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転生悪役令嬢の激重執着フラグは回避できない!?

掲載日:2026/02/05

 目が覚めたら、少女になっていた。

 十歳くらいだろうか。驚くほど可愛らしい子だ。

 それが自分自身を鏡で見た第一印象だった。


 最初は夢の中だと思ったけれど、何日経っても目が覚めない。


「これはもしかして、もしかしなくても……。転生ってやつね」


 私は鏡を見ながら、自身の両頬を揉む。

 もちもちの肌だ。


 理解度が高いのは私が純度の高いオタクだからだろう。

 子どものころからアニメやマンガ、ライトノベルを好み、乙女ゲームも嗜んできた。

 大人になってもそういう違い世界の物語が大好きで、さまざまな作品を読み漁った。


 私は腕を組む。


「まさか、アニメにあるような転生があるとはね」


 にわかには信じられないが、確かに私はこの世界で生きていて、何日経っても目が覚めない。

 それに、頬をつねれば痛いのだ。


「さて、問題はこの世界が何の作品か、よ」


 私の名前は「アイレン・モンテスキュー」だということはわかった。

 モンテスキュー公爵家の一人娘だ。

 それだけの情報では、作品名までにはたどり着けない。


 だって、たくさんの作品を呼んできたのだ。

 有名作品のヒロインの名前であればピンとくるかもしれないけれど、「アイレン・モンテスキュー」という名前はピンとこない。


(とりあえず、お金持ちのお嬢様みたいだし、楽しむしかないか)


 作品名はそのうち思い出すだろう。

 もしかしたら、知らない世界かもしれない。


(公爵家でこれだけ可愛ければ、将来はイケメンと結婚して、悠々自適の夫人生活が送れそう!)


 この様子だとヒロインに転生はしていなさそうだ。

 たいていヒロインは虐げられているか、つらい境遇にいるものだから。

 こんなぬくぬくの布団で寝たりできない。


(令和に生きた私には固いベッドなんて絶対むりだもん)


 私は布団の中に入ると、目を閉じた。


 ◇◇◇


 しかし、事態というのは急展開するものだ。

 アイレンの父――モンテスキュー公爵が一人の少年を連れて帰ってきたとき、衝撃が走った。


「アイレン。今日から一緒に暮らす。キリアンだ。仲良くしてやってくれ」

「キ、キリアン!?」


 私は素っ頓狂な声を上げる。


「ああ、そうだ。どうした?」


 父は不思議そうに首を傾げた。

 父の隣にいる男は白銀の髪と、印象的な赤い瞳を持った美しい少年だ。年はアイレンよりも少し下くらいだろうか。

 長い睫毛と整った顔。

 そして、「キリアン」という名前。


(し、知ってる……!)


「なんでもありません。キリアン、よろしくね」


 私は作り笑いを見せてキリアンに手を差し出した。

 キリアンは言葉を発せずに私の手を取る。


 それが私とキリアンの衝撃的な出会いだった。


 ◇


 私は部屋の隅でプルプルと震えた。


(処刑だけはぜっったいにいや!)


 キリアン。

 その名前と白銀の髪、そして赤い瞳。

 ここは小説『白き孤高の王子』の世界に違いない。


(まさか、白ココの世界、しかも悪役に転生するなんて)


 私は床に倒れ込む。

『白き孤高の王子』はよくあるロマンスファンタジー小説だ。

 しかし、ヒロインが虐げられているのではない。ヒーローが虐げられていたという設定だ。

 虐げられヒロインが流行っている中、虐げられヒーローというちょっと変わった設定で、一部オタクのあいだで流行った作品だった。


 私はその、キリアンを虐げる義理の姉に転生したらしい。


(アイレンなんて名前記憶にないはずよ。悪役の名前なんてわざわざ覚えてられないもの)


 私は大きなため息をつく。


(それならヒロインのほうがよかったじゃな~い!)


 白ココのヒロインは、家族に愛されて育った伯爵令嬢だ。

 突然消えた兄の行方を捜すため、王都にやってきてキリアンに出会う。そこからロマンスが始まるのだ。


(小説を読んでるから兄の居場所ならわかるし。そっちのほうが楽勝だったわ)


 私は両手で顔を覆った。

 このままでは死んでしまう。

 なにせ、私はキリアンを虐げて虐げて、恋の邪魔までして最後、処刑されるのだ。


(あああああ……。処刑はいや。痛いのはいや)


 私は身体を丸め震えた。しかし、私は思い至ってピタリと動くのをやめる。


(そうよ……! 虐げなければいいんじゃない?)


 虐げた結果、処刑される。

 ならば、虐げなければいい。それは常識だ。

 物語がどうとか言っている場合ではない。自分の命が最優先ではないか。


「ふふふ……。そうよ、頭良いじゃない」


 私は正解を引き当てて、笑い声を上げた。

 虐げず、適当な距離感でキリアンに接すれば、キリアンに私を処刑する意味はなくなる。

 恋の邪魔をするつもりもない。

 私は美しく成長していい男を見つければいいのだ。


(なーんだ。人生、楽勝じゃない)


 その日、私の気持ちはとても軽くなった。


 ◇◇◇


 しかし、そんな最高の計画はあっさり崩れ去る。

 それは朝食の席のことだ。

 父は領地に行くため、ひと月ほど帰って来ない。三人での生活が始まった矢先のことだった。


「あなたの席はないわ。食べたいなら、そこでお食べ。犬のようにね」


 アイレンの母がテンプレどおりの虐めを始めたのだ。


「お、お母様!?」


 私は思わず叫ぶ。そして、母を食堂から連れ出す。


「お母様、何をやっているのですか!?」

「大丈夫よ、アイレン。あんな子わたくしが追い出して差し上げますからね」


 母は私を抱きしめながら言った。

 私は思わず肩を落とす。


(ああ……そうだった。アイレンとお母様は、キリアンをお父様の隠し子だと勘違いするのよね)


 そして、父もそれを否定はしない。

 世間もキリアンをモンテスキュー公爵の隠し子だと思うようになるのだ。

 しかし、私はそれが嘘であることを知っている。小説を最後まで読んだからだ。

 そう、キリアンはモンテスキュー公爵の隠し子でもなんでもない。


(キリアンは国王の隠し子なのよ~~!)


 叫びたい気分だ。

 キリアンが国王の隠し子だと今、バレると宮廷が大変なことになる。だから、成人するまでのあいだモンテスキュー公爵が息子として育てるのだ。

 しかし、小説のアイレンとその母は突然現れた隠し子に全部奪われると思ってしまったのよね。


(お父様もお父様よ。こういうときは報連相でしょ!)


 少なくとも妻には言ってよかったのではないかと思う。

 しかも、二人は処刑されるのだ。父が報連相を怠ったばかりに。


「お、お母様、キリアンがお父様の隠し子と決まったわけではないわ!」

「何を言っているの。あの目。あの人のお祖父様の目の色にそっくり。わたくしが男の子を産めなかったからって、外で作るだなんて……」


 ああ、本当のことを言いたい。

 しかし、十歳の少女が突然、「あの子は実は国王の隠し子なんです!」なんて言ったところで信じてはもらえない。

 国王の隠し子だとわかってもらったら、次は王族の秘密を知っていることで、この身が危険に晒されるかもしれない。


(詰んだわ。これは詰み、よ)


 キリアンの正体を言わずに母の虐げを止められるとは思えない。

 そして、母が虐げていれば、物語の最後に私も道連れにされる可能性がある。

 道連れにならなくても、罪人の母の娘では平穏な人生は送れないだろう。


 何より、母親を見捨てるのは気が引ける。

 まだ付き合いは一ヶ月もないが、それでも母親だ。知らぬ存ぜぬはできない。


(どうにかしないと……)


 私は頭を抱えるのだ。


 ◇◇◇


 計画を変更することにした。

 母を説得するのは難しい。性格なのか、設定なのかわからないが、「キリアンは夫の隠し子」という考えしかない。

 このままずっと虐げて虐げて虐げて、追い出そうとするのだろう。


(母の虐めを回避しないと!)


 私は食堂で指示を出す母の話をこっそりと耳に入れる。


「キリアンにはこっちの材料を使いなさい」

「しかし、これは腐って……」

「だからよ」

「ですが……」

「わたくしの言うことが聞けないの? 解雇してもいいのよ?」


 母は高圧的に言った。


(こうやって使用人たちからも嫌われちゃうのね……)


 気持ちはわからないでもない。

 夫が隠し子を連れて来て、「この子を世話してやってくれ」とぶっきら棒に言ったら誰だってはらわたが煮えくり返るだろう。

 令和だって殺傷事件になる可能性がある。


(私がどうにかしないと! でも、キリアンがお腹を壊さなかったら料理人たちが解雇されちゃう)


 私は腕を組んで考える。

 料理人とキリアン、どちらも守る方法だ。


(……しかたない)


 私は唇を噛みしめながら、覚悟を決めた。


 ◇


 夕食の時間。

 私は食堂の席に座るキリアンの食事をすべてなぎ払う。


 ガシャーン。


 大きな音を立てて、食器が床に落ちた。

 飛び跳ねる料理。私のドレスも汚れてしまった。

 目を丸くする料理人たち、そして母。

 キリアンだけは無表情のまま、私を見上げた。


「あなた、居候のくせに、私と同じ食事を食べるなんてずうずうしいわ」


(やった。……やってしまった)


 私は心の中で涙を流しながら、用意していたセリフを言った。


「早く部屋に戻りなさい」


 私は高圧的にキリアンに命じた。

 彼は何も言わずに小さく頷くと、席から降り食堂を出て行く。


(これでとりあえず、食中毒回避……と)


 私は小さく安堵のため息をついた。


「お母様、食事をしましょう。あんな子の顔見てたらまずくなっちゃうわ。これからは二人で食事がしたいの」

「そうね。そうよね。私もそう思うわ」


 母は嬉しそうに笑った。

 味方ができて嬉しいのだろう。


(夫に裏切られたと思っている上に、娘にまで見放されたら悲しいものね)


 私はどうにか楽しく母との食事を終えたのだ。



 母は食後、お酒を飲みながら一人で悲しみに暮れていた。

 夫の隠し子を受け入れられていないのだ。簡単に受け入れられるものではないし、しかたない。

 私は母の泣き声を聞きながら、食堂へと向かった。


「お嬢様、どうされました?」

「お腹がすいたの」

「えっ!? 先ほど食べたではありませんか?」

「あれだけでは足りないわ。部屋で食べるから、何か食べ物をちょうだい」

「は、はい……!」


 料理人は籠に果物を入れた。私はその籠を覗き込む。


(成長期の男の子にこれはちょっと足りないわね)


 私は籠を持って、ツカツカと調理場へと入っていった。


「あら、パンがあるじゃない」

「あっ! そちらは明日の朝食用でして……」

「明日の朝食、私の分は少なくていいわ。だから持って行ってもいいでしょ」

「は、はあ……」

「あとは、これも」


 パンと干し肉。スープも余っているものを入れてもらった。


(これくらいあれば明日の昼間では持つかしら?)


 食事の席にキリアンがくれば、母が怒るだろう。

 食事に平気で腐ったものを出させるような状態だ。次は何をするかわからない。


「明日も夜食を食べたいから、もっとたくさん料理を用意しておいて。お母様に言ってはだめよ!」

「は、はい。かしこまりました」

「それと、お母様のお酒、二杯目から少しずつ水で薄めてちょうだい」

「……わかりました」


(飲み過ぎはよくないものね)


 小説では処刑されるまで元気だったけれど、今回は処刑を回避するつもりだ。

 せっかく命を助けるのだから長生きして貰わないと。


 私はたっぷり食事の入った籠を持って、キリアンの部屋に向かった。



 キリアンの部屋の前で私はゆっくり息を吸い込む。


(優しくして変に懐かれたら困るから……)


 私に懐けば、母がどう行動するかわからない。

 やはり、私は嫌われ役に徹する必要があるだろう。吸った息を吐き出したあと、私は勢いよくキリアンの部屋の扉を開く。


 バタンッ。


 大きな音を立てて開いた扉。

 キリアンの部屋はとても質素だ。

 ベッドだけ。あとの家具はない。そういうふううに母が指示をしたのだろう。


 私はキリアンを見下ろす。


「な、なんでしょうか? お、お義姉様」


 キリアンが震えた声で言う。

 父に「お義姉様」と呼ぶように言われているのだろうか。

 国王の隠し子だと隠すためだろう。周りにも勘違いさせる必要があるから。


「お義姉様なんて呼ばないで」

「じゃあ……なんと呼べば……」

「アイレンよ。アイレン様と呼びなさい」


(私、悪役ってキャラじゃないのに……)


 私は心の中で涙を流す。しかし、これも最悪を回避するためだ。


「あなたはこれから、この部屋で余り物を処理するのが仕事よ」


 私は籠をキリアンの前に乱暴に置いた。


「これは私とお母様の余り物なの。明日の夜までに全部処理しなかったらタダじゃおかないから」


 キリアンが籠の中を覗き込む。


「良いわね? 『はい』は?」

「は、はい」

「明日、確認するから。それまでここを出たらどうなるかわかってるわね?」


 私はキリアンの返事を待たずに部屋の扉を乱暴に閉める。


 バタンッ。


 大きな音が廊下に響いた。


(や、やりきったわ……)


 私は扉の前で力なく座り込む。


(これで安全な食事とお母様とのバッティングは回避できそう)


 部屋から出さないのは申し訳ないと思う。

 まだ遊びたい盛りの男の子を部屋に閉じ込めておくわけにもいかないだろう。しかし、今の状態の母に会えば、絶対にひどい目に合うのは間違いない。


(そこも考えないと)


 私はため息をついた。


(断罪エンドは回避できなさそうだけど、幽閉エンドくらいにはなるかしら?)


 苦笑を浮かべる。

 本当はイケメンと結婚して悠々自適の夫人生活を送るつもりだった。

 物語のヒーローであるキリアンを虐めるのだから、断罪は回避できないだろう。

 しかし、ひどい目には合わせないから、断罪の内容も緩くなることを期待するしかない。

 最後は母が助けてくれると信じよう。


 私はため息をそうなることを祈りながら廊下を歩いた。


 ◇◇◇


 あれから十年。

 私はキリアンを虐め続けた。

 母とお茶会に行くときにはキリアンに「庭園のラズリという花を探して私の部屋に飾りなさい。使用人に聞いてはだめよ」と命令した。ラズリの花は庭園の奥にある。公爵家の庭園は広く、ラズリの花を見つけるだけでも相当な時間になる。

 きっと、いい運動になるだろう。


 私の宿題を代わりにやらせ、勉強も完璧だ。


 私がキリアンを虐めているからか、母の心は安定している。

 やはり一人の夜は酒に頼っているようだが、二杯目から少しずつ薄めている効果は出ている。


 上手く虐めるというのは難しい。

 この十年、キリアンを虐め続けた私は、確実に断罪エンドへの階段を登っているに違いない。


(そろそろ小説のヒロインと出会う時期ね。さすがにお母様も恋の邪魔はしないでしょう)


 物語の中で恋の邪魔をしていたのは、アイレンだけだ。

 恋の邪魔をしないことで、幽閉エンドが田舎の領地送りエンドくらいになってくれることを期待しよう。


 私は部屋のソファーでまったりと寛いでいた。

 あとどのくらいこの贅沢な生活ができるかわからない。

 キリアンが私を断罪する性格な日付がわからないからだ。

 どんな場所に追いやられてもいいように、今のうちに堪能しておくべきだろう。


(まあまあいい人生だったわね)


 公爵令嬢として、随分と楽しい思いをさせてもらった。

 外に出れば友人もいる。

 恋はしなかった。だって、いつか断罪されてわかれることになるから。

 私がこの十年の思い出に浸っていると、扉が叩かれる。


 コンコンコンッ。


「どうぞ」

「アイレン様」


 扉が開いてすぐ、キリアンが私に声をかける。

 私は振り返った。

 目の前にはキラキラのイケメンに成長したキリアンがいる。

 白銀の髪が太陽に反射して輝く。切れ長の瞳と、薄い唇。

 綺麗についた筋肉は、私の虐めがあってこそだ。

 小説で語られていた顔の傷はない。あの傷は私か母がつける傷なのだろう。


(傷があるのもかっこよかったけど、傷なんかつけたくないし。これでいいわね)


 イケメンに見つめられると、それだけでドキドキしてしまう。


「どうしたの? 呼んでないけど?」

「今日は何かお手伝いすることはありますか?」

「そうね……」


 正直、虐めのネタは尽きた。

 十年も虐めていればマンネリ化もするものだ。

 しかも、虐めているように見えて、キリアンのためになるような虐めなんて難しい。


(体力もついているし、ある程度の知識はついてるでしょ? もう自分で自分を守る力はついたわよね)


 彼ももう十八歳だ。

 あとはヒロインと出会い、彼女の兄捜しを手伝いながら仲を深めればいい。

 私という敵はいなくてもじゅうぶんロマンスになるだろう。

 そして、「実は国王の隠し子でした!」と正体がバレてハッピーエンドだ。


 悪役の私がこんなに美しいのだから、ヒロインはもっと美しいに決まっている。


「好きにしていいわ」

「……それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。私の奴隷は今日で終わりってこと」


 私は彼を「奴隷」と呼び、命令を繰り返していた。

 少し心は痛んだけれど、そのほうがわかりやすく母の心にも響いたからだ。

「奴隷」と呼んでいるだけで、ぬるい虐めもひどく見えるのもよかった。


 キリアンはようやく私の「奴隷」ごっこから解放されて、ホッとしていることだろう。


 しかし、彼は想像とは違う表情を私に見せた。

 顔が真っ青だ。


「それはもう、私のことが不要という意味ですか?」

「ええ。そういうこと」

「新しい奴隷を見つけたのですか? それは誰ですか? どんな男ですか?」


 キリアンが私の腕をつかんで早口で尋ねる。

 赤い瞳に映った私の顔は困惑していた。


「えっと……」

「あなたの奴隷は私だけではないのですか?」


 私の腕をつかむ手が強くなる。

 私は眉根を寄せた。


「痛いっ! 放してっ!」


 キリアンは慌てて私の腕から手を放した。


「申し訳ありません」


 キリアンは眉根を寄せて謝罪の言葉を口にする。


「もう私には構わないで。あなたの自由に生きたらいいじゃない」

「自由……」

「そうよ。恋をするのもいいんじゃない?」


 そう、可愛いヒロインと一緒にね。

 私はソファーから立ち上がり、部屋を出る。


(気分転換に私もパーティーに参加しようかしら?)


 断罪後はパーティーも参加できなくなる可能性がある。

 今うちに楽しんだほうがいいだろう。


(ドレスも新調しちゃう!?)


 この世界に転生して一番楽しいのは、ドレスを着られることだ。


「お母様~!」


 私は母のもとへと駆けた。


 ◇◇◇


 キリアンは呆然とアイレンの背中を見送る。

 彼女はスキップをしながらモンテスキュー公爵夫人の部屋へと向かった。


「なぜ……」


 ぽつりと呟いた。


「なぜ、いまさら私を捨てる……?」


(私にはあなたしかいないのに……)


 キリアンは自信の手の平を見つめた。

 アイレンの腕をつかんだ手だ。

 とても細かった。すぐにでも折れてしまいそうなほど。


 キリアンにとって、アイレンがすべてだった。


『アイレン様と呼びなさい』


 食事がたっぷり入った大きな籠を持って、そう言われた日からキリアンにとってアイレンは女神だった。


 キリアンに父親はいない。

 母と二人で汚い小屋のような場所で生活をしていた。その母が病気で亡くなり、食べるものもなくなってしまう。

 死を覚悟するまでは一瞬だった。

 そんなキリアンに手を差し出したのが、モンテスキュー公爵だ。

 彼はキリアンに新しい服と、そして家族を与えた。


 母であるモンテスキュー公爵夫人はキリアンのことを嫌ったが、アイレンは違う。

 いや、最初は嫌われていると思っていた。


 部屋に閉じ込め、『残り物』の処理をさせる。

 彼女は夫人と二人で出かけるときだけ、必ずキリアンを外に出し、面倒な言いつけをした。


 けれど、気づいたのだ。

 すべて夫人からキリアンを守るためだと。

 アイレンは言葉は冷たいけれど、キリアンのことを考えていてくれた。

 頻繁に夫人を屋敷から連れ出し、キリアンが部屋の外に出る頻度をあげていたのにもすぐに気がついた。


 わかりにく愛だけれど、それはたしかにキリアンの胸に届いたのだ。


 いつしか、キリアンを「奴隷」と呼ぶようになったけれど、それも嬉しかった。

 アイレンの奴隷。

 それはキリアンにとって初めて得た、確かな居場所だった。


『もう私には構わないで。あなたの自由に生きたらいいじゃない』


 それはキリアンにとって死刑宣告に近い。

 もう必要ないと言われたようなものだ。


 そして、アイレンはそう言ったとおり、その日からキリアンを呼び出さなくなった。


 ◇◇◇


 キリアンはどうしていいかわからなかった。

 アイレンの側が、アイレンの奴隷であることがキリアンをキリアンたらしめていたからだ。

 いまさらどう自由に生きろというのか。

 キリアンはアイレンの部屋の前で立ち止まる。


「お嬢様、新しいドレスでパーティーですか?」

「ええ、そうなの」

「楽しみですね」


 扉の向こう側から、楽しそうな声が聞こえてきた。


「まあ! こんな素敵なドレスを着ていったら、殿方が放っておかないですよ」

「そうかしら?」

「そうですとも。お嬢様ももう結婚を考えてもいい年ですよ」

「そう? 二十歳なんてまだまだ結婚は早くない?」

「早いだなんて。最近は十五歳くらいには婚約者を決めるところも多いと聞きます」


 結婚。

 婚約者。


 聞こえてくる単語に、キリアンは拳を握った。


(アイレン様は好きな男ができたから、私を捨てるのか?)


 アイレンはキリアンに「恋をしろ」と言っていた。それは、恋をしているからこそ出た言葉ではないだろうか。

 もしかして、そのパーティーにいるのだろうか?

 胸がざわめく。

 アイレンの手を取る男の姿を想像しただけで、腸が煮えくりかえる気分だった。


(絶対……渡さない)


 キリアンは奥歯を噛みしめた。


 ◇◇◇


 断罪まであと何日だろうか。

 私はあと何回母とおいしい食事をし、友人とお茶会をし、パーティーを楽しめるだろうか。


 私はパーティーで挨拶を交わしながらそんなことを思う。


(何回かわからないからこそ、一回一回楽しまないとね)


 キリアンが冷酷でない限り、最悪は回避できたはずだ。

 理想は「顔も見たくない。田舎で慎ましやかに暮らせ」だろうか。


「ほら、アイレン様。あそこの殿方がアイレン様のことを見つめておりますわ。あれはダンスに誘おうとしているに違いありません」


 友人が私に耳打ちする。

 彼女の視線の先にはすらりと背の高い男が立っていた。


「そ、そうかしら?」


 遠目で見る限りなかなかハンサムな男だ。

 一回くらいなら踊ってもいいかもしれない。

 そんなことを思っていたときだった。


「そうですよ。キャーッ! 来たわ! ほら、アイレン様っ! え……? アイレン様? どちらに?」




 私はなぜか、頭から袋を被せられ、口を塞がれている。宙に浮いた身体に目を白黒させた。


「んーっ!」


 真っ暗な中の揺れ。私は足をばたつかせる。しかし、びくともしない。

 酔いそうだ。

 これはいわゆる誘拐というやつだろうか。

 こういうとき冷静になるのは、それが非日常だからだ。


 バタンッ。


 扉が閉まる音がする。

 どこかの部屋に入ったのか、私を攫った男は私をソファーに下ろした。

 優しい誘拐犯だ。


 頭をの袋を取られた瞬間、私は目を丸くする。


「キリアン!?」

「あの男ですか? 新しいあなたの奴隷は」

「新しい奴隷!? 何それ!?」

「私を捨てて、新しい奴隷を手に入れるんでしょう?」


 キリアンは悲しそうな顔で私を見下ろす。

 まるで捨てられた子犬のような顔だ。


「新しい奴隷なんて手に入れる予定はないわ」

「なら、なぜ私を捨てるのですか?」

「捨てるって……」


 ただ、自由にしただけだ。

 私はどう説明していいのかわからず困惑した。

 もう自分で自分を守れるようになった。母が何かしても、今のキリアンなら上手く対処してくれるだろう。


「あなたはもう一人で生きていけるわ」

「私を一人にしないでください。あなたは私に生きる意味を与えた。最後まで責任を取ってください」


 キリアンが私の手を取り、指先に口づける。

 まるで神にでも祈るような雰囲気だが、そこには有無を言わさない圧力がある。


「それって、私の奴隷を続けたいということ?」

「はい」


(これは予想外の展開だわ)


「奴隷」と呼び、虐めてきた人間にどうして懐いてしまったのか。

 謎である。

 小説とは違うことをしたからだろうか。

 何かやらかしてしまっただろう。


(……そうだ! どうせ私に懐いているなら)


「いいわ。その代わり約束して」

「何でも。アイレン様のためなら」

「本当ね? この先ずっと、私の命を脅かさないと誓いなさい」


 そう。断罪はしない。処刑はしないと、誓ってもらえれば安泰だ。

 物語のヒーローなら、約束を違えるような姑息なことはしないだろう。私が彼を裏切らない限り。


「わかりました。あなたを一生守ると誓います」

「……ん?」


(一生守れなんて言ってないけど)


「命を脅かさない」と「一生守る」ではだいぶニュアンスが違う。

 けれど、似たようなものか。


「アイレン様、今日は帰りましょう」

「まだダンスすら踊ってないわ」

「他の男の手を取るのですか? やはり、新しい奴隷を探して……?」


 キリアンの顔が曇る。顔面蒼白を通り超して、今にも人を殺しそうな顔だ。

 私は慌てた。


「違うって。わかった。帰るわ。帰る!」


 キリアンが嬉しそうに笑う。その顔があまりにも輝いて見えて、私の胸がほんの少しはねた。

 すると、ふわりと身体が宙に浮く。――キリアンが私を抱き上げたのだ。


「ちょっと!」

「馬車までお連れします」

「歩けるわ! 下ろして」

「いえ、途中でアイレン様の靴が脱げてしまったようです。私のミスです」


 気づかなかった。

 たしかに片方の靴がない。

 これでは外を歩けないのだから、彼の提案に乗るしかなかった。


 キリアンはまっすぐ前を向いて歩く。

 私はキリアンを見上げた。


(こんなんでちゃんとヒロインと恋愛できるのかしら? 心配だわ)


 私の視線に気づいたのか、キリアンが首を傾げる。


「何でもないわ。あ、流れ星」


 空で星が流れた。


「流れ星が消える前に願い事を三回唱えると、その願いが叶うそうよ」


 一瞬過ぎて三回も唱えるのは難しいけれど。

 彼はじっと空を見上げた。

 再び、星が流れる。


(生存、生存、せ――……やっぱり三回は難しいか)


 あっという間だ。


「今、何かお願いした?」

「はい」

「何をお願いしたの?」

「……秘密です」


(そう言われると気になるじゃない)


 物語のヒーローのお願い事だ。気にならないわけがない。

 けれど、聞いてはいけないような気がして、私はそれ以上問い詰めなかった。


(早く、キリアンの興味が私からヒロインに向きますように!)


 私は再び流れた星に願う。


 私が彼の重すぎる執着心に気づくのはもう少し先の話。


 FIN

最後までお読みいただきありがとうございました^^

楽しんでいただけたら嬉しいです。

ブクマや★を入れていただけたら、作者の活力となります。


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