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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ピーマン大嫌いお嬢様とピーマン大好き少女

作者: ピーマン食べたらスーパーマン
掲載日:2026/05/08

よろしくお願いします

「今日は、食べなさいよ」


そうして出された皿の上になっていたのはピーマンだった

母の声は穏やかだったが、逃げ道はなかった。

お嬢様はフォークを持ち上げる。

先が震える。


「……結構ですわ」


「ピーマンなんて……大嫌いですわ〜」


言い終わる前に、お嬢様は立ち上がっていた。

椅子が大きな音を立てる。

手に大量のピーマンののった皿を持ち、そのまま廊下へ飛び出した。


「お待ちなさい!」


背後でメイドの声がする。

靴音が追ってくる。

お嬢様は振り返らない。

長い廊下を、ただ走った。


曲がり角をひとつ、ふたつ。

普段なら走ることなど許されない場所を、息を切らして駆け抜ける。

カーテンの陰に滑り込む。

足音が通り過ぎる。

少しだけ顔を出すと、メイドが辺りを見回していた。


「どちらへ……」


小さく呟く声。

お嬢様は息を潜める。

胸がどきどきと鳴っている。

捕まれば、今度こそ食べさせられる。


——どうして、こんなに苦いものを。


メイドの足音が遠ざかっていく。

しばらくしてから、そっと立ち上がった。

ドレスの皺を払う。


「どういたしましょう、昨日もピーマンをメイドに食べさせたのがバレてお仕置きをされてしまいましたし……」


お嬢様は窓を開けてキョロキョロと周りを見渡す


「どこかバレない場所があるといいのですが……」


見渡すとふと目に入ったのが広場で遊ぶ子供たちがいた

それをみてお嬢様は


「……そうですわ」


と小さく呟く


「仕方ありません……」


少しだけ、誇らしげに。


「代わりにピーマンを食べてくださる方を探しに行きましょう」


ーーーーーー


通りに出ると、行き交う人々の足音が絶えなかった。

お嬢様はお皿を両手で大事そうに持ち、近くにいた男に声をかけた。


「あの、よろしければ」


男は足を止める。


「こちら、召し上がりません?」


皿のピーマンが、つややかに光った。

男は一瞬だけそれを見て、すぐに顔をしかめた。


「いらねえよ」


短く言って、去っていく。


次に、子どもが目に入った。

道端でしゃがみこんで、小石を並べている。


「ねえ」


声をかけると、子どもは顔を上げた。


「これ、食べます?」


差し出す。

子どもはピーマンを見て、顔をしかめた。


「やだ」


即座に言うと、立ち上がって走っていった。


少し先で、赤ん坊を抱いた女が立っていた。

お嬢様は歩み寄る。


「その子に」


女は警戒した目で見る。


「……どうです?食べれるかは分かりませんが……」


ピーマンを差し出す。

女は一瞬ぽかんとしたあと、首を振った。


「結構です」


赤ん坊を抱き直し、足早に去る。

お嬢様は、その背を見送った。


「小さいうちから慣れておいた方がよろしいのに……」


誰にも聞かれないように、そう言う。


足元で、犬がこちらを見上げていた。

尻尾を小さく振っている。


「あなたなら…いかが?」


しゃがみこんで、ピーマンを差し出す。

犬は鼻を近づける。匂いを嗅ぐ。

少しだけ舌を出して、ぺろりと舐めた。

そして、顔を背ける。

そのまま、別の方向へ歩いていった。


「……」


お嬢様は、しばらくその場にしゃがみこんでいた。

皿の上のピーマンは、変わらずそこにある。


「みなさまピーマンがお嫌いなのかしら?」


立ち上がり、呟く。

通りを外れて、少し奥に入ったところで、空気が変わった。

人通りが途切れ、石畳はひび割れ、壁には汚れが残っている。

お嬢様は少しだけ歩みを緩めた。


そのとき。


細い路地の奥に、人影が見えた。

ひとりの女の子だった。

壁にもたれて座り込んでいる。

服はくすんでいて、ところどころ擦り切れている。

けれど、その顔立ちは妙に整っていた。


汚れの向こう側に、はっきりとした輪郭がある。

お嬢様は、思わず近づいた。


「……あの」


女の子は顔を上げる。

目が合う。

少しだけ、警戒したような視線。


「これ、召し上がりません?」


お嬢様はお皿の上のピーマンを見せる。

女の子の視線が、そこに落ちる。

ほんの一瞬、止まる。



「……食べたい」


小さく、そう言った。

お嬢様はぱっと表情を明るくした。


「本当ですか!?」


少し身を乗り出す。


「みなさん、受け取ってくださらなくて」


女の子は何も言わない。

ただ、手を伸ばした。

ピーマンを受け取る。

そのまま口に運ぶ。

噛む。ゆっくりと。飲み込む。


「美味しいですか?」


お嬢様が覗き込むように聞く。

女の子は、少しだけ間を置いてから頷いた。


「よかったですわ」


お嬢様はほっと息をつく。


「わたくしはピーマンが好きな人がピーマンを食べればいいと思っていますの」



女の子は、残った欠片を指で拾って口に入れた。

その仕草は静かで、慣れているようにも見えた。 


「ピーマンさんもわたくしよりあなたに食べられて幸せだと思いますわ


お嬢様はふふっと笑って言った

風が吹く。

女の子の髪が少し揺れる。

その隙間から、整った横顔が見えた。


「綺麗なお顔ですのね」


お嬢様は素直に言う。

それと同時に綺麗な顔に似合わない汚れた服も目に入る


「——そうですわ!」


思いついた、という顔。

女の子が少しだけ目を上げる。


「お洋服がないのですわね」


お嬢様は頷く。


「でしたら、わたくしのを差し上げます」


にこりと笑う。


「だから」


一歩、近づく。


「わたくしと、お友達になりましょう?」


女の子は、少しだけ黙った。


その言葉を、確かめるみたいに。


「お友達?」


小さく繰り返す。


「ええ」


お嬢様は嬉しそうに頷く。


「毎日、お会いして、お話しして」


「食べ物も、ありますし」


少し考えてから、付け足す。


女の子の視線が、お皿の上に落ちる。


それから、お嬢様の服へ。

綺麗な布。

汚れのない靴。


「……いいの?」


「もちろんですわ」


迷いなく答える。


「お困りの方を助けるのは、当然ですもの」


女の子は、しばらく何も言わなかった。

やがて、小さく頷く。


「……うん」


お嬢様は、ぱっと顔を明るくした。


「よかった!」


その声が、路地裏に響いた。




次の日。


女の子は、昨日渡した服を着ていた。

薄い桃色のワンピース。

お嬢様が「もう着ないから」と持ってきたものだ。

けれど、裾は少し汚れていた。

泥のような黒ずみがついている。

肩口も、どこか引っ張られたように皺が寄っていた。


「まあ」


お嬢様は目を丸くする。


「転んでしまったのですか?」


女の子は少しだけ黙ってから、頷いた。


「……うん」


その拍子に、袖がずれた。

細い腕に赤い線が見える。

乾きかけた血が、うっすら残っていた。



「おけがをしてますわ!」


お嬢様は慌てて駆け寄る。

女の子は反射みたいに腕を引っ込めた。


「大丈夫」


「でも、血が」


「すぐ治るから」


そう言って、女の子は視線を逸らした。

お嬢様は少し困った顔をしたあと、思い出したようにお皿を差し出す


「今日は、ちゃんとありますの」


中には、小さく切られたピーマンが入っていた。


「食べやすいように切ってきましたわ!」


少し誇らしげに言う。

女の子は、その緑色をじっと見る。

それから、小さく「ありがとう」と言った。


二人は路地裏に座った。

お嬢様は楽しそうに話し続ける。

今日の授業のこと。

新しいティーカップのこと。

庭の薔薇が咲いたこと。

女の子は、ときどき頷くだけだった。


「お友達って、楽しいですわね」


お嬢様が笑う。

女の子は少しだけ遅れて笑った。

でもその顔は、どこか疲れて見えた。


風が吹く。

女の子は急に周囲を気にするように顔を上げた。

路地の入口を見る。

誰かを警戒しているみたいだった。


「どうかしましたの?」


「……なんでもない」


そう言って、女の子は急いで残りのピーマンを口に入れた。


「また明日も来ますわ」


お嬢様は立ち上がる。


「今度は別のお洋服も持ってきます」


女の子は何か言いかけて、やめた。

そして、小さく頷く。

屋敷に戻ると、メイドが珍しく強い顔をして待っていた。


「お嬢様」


低い声。


「最近、外へ出ておられますね」


お嬢様は少し胸を張る。


「困っているお友達を助けていますの」


メイドの表情がわずかに曇った。


「路地裏の子、ですか」


「ええ」


「……もう、行かれない方がよろしいかと」


お嬢様はきょとんとする。


「どうしてですの?」


メイドは少し迷うように視線を伏せた。


「そういう場所には、危ない人間もおります」


「危ない?」


「子どもを攫う者や……貧しい子を利用する者も」


言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。


「綺麗な服を着せれば、余計に目をつけられます」


お嬢様は少しだけ考え込んだ。


けれど、すぐに首を傾げる。


「でも、綺麗な方が良いことですわ」


メイドは何も言わない。


「それに」


お嬢様は少し嬉しそうに続けた。


「今日、“お友達って楽しい”って笑ってくれましたの」


メイドの唇が、わずかに動く。

けれど最後まで、何も言わなかった。



次の日。


お嬢様は、いつものようにお皿を抱えて路地裏へ向かった。

けれど、女の子はいなかった。


「……?」


少し待つ。

来ない。

お嬢様は不安になって、さらに奥へ進んだ。


細い路地。

薄暗い壁。

知らない臭い。


その奥から、押し殺したような声が聞こえた

お嬢様が角を曲がる。

そこに、女の子がいた。

昨日渡した、桃色の服。

裾は泥で汚れていて、肩紐はずれている。


そして大きな男に腕を掴まれていた。


「なにをしてるんですの?」


お嬢様は、何が起きているのか分からないまま尋ねる。

男が振り返る。

女の子と目が合う。


その瞬間。

女の子の顔が、崩れた。


「……助けて!!」


路地裏に響くほど大きな声だった。

男はお嬢様を見る。


服。

靴。

髪飾り。


一瞬で身分を察したみたいに、舌打ちをして女の子を突き飛ばした。

そして逃げた

女の子は震えていた。

お嬢様は慌てて駆け寄る。


「だ、大丈夫ですの!?」


女の子はしばらく息を乱していた。

やがて、小さく言う。


「……昨日も、知らない人に襲われたの」


「どうして言ってくださらなかったんですの!?」


お嬢様の声は、少し涙混じりだった。


「そんなの、怖いじゃありませんの……!」


女の子は俯く。


「ここじゃ、助けてなんて言えなかった」


小さな声。


「言っても、誰も来ないから」


少しだけ沈黙が落ちる。


風が吹く。


「でも」


女の子は顔を上げる。


「あなたが来てくれたから」


その手が、お嬢様の手を掴む。

細くて、冷たい手。


「勇気、出せた」


お嬢様は何も言えなかった。


ただ、強く手を握り返す。


「ありがとう」


女の子は、少しだけ笑った。


その日は、夕方まで話をした。

いつものような、どうでもいい話。


庭の花のこと。

空の色のこと。


帰り道。


夕焼けの中を歩きながら、お嬢様は胸の前で手を握る。


そして、小さく頷いた。


「……わたくしも」


風の中で呟く。


「勇気を出してみますわ」




次の日の朝。


食卓には、いつもの料理が並んでいた。


焼きたてのパン。

温かなスープ。

色鮮やかな野菜。


そして、その隅に。

小さく切られたピーマン。

お嬢様は、それをじっと見つめていた。

昨日までなら、迷わず端へ避けていたはずだった。

けれど今日は、なぜか手が止まる。


——「勇気、出せた」


昨日の言葉が、頭の奥で小さく響いた。

お嬢様はフォークを持ち上げる。

緑色の欠片を刺す。

口元まで運ぶ。

途中で一度止まる。

苦そうな匂いがした。


「お嬢様?」


メイドが不思議そうに声をかける。

お嬢様は少しだけ眉を寄せたまま、ピーマンを見つめる。

そして。


「……わたくしも」


小さく呟いた

意を決したように、口へ入れる。

噛む。

瞬間、顔が歪んだ。

苦い。

青臭い。

舌の奥がきゅっと縮むみたいだった。


「っ、ぅ……」


思わず涙目になる。

それでも飲み込む。

少しの沈黙。


「……食べられましたわ」


自分でも驚いたように言う。

メイドが目を丸くする。

お嬢様は、まだ少し険しい顔のまま皿を見る。

残っているピーマン。

少し迷ってから、もう一つ口へ運んだ。

今度はさっきより少しだけ早かった。


全部食べ終わる頃には、ぐったりしていた。


「すごく……苦いですわね……」


椅子にもたれながら呟く。

メイドが小さく笑う。


「ですが」


お嬢様は顔を上げる。

どこか誇らしげだった。


「勇気を出すって、こういうことですのね」


その言葉を、自分で確かめるように頷く。

食事を終えると、お嬢様はすぐに立ち上がった。


「今日は早いのですね」


メイドが言う。

お嬢様は、少し嬉しそうに笑った。


「お話ししたいことがありますの」


あの女の子なら、きっと笑う。


「よく頑張ったね」って言ってくれる気がした。


そんなことを考えながら。

お嬢様は軽い足取りで、路地裏へ向かった。

路地裏へ着くと、女の子はいつもの場所にいた。

壁にもたれて座っている。

お嬢様はその姿を見つけた瞬間、ぱっと顔を明るくした。


「聞いてくださいまし!」


駆け寄る。

女の子が少し驚いたように顔を上げる。


「わたくし、今日……!」


お嬢様は胸の前で手を握る。


「ピーマンを食べられましたの!」


女の子は目を丸くした。


「……ほんと?」


「ええ!」


お嬢様は嬉しそうに何度も頷く。


「すごく苦かったですけれど!」


その瞬間の顔を思い出したのか、少しだけ眉をしかめる。


「でも、ちゃんと全部食べましたの!」


女の子は、少しだけ口を開いた。

何かを言おうとして。

けれど結局、小さく笑った。


「……そっか」


「あなたのおかげですわ」


お嬢様は本当に嬉しそうだった。


「勇気を出せましたの」


その日は、いつもよりたくさん話をした。

空の雲が魚みたいだったこと。

市場で変な形の野菜を見つけたこと。

犬にピーマンを食べさせようとしたこと。


その日、女の子はあまり笑わなかった


夕方が近づいた頃。

お嬢様はふと思いついたように顔を上げた。


「——そうですわ!」


ぱちん、と手を叩く。


「今日は、わたくしのお家へ来ません?」


女の子が固まる。


「お礼ですの!」


お嬢様は楽しそうに続ける。


「今日はピーマンはありませんけれど、お料理を振る舞いますわ!」


女の子は少し戸惑ったように視線を揺らした。


「……いいの?」


「もちろんですわ!」


お嬢様は迷いなく頷く。


「お友達ですもの!」


屋敷へ向かう道中、お嬢様はずっと話し続けていた。


女の子は、周囲を気にするように何度も辺りを見ていた。


屋敷の門が見える。

大きな鉄の門。

整えられた庭。

女の子の足が、少し止まった。


「どうしましたの?」


「……なんでもない」


小さく答える。


玄関へ入ろうとした瞬間だった。


「お嬢様!」


メイドの鋭い声が響く。


駆け寄ってきたメイドが、女の子の姿を見て足を止めた。

汚れた靴。

擦り切れた服。

痩せた身体。


空気が変わる。


「……こちらは?」


メイドが静かに尋ねる。


「わたくしのお友達ですわ!」


お嬢様は嬉しそうに答える。


「今日はお食事に招待しましたの!」


メイドの表情が固まった。


「少々、お待ちください」


低い声でそう言うと、屋敷の奥へ消えていく。


しばらくして。

母が現れた。

視線が、女の子へ向けられる。

頭の先から足元まで、ゆっくりと。

値踏みするみたいに。


「……この子と遊んでいるの?」


静かな声。


「ええ!」


お嬢様は笑顔で頷く。


「とても良い子ですの!」


母は少し眉を寄せた。


「帰ってもらいなさい」


お嬢様の笑顔が止まる。


「……どうしてですの?」


「見れば分かるでしょう」


母の声は冷たかった。


「どこの誰かも分からない子です」


女の子は俯いている。

何も言わない。


「ですが!」


お嬢様は一歩前へ出る。


「お友達で——」


「お嬢様」


今度は強く遮られる。


「こういう子と関わってはいけません」


沈黙。


女の子が、小さく後ろへ下がる。


「やっぱり……ごめんね」


かすれた声だった。


「待ってくださいまし!」


お嬢様が手を伸ばす。

けれど女の子は、そのまま走り去ってしまった。



「どうしてですの!?」


お嬢様は涙声で振り返る。


「悪いことなんて、何も——!」


母は静かに言う。


「ほんと、汚らわしいわ」


その夜。

お嬢様は一週間家から出ることを禁じられた。


そして、街へ出る時には必ずメイドが付くようになった。


「もう、あの子と会うことは禁止です」


窓の外を見ながら、お嬢様は唇を噛む。

路地裏の景色だけが、頭から離れなかった。


一週間後。


久しぶりに街へ出る許可が出た。

もっとも、一人ではない。

お嬢様の隣には、ぴたりとメイドが付いていた。


「今日は市場を見るだけです」


歩きながら、メイドが念を押す。


「危ない場所へは近づかないように」


お嬢様は小さく頷いた。

けれど視線は、ずっと別の方向へ向いていた。

細い路地。

建物の隙間。

あの場所がある方角。

ほんの少しだけ、足がそちらへ向く。

するとすぐに、メイドの声が飛んだ。


「お嬢様」


静かだが、強い声だった。


「……はい」


お嬢様は立ち止まる。


「こちらへ」


肩を軽く押される。

そのまま別の通りへ連れて行かれた。


市場には色とりどりの果物が並び、人々が賑やかに声を上げていた。

お嬢様は笑顔を作る。

店主に挨拶をして、勧められたお菓子を食べる。

新しいリボンを見せてもらう。

いつものお嬢様として。

何も変わらないように。


けれど。

ふとした瞬間に、頭の隅へ浮かぶ。

痩せた手。

桃色の服。


「ありがとう」と笑った顔。


夕方。

空が橙色に染まり始める。

帰り道。

お嬢様は、また路地裏の方を見た。

胸が、少しだけ痛くなる。


——「もう、あの子と会うことは禁止です」


母の声を思い出す。

約束を破れば、きっと叱られる。

また部屋から出してもらえなくなるかもしれない。

もっと厳しくされるかもしれない。

お嬢様はぎゅっと手を握る。

そのとき。

頭の奥で、小さく声がした。

——「勇気、出せた」


お嬢様の足が止まる。

メイドは気づかず、少し前を歩いていた。

夕方の人混みで、ほんの少しだけ距離が空く。


お嬢様は路地の方を見る。

暗い細道。

知らない匂い。

怖い場所。


でも。


「……わたくしも」


小さく呟く。

次の瞬間。

ドレスの裾を掴んで、走り出していた。


「お嬢様!?」


後ろでメイドの声が響く。

けれど振り返らない。

石畳を蹴る。

息が苦しい。

心臓がうるさい。


曲がり角をひとつ、ふたつ。

細い道へ飛び込む。


その時だった。



「——いたい…」


女の子の声。

お嬢様の身体が強張る。


さらに奥。


暗い路地の向こうから響いてくる


(きっとまた男の人に襲われてるんですわ…)


「——わたくしが助けに来ましたわ!!」


お嬢様は叫びながら、勢いよく曲がり角を曲がった。

息を切らし、肩を上下させながら前を見る。

そして、止まった。


薄暗い路地裏。

壁際。

女の子がいた。

昨日までと同じ、桃色のドレスを着て。


けれど。

大男に押さえつけられているわけではなかった。

女の子は、男の上に跨っていた。

男の手が、女の子の腰に触れている。


お嬢様の頭が、一瞬真っ白になる

男が舌打ちした。


「……なんだてめぇ」


お嬢様を睨みつける。


「こっちは金払ってやってるんだぞ!」


怒鳴り声が、狭い路地に響く

お嬢様は理解できないまま、女の子を見る。


「……なにを、してますの?」


声が少し震えていた。

女の子はしばらく黙っていた。

やがて、視線を逸らしたまま言う。


「お金…ないから」


小さな声。


「食べ物も、ないし」


お嬢様は息を呑む。

理解できないものを見るみたいに、顔を歪める。


「でしたら、お仕事をすればよろしいでしょう!?」


思わず声が強くなる。


「お金を稼いで、食べ物を買って……!」


言いながら、自分でも少し涙声になっていた。

女の子は、静かに首を振る。


「……あなたも分かったでしょ」


ぽつりと言う。


「私みたいなの、どこも受け入れてくれない」


お嬢様の表情が強張る。

玄関で止められた日のこと。

母の言葉。

メイドの目。


でも。



「そんなの、言い訳ですわ!」


叫ぶ。


「お友達だと思っていたのに!」


息が詰まる。

胸が痛い。


「ピーマンだって、あげたのに……!」


その言葉を口にした瞬間。

女の子の表情が、少しだけ揺れた。

お嬢様はもう、女の子を見られなかった。


踵を返す。

走り出す。

後ろから、かすれた声が飛んだ。


「……私」


お嬢様の足が、ほんの少し止まる。


「ピーマン、別に好きじゃない」


静かな声だった。

少し声が掠れて今にも泣き出しそうな声だった


お嬢様は振り返らない。

ただ、強く唇を噛んで走った。


屋敷へ戻ると、すぐにメイドに捕まった。

そのまま母の部屋へ連れて行かれる。


「約束を破ったそうですね」


母の声は冷たかった。

お嬢様は何も言えない。


「一週間、部屋から出ることを禁じます」


扉が閉まる。

静かな部屋。


お嬢様はゆっくり窓へ近づいた。

遠くに街が見える。

細い路地。

小さな屋根。

夕暮れの影。


路地裏で見た光景は思い出すだけで吐き気を催すほど汚らわしい光景だった


でも家の窓から見えた路地裏の景色は、なぜだか妙に綺麗に見えた

読んでいただき、ありがとうございました!

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