妻の視点 第二話 町の言葉
町は、小さい。
だから噂は、歩いて広がる。
最初に言ったのは、
誰だったのか覚えていない。
ただ、ある日から、
靴が完成している理由に、
皆が同じ言葉を使うようになった。
「妖精がいるんでしょう」
客は笑いながら言う。
本気ではない。
けれど冗談とも言い切れない、
ちょうどいい距離の声だ。
夫は、その言葉を聞いても、
首をかしげたり、
否定したりしない。
「そうかもしれませんな」
そう言って、
代金を受け取る。
私は、そのやり取りを、
少し離れたところから見ている。
声の調子も、
空気の流れも、
すべてが穏やかだ。
もし、ここで別の言葉を使ったら。
「忘れているだけです」
「夜に起きて作っているんです」
そんな説明をしたら。
この町は、
たぶん静かではいられない。
心配という形の詮索が始まり、
善意という名の監視が生まれる。
そういうことを、
人は悪気なくやる。
妖精という言葉は、
それを止める。
理由を聞かせない。
原因を探させない。
それ以上、踏み込ませない。
だから、
皆が安心する。
昼過ぎ、
古くからの客が言った。
「妖精さんも、腕がいいな」
私は笑って、
「そうですね」と答えた。
その瞬間、
その言葉は、
この店のものになった。
妖精は、
夫の代わりに働く存在ではない。
夫の代わりに、
説明を引き受ける存在だ。
夕方、
工房に戻ると、
新しい靴が一足、
作業台に置かれていた。
私は何も言わない。
それが、
この家のやり方になりつつある。
町は、
言葉で折り合いをつける。
妖精という名前は、
ここではとても役に立つ。
それだけのことだ。




