↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

立日

掲載日:2026/08/27

 一九〇〇(明治三十三)年五月末、駐在武官として北京の清国公使館に着任して間もない柴五郎中佐を極秘で訪問する者がいた。清国の教育行政の長官(国子監祭酒)王懿栄(おういえい)である。

 王懿栄は訪問の目的を、こう述べた。

「外国の皆様に危機が迫っています。そのことをお伝えに参りました」

 聞き捨てならぬ発言である。柴五郎は緊張の面持ちで、同じくらい強張った顔の王懿栄を見つめた。

「もしや、義和団のことでしょうか?」

 そう尋ねた柴五郎に王懿栄が頷く。

「仰る通りです。西太后(せいたいごう)様は義和団を官軍に編入しようとお考えなのです」

 義和団とは外国人排斥を唱え勢力を拡大中の武装集団である。義和団による外国人に対する暴力行為が続いているため、日本を含む諸外国は清国政府に義和団の解体を求めていたが、清の最高実力者である西太后は、その逆に動いた。彼女は義和団と手を組み、列強と全面戦争しようと考え始めていると、王懿栄は警告を発しているのだった。

 列強に宣戦布告した義和団と清国軍が真っ先に攻撃するのは北京にある諸外国の大使館や領事館である。日本の公使館も攻撃対象だ。戦闘になれば敵地のど真ん中にある公使館に籠城し救援を待つしかないと柴五郎は考えた。早速、籠城戦の準備をしなければならない。彼は王懿栄に礼を述べた。

 王懿栄は柔らかな笑みを浮かべた。

「立場は違いますが、私たちは友人です。友人は助け合うものですよ」

 二人が友人となったのは漢字が切っ掛けである。北京に赴任した柴五郎は当時の中国で最も漢字に詳しいと定評のある王懿栄の元を訪れ、こんな質問をした。

「後漢の許慎(きょしん)が書いた『説文解字』には「音」という漢字の成り立ちが「言」の漢字が進化したものと説明されていました。これは一体、どういうことなのでしょう?」

 王懿栄は日本から来た軍人が漢字の成立過程の興味を抱いていることを喜び、こう解説した。

「漢字の元となった甲骨文字というものがあります。「音」の原型とされる甲骨文字は「言」に二本の縦棒が加えられたもので、何かを話していることを意味していると思われます」

 それから王懿栄は別の解釈を示した。

「真夏の暑い日に現れる蜃気楼と共に現れる霊気を示すという説もあります。鬼や神そして霊を意味する甲骨文字との関連も示唆されています。ただし、これらの説を唱えているのは私だけです。まだ研究中なので、発表できないのですよ」

 その時、新たな知見を得られたらお伝えすると王懿栄は約束した。王懿栄の来訪を知った時に柴五郎は、てっきり「音」の漢字の成立に関する話だと思ったが、全く違った。来た時と同様に王懿栄は人目を避けて帰った。二人が生きて再会することはなかった。

 六月に入り、義和団と清国軍は北京の外国大使館を攻撃する。双方で二十万人以上の死傷者が出たとされる義和団の乱が始まったのだ。

 清の最高指導者だった西太后が義和団との協調路線を取り列強との戦争へ走った理由は幾つかある。その一つが義和団の女首領、黄蓮聖母の影響だ。黄蓮聖母は西太后に取り入ることに成功した。そして列強との開戦へ導いたのである。どうやって? こんな話が伝わっている。

 北京の紫禁城に物音がするのに誰もいない部屋があった。女官たちは「ねえ、何か聞こえない?」と囁きあったが姿は見えない。毎晩同じ時間に聞こえてくる音の正体は……? その謎を解こうと色々な者が挑戦したが、誰にも分からない。『○○で発生している原因不明の騒音に関する調査資料』なるものがまとめられたが原因不明で終わっている。それを解決したのが黄蓮聖母だった。彼女は音の正体を、清王室の先祖が外国人の横暴を怒っているせいだと断言し、その解決法を指示した。

 外国人を中国から追放すれば音は収まると黄蓮聖母が説明したとき、西太后は半信半疑だった。しかし列強が清国に対し高圧的な態度を取っている事実が、この非現実的な解決方法を西太后に選ばせた。西太后は黄蓮聖母からの提案を受け入れ、外国人を中国から追い払うための戦争を決意する。義和団を使い列強の軍隊を叩き潰すのだ。

 六月から始まった籠城戦は二カ月に及んだ。敵国のど真ん中で籠城戦を指揮した柴五郎は、北京に進軍してきた列強の軍隊と共に紫禁城へ向かった。王懿栄は西太后の命令で団練大臣(防衛長官)に任命されている。敵と味方に別れた二人だが、王懿栄との友情を忘れられない柴五郎は、友を救おうと紫禁城へ急ぐ。しかし遅かった。王懿栄は敗戦の責任を取り、井戸に身を投げて死んでいたのである。

 王懿栄の命日は八月十五日である。その日は、とても暑かった。北京の各地に蜃気楼が見えたという。その陽炎の中に王懿栄の声を聴いたと柴五郎は思った。そして後に語った。

「王懿栄は私に、こう告げていた。怨念は甲骨文字の頃は音念と書いたようだ、とね」

 清国滅亡を速めた義和団の乱は、こうして終わった。義和団の多くは捕まり処刑された。黄蓮聖母は捕まらず逃げ延びた。その最期は謎である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。