ、声を、熱を、全てを共有しあうように深く深く睦み合う。
「……っ!」
黄金の瞳が、慌てたように芽吹かれた。
その黄玉に、僅かに見開かれた切れ長の翠の瞳と、こちらへ伸ばされた指先が映され、スゼルナは小さく息を呑んだ。
「あ……」
一瞬呆けたような表情が、彼女に浮かぶ。
目の前の彼が先ほどの光景に重なり、スゼルナは上半身を起こすと、無意識に身体を退く。
そんな彼女の様子に、ベルディアースの眉間が小さな反応を示し、見る間に彼の表情が険しいものへと変わっていく。
「――何故に、俺から離れる?」
「あ、あなたがいるとは思っていなかったから、その、ちょっと驚いちゃって……。帰ってたんだね。おかえり、なさい」
「……ああ」
「いつ帰ってきたの?」
「先刻だ」
「そう、だったんだ……。全然気づかなくて、ごめんなさい」
「…………」
不機嫌そうな彼の面立ちを窺い見ながら、スゼルナは不自然にならないよう、ゆっくりと視線を外した。
一つ呼気を落とすと、胸に秘めていた質問を口にする。
「――あのね。今日のお仕事の内容、訊いてもいい?」
「おまえには、関係あるまい」
苛立ちを多分に含んだその物言いに、スゼルナはキュッと唇を噛みしめながら俯いた。
(関係なく、ないよ……)
今にも溢れそうになる想いがバサリ、徐に外された黒の外套に遮られる。水面に描かれる波紋のように床へ広がる闇色と、軋むスプリングの甲高い悲鳴が彼女を現実に引き戻す。
当然のように寝台へと上ってくるベルディアースに、スゼルナは戸惑いを滲ませた。胸の前で拳を作っていた手首が攫われ、引き寄せられる。
鼻腔を擽る、先ほどまで包まれていたものと同じ香り。そして、それに混じる――嗅ぎ慣れない甘ったるい匂い。
スゼルナの表情が強張り、その華奢な両肩が緊張を帯びる。
密着すればするほど、嫌でも記憶から解放される、先ほどの場面。
「スゼルナ……」
艶めいた低い声色に、耳朶とそこに彩られたダークレッドの証を撫でられ、顎に絡まれた指に、抗う間もなく、視線を上向きにされる。
揺れ動くトパーズに迫る、ベルディアースの美しい翠の双眸、通った鼻筋と――重ねられていた唇。
スゼルナの震える紅唇が薄く開かれ、擦れた音が漏れ落ち始める。緩々と横に振られる金糸と、明瞭さを増していく、声音。
「……っ、や……! いや……!!」
一際響いた拒絶と同時に、彼女の両手が閃いた。
まさかの出来事に彼の長身がよろめき、彼女を捉えていた腕が緩まる。
拘束を逃れたスゼルナは、寝台から床へ降り立つと、困惑の表情のまま後退を始めた。ドン、その背が扉にぶつかる。
ユルリ、とベルディアースの黒髪が波打ち、翠の切っ先が彼女へと冷徹に突き刺さった。
「これは、どういうことだ……?」
底冷えしそうなほどに抑えられた低音が、彼女の鼓膜に浸透していく。
「ごめん、なさい……! でも私、私……っ」
スゼルナは小刻みに首を左右に動かしながら、背後へ回した手を探るように懸命に這わす。その指先が、目的のものを掴んだ。それを思いっきり押し開けると、彼女の細身は流れるように部屋の外へと駆け出していった。
どっかで見た覚えがあるような?(笑)
それにしても、途中の二人の会話がとても新婚さんには思えない…。