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第六話 境界線

老職人は、自分の手を見ることが増えた。

作業中ではないとき、

ふとした拍子に、

掌や指先を確かめるように眺める。

革を持てば、手は迷わない。

針を取れば、自然に動く。

それは、これまでと何も変わらなかった。

変わったのは、

終わった後だった。

仕事を終えたという感覚が、

以前より薄くなっている。

完成した靴を前にしても、

達成感がないわけではない。

だが、それが

「自分が積み重ねた時間の結果」

なのかどうか、

はっきりしなくなっていた。

客が言う。

「妖精さん、今日も来ましたね」

老職人は、笑って頷く。

その返事は、もう自然だった。

だが、胸の奥で、

小さな違和感が動く。

――これは、誰の仕事だ。

そう考えた瞬間、

彼はその問いを引っ込めた。

答えが出ないことを、

もう知っていたからだ。

夜、妻と並んで座っているとき、

彼はぽつりと言った。

「もしな……」

妻は、何も言わずに続きを待つ。

「もし、全部あれの仕事になったら、

 俺は何になるんだろな」

妻は、少し考えてから答えた。

「靴屋よ」

即答だった。

「妖精が来ようが来まいが、

 あんたが靴屋なのは変わらない」

その言葉は、正しかった。

正しすぎて、

それ以上言葉を続けられなかった。

老職人は、頷いた。

夜、目を覚ます。

工房に行く。

針を持ち、

革を縫う。

その間、

自分と妖精の区別はない。

ただ、手が動く。

だが、最後の一針を終えたとき、

彼は、はっきりと思った。

――ここから先は、

 朝の自分のものじゃない。

その考えに、

安堵と、寂しさが、

同時に混ざった。

境界線は、

誰かに引かれたのではない。

彼自身が、

そっと置いたものだった。

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