第1宴 タヴェルナ・シンポシオン
僕の名前はスピノザ。
突然だが、僕は仕事をクビになった。
理由は単純明快。上司に媚びを売らなかったからだ。
まぁ、これも運命だろう。恐らくずっと前から決まっていた。僕が生まれるずっと前から。
だが、もちろん腹は立つ。
明日の飯にも困る身としては、怒るなというほうが無理な話だ。
「宇宙の、自然の試練はいつだって厳しいなぁ」
空を仰ぎ、僕は宇宙に思いを馳せる。
空から美少女が降ってくることもなければ、金が降ってくるわけでもない。とりあえず、次の仕事を探そう。
バイトでもいい。とりあえず食いつなぐために。
僕はメガネを拭きながら歩き出した。
動揺したり予想外の事があると眼鏡を拭く。これは昔からの癖だ。
しかしその瞬間、突然額に大きな衝撃が走る!
「グがァァァァァァ」
前頭部が痛すぎる!
メガネを外していたので目の前の電柱に気づかなかった。
しかし、これもおそらく自然のいたずらだ。
怒る必要はない。 拳3発で許してやろう。電柱を。
電柱を3回ほど小突き、衝突時に手から落としたメガネを拾おうとした。
その時、メガネの横に落ちているある張り紙が目に入る。恐らく電柱に貼ってあったのだろう。
「民衆食堂…タヴェルナ・シンポシオン…?」
それは求人ポスターだった。
ポスターからはどことなく不思議な雰囲気が漂っている。しかし、時給は悪くない。
きっと神が。自然が。僕にここで働けと言っているんだ。これも運命だ。そうに違いない!
僕は早速、不思議なこの店に向かう事にした。
20分ほど歩いて、やっと目的地に着いた。
店の外観は、食堂というより喫茶店だ。ドアには【CLOSED】という看板が掛けられており、まだ営業時間前らしい。僕は意を決して店の扉を開いた。扉につけられたベルが可愛らしい音を鳴らしている。
「お、客人か?あー、生憎、営業前なんだ。時間をおいてもう一度来てもらってもいいかな。」
店の奥から出てきた中年が声をかけてくる。
しかし、その格好はよれよれのTシャツ姿であまりにも従業員からかけ離れていた。
「い、いや僕は、客じゃありません。宇宙の、自然の思し召しのもとこちらで存在維持のための努力をすべく、参りました。」
「お、おう。そうか。つまり君は何が言いたいんだ?」
「――バイトさせてください。」
場に気まずい静寂が流れる。
しかし。その空気感とは裏腹に中年は鼻息を荒くし、目を輝かせている。
まるで、天啓を受けた信者のように。
中年が張り裂けるほどの笑顔で切り出す。
「おぉ、そうかそうか!バイト希望か!それじゃあ面接をしないとなぁ!た~っぷりと。」
そして僕は店の角にある席に案内され、中年と向かいあって座る。そこから長い面接が始まった。
「先に名乗っておこう、私はソクラテス。この店、シンポシオンの店主だ。では君の名前を聞かせてもらえるか。」
この中年はソクラテスというらしい。
よれよれのTシャツを着ていたので、てっきり忍び込んだ浮浪者かなんかだと思っていた。
「僕の名前は、スピノザです。」
「ほぉ!いい名前だな。ではスピノザよ。労働とは君にとってなんだ。」
最初から難しい質問だ。だがもう答えは出ている。
とうの昔から。そう、この宇宙が、自然が出来上がる前から。僕は揚揚と答える。
「僕にとっての労働とは、自己を維持するための努力…つまりそう、コナトゥスなのですっ!」
「ほう!大きく出たな!だが努力とはなんだ。君は努力の何たるかを理解しているのか?」
この店主なかなかやりおる。まるでゾーリンゲンの剃刀の如く鋭い質問をしてくる。
「努力――、それは神なる自然によるプログラム。そう!努力は自然の一部にすぎないのです!本質的な努力とは、受動的な物なのです。」
「なんか……。すごい他責思考になってない?」
「とんでもない!どれもこれも全て神、自然の範囲内なのです。僕らの行動も全て!」
面接なんて余裕だ。なぜなら店主の質問も全て神によって決められているのだ!最初っからな!
店主は、壁にかけられた時計をチラリと見て、満足そうに頷きながら、次の質問を飛ばす。
「まだ時間はあるな!では、神とはなんだ!答えてみろ!スピノザァ!」
「えぇ!もちろんですとも!神というのは――」
―――――――――――――――――――――――――
…30分後
「だが君は何も分かっていない!何も知らないのだ!」
「知るも知らないも、すべて自然の決めることなの―――」
チリンチリーン
面接(?)が30分ほど続いた頃、突然店の扉が開く。
入ってきたのは褐色金髪ロングヘアーの女性。
神なる自然の意思に従い一言で表すならば ギャルだ。
「おっはー♫ 今日も――、あれれれ?ソクラッティ、その人だれ?」
彼女はこちらを見るなり店主に話しかける。
「あぁ、彼はうちで働きたいらしい。それで面接をしていたんだ」
「へぇー!新人さんか!こんな所で働きたい物好きもいるもんだね(ボソッ)」
「おい!聞こえてるぞ!」
「あっははー、ごめんなさーい♫」
そういうとギャルは厨房の方へ向かって走っていった。
「あの、彼女は」
「あぁ、彼女はうちのスタッフのアレテ、あぁ見えてうちのエースなんだ」
人は見かけによらないものだ。彼女がエースらしい。
まぁこんな人が店主の店だから、何があっても不思議じゃないのだが。
「では、気を取り直して面接の続きを――」
店主が喋り出そうとしたその瞬間、厨房から耳をつんざくような大声が響く。
「ねーーぇっ!なんで何も準備できてないの!今日ソクラッティの当番だよね!」
そう言いながら制服姿のアレテが厨房から出てくる。
怒髪天をつくとはこの事だろう。
自然すら凌駕する勢いだ。
「ごめんね、アレテちゃん。そんな怒らないでよ。ほら!賄い美味しいの作るからさ♡」
店主はアレテを何とか落ち着かせようと必死だ。
「そんな先のことなんてどうでもいーい!あたしにとっては今が、この瞬間が1番大事なの!」
「………いや、だってほら面接がね」
「弁解する暇あったらさっさとこっち来て手伝え!この論破ジジイ!」
「………はい。」
もはや、どっちが店主か分からない。
でも、アレテさんの言い分の方が正しいのは誰の目にも確かだ。
アレテは、こっちを見てニコッと笑って言う。
「うちこんなんだから、ただでさえ人不足なの、だからあなた採用ね♫」
「あのぉ…アレテちゃん、採用とかは僕の仕事……」
「ちゃん?なんか文句でもあるわけ?」
「アレテさん……。ありません。スピノザ君、明日から来れる?」
店主はすぐに折れた。なんか、成り行きで僕も採用になったらしい。僕にとっての神は自然、宇宙ではなくアレテさんだったのかもしれない。
「確か名前はスピノザってソクラッティが言ってたわね!これからよろしくね!スピノン」
「スピノン…。」
「どうかした?」
「い、いえ!これからよろしくお願いします!アレテさん!」
この日、僕の中に自然よりも、神よりも恐ろしいものができたのは言うまでもない。
「ゴホン、では明日は14時にまた店に来てくれるかな。」
「わかりました、これからよろしくお願いします」
「まったねー♫スピノン!」
「今日はありがとうございました」
そう言い僕は店を出た。空には青空が広がっていた。
どうやら宇宙は、自然はまだ僕を飢え死にさせるつもりはないらしい。
――――翌日。
14時と言われていたが、実際着いたのは13時30だ。
ふぅーーー
1回大きく深呼吸をして、店に足を踏み入れる。
店の敷居を渡るこの1歩は、自然や宇宙から見れば小さな1歩だろう。だけど今の僕からすればそれらよりも愛おしくて、そして価値のある1歩だ。
「おはようございます、店主」
「あぁ、おはよう。そしてようこそ、タヴェルナ・シンポシオンへ。さぁ今日も良き饗宴を。」




