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妻の視点 第四話 怖くなる夜

その夜、私は目を覚ました。

理由はない。

ただ、家の奥で音がした気がした。

工房の灯りがついている。

それだけで、胸が少し縮んだ。

夫は、そこにいた。

作業台の前に立ち、

靴を手にしている。

だが、縫っていない。

針も糸も持たず、

ただ、完成した靴を見つめている。

「あなた?」

声をかけると、

夫はゆっくり振り向いた。

私を見ているようで、

見ていない目だった。

「誰が、これを作った?」

その問いは、

私に向けられていなかった。

空に、夜に、

答えのない場所に投げられていた。

私は、そのとき初めて思った。

妖精という言葉が、

もし無くなったら。

説明が消えたら、

この人は、

自分自身をどこに置けばいいのか。

私は、作業台に近づき、

靴に触れた。

確かな重さ。

確かな形。

「妖精よ」

そう言うと、

夫の肩が、わずかに下がった。

「そうか」

それだけで、

夜は元に戻った。

翌朝、夫は何も覚えていない。

私は、あの夜のことを話さない。

話せば、

名前が壊れてしまう気がしたからだ。

妖精は、

夜に現れる存在ではない。

説明が崩れそうになったとき、

それを支えるために、

置かれる名前だ。

私は今日も、

朝になった靴を磨く。

怖かったのは、

妖精がいなかったことではない。

名前を失った人間が、

そこに立っていたことだ。

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