8.廻る歯車 (2)
ガラッ、一欠けらが崩れ、地に落下する。それが合図のように、朽ちかけていた入り口が、突如として木っ端微塵に吹き飛んだ。
濛々と立ち込める埃と瓦礫の屑に紛れて、黒衣が悠然と進み出る。その姿に黒い線状の炎が絡みつき、舞い散る残骸から主人を護るように這い回る。
靴音が、不意に止んだ。翠の瞳が捉えたのは、荊の蔓と真っ赤に滴った花たちに彩られた壁の十字架、そして、そのすぐ真下に佇む細身の人物。紫紺の上着の中、黒い服が浮き彫りにする身体のラインから推測すると、どうやら女のようだった。
「貴様か、反乱の首謀者というのは?」
「……!」
一瞬たじろぐように、紫紺色のフードと長衣の裾が揺れる。
そちらへ掌を突き出し、指先をクイッと挑発するように上向かせながら、ベルディアースは嘲るような笑みを刻んだ。
「ちょうど、破壊への欲求が昂っていたところだ。少し――遊んでやろう」
ふと脳裏を掠める、手元から逃げ出したままの金色の少女。腹心の部下に行方を追わせてはいるものの、未だに舞い戻らないあの温もりと匂い。擡げる、残酷なまでに歪められた彼女への執着心。彼の面立ちが、凄みを帯びた。
その先で一歩二歩、女の身体が後退する――刹那、一呼吸の間に距離を詰められた。
「!」
翠の瞳が、僅かな驚愕に面積を増した。その前で抜刀され、閃く白刃。かわし損ねた黒髪が切り飛ばされ、幾本かが宙を滑空した。
連続で繰り出される剣の乱舞に、ベルディアースは小さく舌打ちしながら大きく後退すると、すぐさま掌を翳す。その先に灯る、燃えさかる赤光。
「エフォーディア」
魔力が呼応し、炎の上位精霊の名前と共に解き放たれる。
突き進む巨大な火炎球に、瞬間、亀裂が疾った。爆発が引き起こされる中、噴煙に混じって女が飛び出してくる。肉迫した剣の切っ先が黒衣を掠め、細い傷を刻む。
ベルディアースの翠目が、憎悪に塗れた。同時に、彼の手に出現する黒の刃。それが描く横の斬撃を剣身で受け止めきれなかった細身が、若干だが傾ぐ。その好機を狙った黒剣がうなりをあげ、振り下ろされた。
「っ」
仮面から覗く女の唇から、吐息が漏れ落ちた。乱れた体勢から地面に両手をつき、黒の攻撃を紙一重で避けると、倒立をするように蹴り上げる。女の爪先が獲物を捕らえられず空を切った。
両の脚が下り立ったと同時、足元を狙った回し蹴りが放たれ、ベルディアースは素早く後退すると、再び紅蓮の炎を召喚し矢へと形を変えたそれらが、天井より降り注ぐ。
身を捩り、あるいは剣でそれらを弾き返していた女の仮面から、小さな呻き声が発された。指先が、緩々と硝煙が昇る左の肩を掴む。
その彼女が視界からフッとかき消え、彼の翠目が自ずと上向いた。中空を踊る華奢な身体から、体重を乗せた一撃が見舞われる。ゴガッ、耳障りな音に床が抉り取られ、地肌が露出した。
「なんだ……、この感覚は……?」
跳躍しながら、ベルディアースの翠の瞳が微かに揺らぐ。覚えのある、剣と体術を駆使したこの戦い方。答えに辿り着いた瞬間、彼の表情が愕然となった。
「まさか……!」
着地と同時に展開される、精霊魔法。次に圧縮されたのは、風の渦。
「シルフレヴィラ」
ゴオッ突如として巻き起こった突風に、剣を握りこちらに疾駆していた女がやおら立ち止まり、その身を固くした。フードが攫われ、フワリ――流れる、金色の波。それを映した翠玉が、俄かに面積を広げる。
「おまえ、は……っ」
喉から絞り出した声音は、酷く擦れていた。
それを断ち切るように、女の剣閃がヒュン、と薙がれる。
鮮血が舞う中、彼女の剣を持つ手首が絡め取られ、ビクッと両肩を震わせた細身が有無を言わさず引き寄せられる。
パンッ。乾いた音が響き、彼女の顔を覆っていた仮面が粉々に打ち砕かれた。
現れた美しい黄玉が輝きを放ち、それに混じる翠の彩り。
「あ……」
紅唇から呆然とした呟きが零れ、丸みを帯びた金色の双眸が波紋を浮かべる。
「あなたは、誰? 追っ手じゃ、ないの……?」
耳を撃ったのは、紛れもない彼女の声。艶やかな黒髪が波打ち、重ねられたのは衝動。
ん、受け止めた唇の端から苦しげな吐息が漏れる。それすらも奪うように逃がさぬように、ベルディアースの指先が、彼女の頤を掴む。
甘い陶酔に、痺れるような感覚。齎された旋律が途切れ、繋ぐ銀の糸が滴り落ちながら紡がれたのは――。
「……スゼルナ」
甘美に艶めいた、彼女の名前。
スゼルナの耳に蘇る、記憶の片隅に残されていた言の葉。
「その、声は……」
刹那、ベルディアースの長身がグラリと傾いた。慌てたスゼルナの両手が彼を支え、ヌルリとした感触に、向けられた黄金の瞳がその正体を捉える。
胸から腹部の辺りに刻まれた、斜めへと疾った斬撃痕。先ほど、彼女自身が放ち穿ったものだった。彼女の表情が翳りを見せ、次の瞬間それは驚愕に彩られた。
「なに、これ……。私、この光景に覚えがある……?」